2009年01月14日

Zuckert, Truth about Leo Strauss(3)

Zuckert, Truth about Leo Strauss(2)

Chapter Two: Strauss-Modernity-America (pp.58-79)
Chapter Three: Leo Strauss as a Postmodern Political Thinker (pp.80-114)

第二章は、シュトラウスによる、近代性とアメリカに関わるテーゼを三段論法の形で整理している。それによれば、
1. American is modern.
2. Modernity is bad.
3. America is good.
となるのであるが、これでは明らかに矛盾する。そこで、夫妻は大前提にいくつか条件を課すことでこの矛盾を解消するのであるが、そのことが説明されるのは結論の箇所においてである。順を追って見ていこう。(ただし、夫妻はアメリカの現実政治に関わるシュトラウスのいかなる言明も暫定的なものにとどまるとして読者に注意を促している)

【アメリカは近代的である】(pp.58ff.)
シュトラウスがアメリカの建国精神を近代的であると考えていたのは疑う余地はない。しかし、彼がワイマールにおいて経験した西洋近代の精神的危機とそれに抗う彼の哲学的意図は、アメリカにおいては容易に理解されなかった。それは、彼が批判の矛先を向けたハイデガーの業績が、生涯にわたって、ほとんど注目を浴びることがなかったからである(このことはアメリカのリベラル・デモクラシーにとってひとつの幸運であったとも考えられるが、シュトラウスにとっては危機の種子を孕んだ本質的に不安定な状態でもあったのだろう)。近代政治哲学は古典的政治哲学と以下の点において異なっていた。すなわち、前者は「人間存在の本性についての新しい理解」(p.61)によって実践的・政治的生を作り変えようとした、という点である。そのために、哲学は、依然真理への探求であり続けたものの、政治的にはプロパガンダと堕してしまう。近代性の始祖、マキアヴェッリは「実現可能性(actualizability)」と「実効的真理(the effectual truth)」を最も重視した。そして、政治的生とその目標を、理性によってではなく情念を基準として捉え直すことを主張したのである。その際必要とされる手段は、もはや道徳的教育ではなく政治的・経済的制度であった。このテーゼを受け継いだのが、ホッブズであった。加えて、彼は自然権(natural rights)を古代人とは異なった意味において復権させ、それを自己保存の権利ならびにその手段への権利と同一視する。やがて、自然権はロックにおいて(自己)所有権へと変貌を遂げる。そして言うまでもなく、独立宣言はロックのテキストの焼き写しである。シュトラウスにとってアメリカが近代的であるというのは、まさしくこの二重の意味(制度への依存と近代的自然権)においてであった。

【近代性は悪い】(pp.64ff.)
シュトラウスの理解では、近代性を生み出した元凶は、スピノザの聖書批判とホッブズの古典的哲学批判であった。彼は両者の批判を根拠なきものとして棄却し、近代性そのものの批判へと向かう。シュトラウスの近代批判は実践と理論の両面にわたる。実践的、すなわち政治的側面における批判は以下のようなものである。まず、近代性は人類を道徳的頽落(ニーチェ的「末人」)へと導く。近代主義の批判者たち(ルソー、カント、マルクス、ニーチェ)はその流れに逆らおうとしたが、彼らが近代の枠組み(実現可能性のための目標の引き下げ)の中で思考せざるをえなかったために、その思想は簡単に中庸を欠いた、壮大な政治的野心へと拡張される。この近代哲学観をもとに構築された理論が、有名な「近代性の三つの波」である。それぞれの波は、特徴的なイデオロギーを生み出す。第一の波は、アメリカ的なリベラル・デモクラシーを生み出し、第二、第三の波は、それぞれ共産主義運動とファシズムを生み出した。このように政治的イデオロギーが肥大化したのは、生活世界からの超越を哲学と宗教という私的な営みにではなく、公の問題として政治に求めたためであった。そして、近代政治哲学はこの超越を根底から支え、促したのである。近代性は更に(科学)技術を解放し自然の征服へと向かわせ、政治的指導者が備えるべき唯一の徳である賢慮を否定した(ホッブズの機械論的自然観と反アリストテレス主義)。シュトラウスにおいて、これらの問題を集約的に表現するのが、「われわれの時代の危機(the crisis of our time)」である。この危機は人びとの内にある二重の信念の喪失によってもたらされる。最初の信念の喪失は、いわゆる近代(啓蒙)のプロジェクト、そしてその絶頂としてのウィルソン主義に対してである。これらは込められた期待が大きすぎたがゆえに自壊した。そして、もうひとつは近代の実証主義がもたらした、各々個別の共同体的信念[真理]の喪失である。* このことは、マルクス主義の挑戦に曝されていた当時にあって、非常に深刻な問題として捉えられた。(ただし、夫妻は第二章の最後で、シュトラウスが主張するほど近代哲学は政治的役割を担ってきたかどうか、疑問を呈している) もう一方の理論的、すなわち哲学的側面における近代性への批判は、昨今のポストモダン思想家(夫妻はローティとフィッシュを挙げている)によって主張される超越としての哲学の不可能性に向けられている。

* この辺りから垣間見えるシュトラウスの政治思想は、社会的存在としての哲学者の自己知やレジーム論などと併せて考えた場合、コミュニタリアニズムに接近する観がある。

【アメリカは善い】(pp.74ff.)
近代性を批判しつつも、シュトラウスはアメリカのリベラル・デモクラシーを否定したわけではなかった。それは、夫妻のことばを借りれば、「近代性があらゆる部分で、一律に悪いというわけではなく、そしてアメリカがあらゆる部分で、一律に近代的というわけではない」(p.74)とシュトラウスが捉えていたからである。その背景には以下の四つの考察がある。第一に、冷戦の文脈の中ではリベラル・デモクラシーは共産主義体制よりも明確に優れていること。第二に、アメリカのリベラル・デモクラシーは(近代性の)第一の波における政治体制であり、僭主制(tyranny)の危機を孕む第二、第三の波における政治体制に優っていること。第三に、アリストテレスの政治学的視点からすれば、現代のリベラル・デモクラシーは古典的な意味での民主政ではなく、選挙制度(代議制度)という貴族政的要素を含む混合政体(a mixed regime)に近い、ということ。最後に、アメリカには古典的共和主義やピューリタニズムの伝統が根付いていること、である。

第三章は、ザッカート夫人の単著であるPostmodern Platos.の要約としての向きが強い。ここでは、ニーチェによって提起され、ハイデガーによって掘り下げられた哲学的問題を、ポストモダン思想家としてのシュトラウスがいかに理解し、応答したかが、デリダとの比較で論じられる。ニーチェの哲学批判によって浮き彫りにされたのは以下の二つの問題であった。すなわち、哲学的営為がつまるところソクラテス的無知の知でしかないとすれば、西洋の哲学的伝統の特質と価値は一体何であったのか、そして、いかにしてニーチェ的な「権力への意志」に基づく政治観を避けることができるのか、である。

【シュトラウスとニーチェ】(pp.83ff.)
ニーチェはデカルト以来の主客二元論にもとづいて、カント的「物自体」の世界を否定したが、シュトラウスにとっては、哲学は「完全な全体」の存在とその接近可能性を前提とするエロス的行為であった。したがって、彼は科学主義へと至った近代の認識論的態度(新カント派)も、ラディカルなニーチェ的構成主義も否定する。ニーチェはさらに、プラトンの四徳から、節制と正義を排し、孤独と同情を付け加えた。しかし、シュトラウスによれば、ソクラテスの節制は人の羞恥の感覚、すなわち道徳性に深く関わっている。そして、それこそが人間を野獣から分かつメルクマールであるとした。ニーチェは節制を否定することで、理性的存在たる人間の道徳的能力を否定した。その政治的帰結が「権力への意志」と新しい貴族階級の創設の主張である。しかし、彼は同時に政治的責任への道を示すことができなかった。両者を分かつもう一つの違いは、ニーチェが叡智的な聖書の神を否定することで、未来の哲人の中に新たな「宗教的」哲学を生み出そうと試みたことである。これに対して、シュトラウスは西洋文明の「隠された」ルーツである理性と啓示の対立を再発見し、ニーチェ的な新たな価値の創造ではなく、伝統的な道徳的基盤を堅持しようとした。

[ここで、夫人はシュトラウスの『マキアヴェッリ論考』序論(Strauss, Leo. Thoughts on Machiavelli. Glencoe: Free, 1958.)における有名な一節に触れている(p.86)が、その箇所を原文どおり引用しておきたい。
Not the contempt for the simple opinion, nor the disregard of it, but the considerable ascent from it leads to the core of Machiavelli’s thought. There is no surer protection against the understanding of anything than taking for granted or otherwise despising the obvious and the surface. The problem inherent in the surface of things, and only in the surface of things, is the heart of things. (p.13)
この序論は、わずか6頁という短さながらも、シュトラウス独特の読解作法が提示された重要な文章である。ここでシュトラウスは専門家の間でなされるような「熱烈な愛国者」や「社会についての科学的学究」という洗練されたマキアヴェッリ解釈(「『君主論』と『ディスコルシ』」、「バーリン「マキアヴェッリの独創性」」を参照)に対して、「悪の教師」という表面的、通俗的な見方への注意を促す。この見方は、科学主義に対する生活世界(理論以前、科学以前の世界)の取り戻しや常識・素朴な経験の重視、社会的存在としての哲学者の自己知など、シュトラウスの思想の背景にある一貫したテーマの延長線上にある。(このような見方に、ソクラテス的アイロニーを認識することも可能である。いかに説明が洗練されていようとも、事物についてよく知っているとは限らないということである)]

【シュトラウスとハイデガー】(pp.91ff.)
シュトラウスは、それでもニーチェの思考の中に永続する価値の所有、新たな形而上学、歴史から自然の優位性への移行を認めていた。それに対して、ハイデガーの実存哲学はそのようなニーチェの思想を形而上学のくびきから解放する試みであった。ラディカルな歴史主義は、ヘーゲル、マルクス、ニーチェらと同様に、歴史の「絶対的瞬間」を必要とする点で同じ自己矛盾に陥らざるをえなかったが、彼はそれを部分的真理であると認めたうえで、古代ギリシャに起源をもつ現前としての存在理解の限界を指摘し、新たな理解が「与えられる(sent)」ために正当化した。しかし、シュトラウスは別の根本的な問題も指摘する。それはハイデガーの後期思想が極めて人間中心の議論であって、その中に創造神の居場所はなく、「存在(Being)」はただ否定的に「事物では無いもの(No-thing)」としてしか語ることが許されない。シュトラウスはこのような「存在」を非人格的なプラトン的イデアと神秘的な聖書の神の総合と表現するが、理性と啓示の間に根源的対立を見る彼にとってこれは全くの矛盾に映る。

『自然権と歴史』はハイデガーによる人間存在の分析とその哲学史観に対する余すところのない批判であった。ハイデガーは人間存在が本質的に時間的・歴史的であると論じたが、シュトラウスにとってそれはまず道徳的であり政治的な問題であった。歴史主義は自然的正が存在するという主張の根底にある善悪の素朴な経験を無視するか、もしくは歪める。ハイデガーの人間存在すなわち「現存在(Dasein)」の誤った描写と分析がこのような結果を招くのである。ハイデガーはいかなる特定の原因に帰すことのできない不安の気分によって人間は存在についての根本的真理を発見するとしたが、シュトラウスにとってはその不安は善と悪の自律的な選択に由来するものであった。そして、そこから人間は正の普遍的な基準の探求へと向かい、政治哲学に従事するよう促されるのである。実際、ハイデガーが主張した根本的とされる経験はわれわれの時代に特有のものであった。それは(原理なき)寛容の主張と相対主義、およびその帰結としてのニヒリズムに深く関係していた。ハイデガーにとってニヒリズムは技術の世界的拡大に伴う人間の本質的価値の喪失に起因するものであった(彼はこれに対抗するために晩年西洋と東洋の対話を唱えたが、シュトラウスはその鍵を聖書の根底にある東洋的な存在理解に見出しうるとした)。シュトラウスも技術の野放図な拡大については同じく危惧を抱いていたが、ただ問題は技術そのものにあるのではなく、ハイデガーのような独特の解釈にあるとして、道徳的・政治的統制の必要性を説いたのである。『自然権と歴史』でのもう一つの大きな批判は、ハイデガー(とニーチェ)によって抱かれた、古代ギリシャ哲学の合理主義をニヒリズムの源流とする哲学史観に対してである。言うまでも無く、シュトラウスが主張したのは「近代性の三つの波」であった。ただし、彼は単純に古典的哲学をまるごと近代哲学に取り替えようとしたわけでは決してない。そうではなく、歴史主義批判という目標のためには、双方の哲学者が実際には同じ根本的な(時と場所を超えた人間に本質的な)問題を扱っていたということを示すだけで十分であると、彼は考えていた。** また、歴史主義者は古典的哲学が見落としていた「歴史的地平」を発見したと考えていたが、シュトラウスによれば、トキュディデスやクセノポンらの古典的著作家も彼らが歴史と呼んだものについて知悉していた。彼らにとっての歴史とは一連の出来事を単純に記録すること以外になく、それは洞窟の中の連続した影、ピュシスに対するノモスに過ぎなかった。近代における歴史の発見は、まさしくこのピュシスを可変的な「概念」へと還元することで成し遂げられたのである。

** そのことを端的に表現する質問形式が「…とは何か(What is…?)」である。

[シュトラウスの衝撃的なハイデガー体験はやはり彼の精神の根底に生涯消え去ることのない刻印を残したと言えるだろう。それは逆にいえば、ハイデガーが当時のドイツの若年層に与えた影響(それが実際どのようなものであったにせよ)を考慮することなしに、シュトラウスの哲学観を正確に理解することはできない、ということでもある。しかし、その強烈な体験がアメリカのアカデミックな環境においてはかえって誤解を生み出すもととなったのかもしれない。シュトラウス自身も「近代性の第一の波」の国家でありながら極めて特殊な精神風土を備えるアメリカに少なからず驚いたのではなかろうか(もちろん推測だが…)。おおやけにはロック的な自然権思想に立脚しながら、ニヒリズムへと堕ちてゆく雰囲気は露も感じられない。それどころか、左も右も無垢なまでに建国時の約束と理想を信じている。シュトラウスは自然的正を主張しても、その内実を埋める緻密な規範理論を構築することはなかった(その意味では、政治哲学の復権者としてロールズとともに論じられるのは多少の誤解を伴うかもしれない)。そのことは不幸にも、“natural right”という言葉が一人歩きする状況を生み出し、将来の悪評の遠因を作ってしまったのではなかろうか? 当然、推測の域を全く出ないけれども…。果たして、元となる講義が行なわれ、『自然権と歴史』が出版された1950年前後の評判は実際どのようなものであったのだろうか?]

【シュトラウスとデリダ】(pp.102ff.)
シュトラウスとデリダが一見して明白な相違の中に多くの類似点を持つのは、両者が同じ場所から出発しつつも、進む方向が全く異なっていたからである。その同じ場所というのは、フッサール現象学である。シュトラウス(とハイデガー)が哲学以前・科学以前の素朴な経験・世界を取り戻すために古代ギリシャ哲学へと向かい、フッサールの現象学的還元すら投げ捨てたのに対し、デリダはフッサールの成果を更に押し進め、記号を必要としない内的独語と純粋概念に示唆を受け、差延(différance)概念を生み出し、別のフッサールの考えと併せて、「われわれが「思考」と呼ぶものは、むしろ一種の「書く行為(écriture)」として捉えられなければならない」(p.105)という主張に至る。そこでわれわれが手にするのは「痕跡」のみである。そして、それは新たな文脈の中に新たな意味を獲得する。すなわち「[事物は]書き直され、そして消される」(p.106)のである。デリダはさらに西洋の哲学的伝統を批判する中で、ニーチェの「全体化する(totalizing)」教義に対しても以下のような批判を行う。
…(1) that nothing ever remains the same as itself, much less returns eternally, (2) that there is no necessity or fate, because all things are essentially and ineradicably “indeterminate” or “undecidable,” (3) and that they are undecidable because we ourselves are not a unit or unity with a “will” that we can impose. (p.105-106)
したがって、あらゆるものが流動的で、留まっているだけでは衰退するほかないゆえに、われわれは常に新たな要素を取り入れることで自らの存在を維持し続けなければならない。このデリダの姿勢が、政治的地平においては「ヨーロッパ人は「他者(the Other)」に対して自らを開かなければならない」(p.106)という立場へと変換されていくのである。

シュトラウスとデリダは共に全体主義に抵抗したが、前者にとって肝要となるのは、レジーム、特にリベラル・デモクラシーの多様性を維持することであった。そして、政治社会は常に独特であり、それゆえにいくぶん閉じている。現代における政治哲学の学徒たちは哲学と政治の間にある根源的対立を認識することで、両者が平和裡に共存しうる環境を維持しなければならない。したがって、知識人に要求されるのは、特に他者の共同体的信念に向けられた安易な批判の自制である。これに対して、デリダは異質なものに対して開かれた形へヨーロッパを再構築する必要性を強調する(「歓待」の精神)。ただし、ヨーロッパは文化的、政治的ヘゲモニーを振り回してはならないが、人権と国際法という政治的普遍主義に対しては責任を負わなければならない。実際、彼は啓蒙主義の目標を追認していることを自ら認めている。しかし、それは初期近代の政治哲学者と同じ方法、同じ根拠によるのではない。先述のように、いかなる人間も一時として同じではありえないがゆえに、法の支配が完全に正義となることはない。ただし、法の一般性とその適用の特殊性のギャップは、常に「脱構築」による批判の機会と根拠を提供してくれる。したがって、知識人や批評家の役割は、閉じられた「全体主義的」システムの出現を防ぐため、あらゆる支配に内在する不正義と不条理を分析し、抉り出すことにある。そして、ヨーロッパが将来、非宗教的、純粋に世俗的な形のデモクラシーを代表し、促進することをデリダは願う。

これらの違いが指摘されたのち、シュトラウスならデリダに対してこのように応答していただろうとして、夫人は以下のように続ける。まず、デリダがあらゆるものを痕跡として還元しており、それによってハイデガーが近代哲学と科学に内在的であると考えた均質化の傾向にデリダは寄与している。また、彼は「反神学的な憤り(anti-theological ire)」を持ちながら、未来における「到来(coming)」といった世俗化されたキリスト教的概念を用いている。そして最大の批判となるのが、デリダが種・類の本質的な区別、すなわちイデア(もしくは、noetic heterogeneity)を否定することで、人間と非人間の本質的区別がなされえないことである。そのため、彼がたとえ「周縁(margins)」や「他者」のために語るとしても、デモクラシーの約束について彼が為した定義はヨーロッパ中心主義の観を免れ得ない。そして、このような認識論的特徴は、彼が主張する人権の基礎すらも突き崩してしまうのである。***

*** これについては、非基礎付け論者からの正当な反論が予期されよう。
posted by ta at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | シュトラウス文献 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。