2008年06月12日

ヒューム『人性論』A

ヒューム『人性論』A

最近読んだ、イグナティエフの『ニーズ・オブ・ストレンジャーズ』にて、ヒュームが鉄の世俗主義者として紹介されていたので、あーそういえば、『人生論』が中途半端でほったらかしだったなーと思い出し、とりあえず、終わらせておこうと決心したわけで(とはいっても、イグナティエフの本で主題となるのは認識論よりも情念論なんだけれども…)。で、今回は第一篇の残り、とりあえず、第三部だけでも。。。

第三部は「知識と蓋然性について」。第一節で、ヒュームは知識を哲学的な考察の対象とされる諸々の関係の中でも、比較される観念に依存するものとして捉える。それらは、類似反対質の度合い量もしくは数の割合である。さらに、最後の「割合」は、その正確さにおいて他の3つと属性を異にする。特に幾何学については、そこに何かしらの人為的な操作(例えば、前提・仮定の類)が必要となる。その意味で、幾何学は代数・算術と区別され、後者が完全な正確さと確実さとを保持しうる一方で、前者はそうと見なしがたいというのがヒュームの考えである。

哲学的関係については、同一時間的および場所的状態因果性という上記の4つ以外のものも存在し、その違いは、これらの関係が比較される観念に依存しないことにある。このうち、前二者は推論ではなく、知覚の領域で扱われるものであるために、感覚機能を超越していくものではないのでこれ以上の考察の必要は生じない。必要が生じるのは、最後の因果性についてである。因果関係こそが懐疑論的認識論の本丸ということになるわけだが、まず、ヒュームは、因果性の関係にとっての本質的な関係として、近接・継起(先行関係)・必然的結合が挙げる。つまり、一般に因果関係を考察する際に、近接と継起だけを本質的に備わる関係であると指摘するだけでは、説明し尽くせない部分が残ってしまうので、それを必然的結合と呼ぶわけだ。その必然的結合について、ヒュームは2つの問題提起を行う。第一に、「存在に始まりがあるすべてのものは、また必然的に原因を持つ、と明言するのはいかなる理由によるのか」、ということ。そして第二に、「しかじかの特定の原因は必然的にしかじかの特定の結果を伴わねばならぬと断定するのはなぜか。また一方から他方へ導く推理の本性、およびこの推理を信頼する信念の本性とはなにか」、という問題である(p.431) [以上、第二節]。

ヒュームの焦点は第二の問題に置かれる。つまり、第一の問題において論じられるように、懐疑論の立場からすれば、客観的な因果関係の原理なるものは認めることはできない。であるならば、因果関係はわれわれの判断と推理の問題となる[第三節]。まず、ある特定の原因の存在を定めうるのは、究極的には直接の知覚であるが、そのような感覚機能による印象(もしくは記憶から生ずるそれ)の程度によってわれわれの確信は左右される[第四節]。ここから更に3つの考察対象が出てくる。すなわち、もともとの印象、印象から原因の観念への移行[第六節]、そしてそのような信念[確信]そのものの本性である。もともとの印象(感覚機能から生じる印象)については、人間にはその究極的原因(何から生み出されるか)を決して知りえない。従って、そのような問いかけはあまり有意義ではないことになる。ここで話は記憶と想像の差にまで広がるが、その違いは、ヒュームによれば、記憶の方が勢いと活気において優っているということにある[第五節]。では、そのような印象からいかにして因果性の観念が生み出されるのか。ヒュームは可能性として理性と自然的関係を挙げ、それぞれについて考察する。結論から言えば、自然的関係のみがそのような移行を為しうる。それは論証によっては決して因果関係の確実性を得ることが出来ないからであり、経験こそがその唯一の方法だからである。その意味では、因果性は蓋然性に止まらざるを得ないわけであって、それは恒常性を伴った、連合する観念であるということになる。また、ヒュームは、「蓋然性はある点では記憶もしくは感覚機能の印象をもとにし、またある点では観念をもとにするのでなければならない」(p.437)、と述べるが、これをカント風に、「(現在の)印象なき観念は空虚であり、観念なき(現在の)印象は盲目である」と言い換えることもできよう[第六節]。

ここまで来て、話はわれわれの信念の本性そのものの考察へと至る。まず、観念と信念の違いは何か、すなわち、「神が存在する」ことを信念として抱く場合に、心のなかで神という存在者の観念をただ持つこととはどのように異なってくるのだろうか。ヒュームは、その違いを、現在の印象にもとづく「勢いと活気の程度の違い」(p.440)に求める。従って、信念とは「現在の印象と関係を持つ、すなわち連合する生き生きとした観念」(p.441)と定義付けられる[第七節]。では、そのような信念はどのようにして起こるのか。…と、続けようと思ったが、集中力が切れてきたので、中途半端だけれども、一旦中断。。。
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2008年06月06日

SSBもれリスト[雑誌編]

『外交フォーラム』都市出版: 168/187/193/214
『世界の艦船』海人社: 533/605/608/639/654/655/656
『丸』潮出版: 718/719
『歴史群像』学習研究社: 41/47/70/74/75/76/77/78/80
『歴史読本』新人物往来社: 733/792/793/810
『論座』朝日新聞社: 2006.1/3
『中央公論』中央公論新社: 2004.9/11/2006.12
『文芸春秋』文藝春秋: 2006.6
『正論』産経新聞社: 2004.4/6/7/8/12増刊号/2005.7
『諸君』文藝春秋: 2005.7
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SSBもれリスト[書籍編]

△Blackstone, William T. Political Philosophy: An Introduction. NewYork: Crowell, 1973.
○Fry, Alton. Humanitarian Intervention, Crafting a Workable Doctrine, Three Options Presented as Memoranda to the President. New York: Council on Foreign Relations, 2000.
×Harris, Henry S. Social Philosophy of Giovanni Gentile. Urbana: Univ, of Illinois P, 1966.
×Lederer, Emil. State of the Masses: the Threat of the Classless Society. New York: Howard Fertig, 1967.
×Prior, Andrew. Revolution and Philosophy: The Significance of the French Revolution for Hegel and Marx. Cape Town: D. Philip, 1972.
△Roland, Alex. Military-Industrial Complex. Washington D.C.: American Historical Association, 2001.
×Viner, Jacob. Long View and the Short: Studies in Economic Theory and Policy. Glencoe: Free, 1958.

×浅野栄一ほか(1978)『経済政策の思想』有斐閣新書
×今井弘道編(1990)『法思想史的地平』昭和堂
×江藤淳(1973)『批評家の気儘な散歩』新潮選書
×笠信太郎(1976)『資本主義の運命』講談社学術文庫
×高坂正顕(1968)『大学問題と学生運動』南窓社
×佐々木毅(1978)『マキアヴェッリ (人類の知的遺産24)』講談社
×四宮恭二(1981)『ヒトラー・1932-34: ドイツ現代史への証言 (上)(下)』NHKブックス
○永井陽之助(1971)『政治意識の研究』岩波書店
○--(1979)『時間の政治学』中公叢書
△中村貞二(1972)『マックス・ヴェーバー研究』未来社
×日本法哲学会編(1979)『日本の法哲学II (法哲学年報)』有斐閣
×埴谷雄高/堀田善衛(1968)『死霊ほか (日本文学全集84)』集英社
×東畑精一(1964)『日本資本主義の形成者: さまざまの経済主体』岩波新書
×村上也寸志(1979)『学生反乱の思想史 (亜紀・現代史叢書 11)』亜紀書房
△矢内原忠雄(1964)『人生論・アウグスチヌス「告白」講義 (矢内原忠雄全集22)』岩波書店

〇ヴェーバァ(木本幸造監訳)(1980)『改訂版 社会学・経済学における「価値自由」の意味(1918)』日本評論社
×クセノポン/プルターク(村川堅太郎ほか訳)(1967)『英雄伝/一万人の退却 (世界文学全集5)』筑摩書房
×P・O・クリステラー(渡辺守通訳)(1977)『ルネサンスの思想』東京大学出版会
×パスカル/モンテーニュ(原二郎/松浪信三郎訳)(1969)『パンセ/エセー (世界文学全集11)』筑摩書房
×E・フロム/H・ラスウェル(日高六郎ほか訳)(1962)『自由からの逃走/権力と人格 (世界思想教養全集15:現代アメリカの思想)』河出書房新社---「第3章 宗教改革時代の自由」のみ、東京創元社, 1951(pp.51-118)
△R・N・ベラー(河合秀和訳)(1973)『社会変革と宗教倫理』未來社
○D・ベル(岡田直之訳)(1969)『イデオロギーの終焉 1950年代における政治思想の涸渇について』東京創元社
○--(蠟山昌一訳)(1984)『社会科学の現在』TBSブリタニカ
×K・ボールディング(清水幾太郎訳)(1967)『二十世紀の意味: 偉大なる転換』岩波新書
×毛沢東(浅川謙次/安藤彦太郎訳)(1970)『実践論/矛盾論ほか (世界の大思想35)』河出書房新社
×A・ラパポート(関寛治編訳)(1969)『現代の戦争と平和の理論』岩波新書
×D・リースマン(永井陽之助訳)(1968)『政治について (現代論集 1)』みすず書房
×K・レーヴィット(麻生建訳)(1975)『ヘーゲルとヘーゲル左派』未来社
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