2009年02月05日

『自然権と歴史』の第一章をどう読むか?

(2009.2.7改訂)
上谷氏の論文に進む前に、文中で参照されるシュトラウスの著作をいくつか取り上げておこうと思う。とりあえず、このエントリでは『自然権と歴史』から第一章「自然権[自然的正]と歴史的アプローチ」(NRH, p.9-34)をできる限り誠実に読み込む。無論、ここで言う「できる限り誠実に」とは、シュトラウスの言葉で「歴史的理解(historical understanding)」を意味する。「歴史的」というと、後々登場する「歴史主義的理解(historicist understanding)」と混同してしまいそうだが、その意味は、「過去の著述家を、彼が自らを理解したごとくに理解すること」にある(RCPR, p.208)。ただ、言うは易く行うは難し、であろう。特に、現代のようなポストモダンのご時世においてはなおさらである。しかし、シュトラウスに限っては、われわれにいくつか読解のヒントを与えてくれている。もちろん代表的なそれは、エソテリシズムだが、それこそ下手に勘繰っていけば余計な過ちを犯しかねない。それよりも、もっと基本的なルールがある。以前にも言及した、「物事の表面にある問題がその核心であり、そして表面にのみそれは存在する」というルールである(TM, p.13)。これは、彼のテキストを彼自身の身になって理解する場合にも十分当てはまるものであろう。したがって、結局は当たり前のことであるが、ここではできる限りの先入見を捨てて、文章を字面どおりに読むよう心がけてみよう。

本章の主眼は、歴史主義(historicism)および急進的[実存主義的]歴史主義に対する反駁と、それが否定する自然的正の可能性の模索である。ただ先に言っておけば、これらの課題の双方ともに明確な結論が示されているわけではない。最初に自然的正に関わって二点、
In the first place, “consent of all mankind” is by no means a necessary condition of the existence of natural right. (NRH, p.9)
...realization of the variety of notions of right is the incentive for the quest for natural right. (p.10)
後者は、國分論文で引用された。
Political philosophy seems to begin with the contention that the variety of notions right proves the nonexistence of natural right or the conventional character of all right. (p.10)
この部分で参照されている『ニコマコス倫理学』1134b24-27では、「立法の行なわれていることがら」や「諸般の「政令」的な性質のことがら」(高田三郎訳, 岩波文庫)に言及されていることから、ここでの「政治哲学」という言葉にさほど独特の意味をもたせることはできないであろう(“seems to”にも注意)。しかし、シュトラウスの思想において「政治哲学とは何か?」という問いは思想全体を規定するかなめの問題であるため細心の注意が必要である。[なお、『倫理学』訳者の高田氏は、この部分に宛てられた注で以下のように述べている。
直訳して「自然本性的な正」(ト・フュシコン・ディカイオン)なるものはラテン語ではiustum naturaleないしはいius naturaleとされた。ius naturaleは「自然法」とも邦訳されるが、それはむしろ、「人間本然の権利」という意味を有している。「過少に甘んずること」「不当な取扱いに満足すること」をもってむしろ悪徳に擬したアリストテレスにとって、こうした意味関連は決して不自然ではないであろう。してみれば、「基本的人権」という理念は、古代奴隷制の社会的条件の制約の下にではあるが、アリストテレスの正義論にまでその淵源を遡ることができよう。(p.280-281)
むしろ通説的解釈といえるだろうが、ここには義務から権利へという古典古代と近代を分かつようなシュトラウス的視点はもちろん見られない。]
Conventionalism is a particular form of classical philosophy. (p.11)
Philosophizing means...to ascend from public dogma to essentially private knowledge... The fundamental premise of conventionalism is nothing other than the idea of philosophy as the attempt to grasp the eternal. (p.12)
(哲学的)コンヴェンショナリズムが古典的哲学の一つの形であることが示唆される。そして、近代の(急進的に対して理論的と呼ばれる)歴史主義ではこの哲学そのものの意味も変質してしまった。そもそも、歴史主義の起源は、フランス革命とそれを齎した近代自然権の教義への部分的批判を行った歴史学派にある。それは、言うまでもなく、各々の時代と場所に特有の正義の観念を主張するものであった。
The historical school...assumed that nations or ethnic groups are natural units, or it assumed the existence of general laws of historical evolution, or it combined both assumptions. (p.16)
しかし、実際には近代自然主義から直接、間接に引き継いだこれらの前提のもとに、歴史学派による諸研究は支えられていた。そして、その矛盾を悟ったときに一切の神学的・形而上学的前提を否定する経験的歴史研究へと移行し、歴史主義の揺籃期(すなわち歴史学派)は終焉を迎えるのである。[この歴史学派から理論的歴史主義への移行のつなぎ目がヴェーバーの「価値自由」ということになるのだろう。ところで、ヴェーバーが論敵としたシュモラーは、オーストリア学派の創始者であるメンガーとも議論(「方法論争」)を交えている。そして、両者がよって立つ認識論的二元論について、さらに発展的批判を加えたのが、オルドー学派のオイケンとシラーであった。実際、彼らの学問上のテーマは「歴史主義の克服」として謳われたが、そこにシュトラウスとの認識論上の類似性を見て取れないこともない。(古賀勝次郎「ハイエクとオルドー学派」) ただ、時代精神を鑑みれば、別段不思議なことではないのかもしれないが。] ただ、超越的、普遍的原理を否定することは、われわれが自らを形作ってきた伝統的拘束に従わなければならない根拠を失うことにもつながる。
The only standards that remained were of a purely subjective character, standards that had no other support than the free choice of the individual. No objective criterion henceforth allowed the distinction between good and bad choices. Historicism culminated in nihilism. (p.18)
しかし、ここで述べられたことは裏を返せば重大な理論的洞察となる。
...all human thought depends ultimately on fickle and dark fate and not on evident principles accessible to man as man. (p.19)
シュトラウスによれば、この洞察が近代の独断主義に対する武器になる一方で、理論的歴史主義自体も独断主義から逃れられていないと言う。それが「歴史の経験(the experience of history)」である。
It seems to us that what is called the “experience of history” is a bird’s-eye view of the history of thought, as that history came to be seen under the combined influence of the belief in necessary progress (or in the impossibility of returning to the thought of the past) and of the belief in the supreme value of diversity or uniqueness (or of the equal right of all epochs or civilizations). (p.22)
ここで、シュトラウスはアリストテレスの技術(テクネー)に対する態度を引き合いに出し、次のように語って進歩史観の根拠の疑わしさを指摘する。
Only a rash man would say that Aristotle’s view—that is, his answers to the questions of whether or not science is essentially theoretical and whether or not technological progress is in need of strict moral or political control—has been refuted. (p.23)
しかし、ここからシュトラウスは哲学についての新たな知見を得る。[少なくともここでは、この洞察が歴史主義とは全く無関係に生じてきたとは言えないであろう。そして、このような印象を持つことは上谷氏のようにシュトラウスの認識論的枠組みをまず明らかにしようとする動機につながる。]
...all human thought, and certainly all philosophic thought, is concerned with...the same fundamental problems... If the fundamental problems persist in all historical change, human thought is capable of transcending its historical limitation or of grasping something trans-historical. (p.23-24)
当然、ここで深刻な問題が生じる。すなわち、このような洞察のもとで自然的正は果たして成立しうるのかという問題である。
...there cannot be natural right if human thought is not capable of acquiring genuine, universally valid, final knowledge within a limited sphere or genuine knowledge of specific subject. (p.24)
ただ、ここではこれ以上追求されず、話は歴史主義が抱える自己矛盾に移る。
The historicist thesis is self-contradictory or absurd. We cannot see the historical character of “all” thought—that is, of all thought with the exception of the historicist insight and its implications—without transcending history, without grasping something trans-historical. (p.25)
この矛盾を打破しようとして、ようやく登場するのが急進的歴史主義である。彼らは以前の歴史主義による人間の生の理論的分析を拒否する。
The theoretical analysis of life is noncommittal and fatal to commitment, but life means commitment. (p.26)
開祖ニーチェとその後継者たちには、この危機に対処するため二つの選択肢がありえた。
[Nietzsche] could insist on the strictly esoteric character of the theoretical analysis of life---that is, restore Platonic notion of the noble delusion---or else he could deny the possibility of theory proper and so conceive of thought as essentially subservient to, or dependent on, life or fate. (p.26)
この二者択一において、ニーチェ自身はともかくとして、後継者たちは後者を選択する。[理論的歴史主義の批判からこの二者択一までが、文字通りシュトラウスにおけるニーチェ的モメントと言うことができよう。シュトラウスには前者の選択肢、すなわち「高貴な嘘」の使用、が通常宛がわれるが、それが理論と実践の区別の上になされた場合には、ザッカートのような解釈になる。しかし、それがセクト的エソテリシズムと結びついた場合には、ドゥラリーのようなマキアヴェッリ主義的解釈となり、そこからネオコンまでは一飛びである。どちらの解釈が字面どおりの解釈に近いのか、それを判断するためには、この二つの選択肢の意味を考えてみなければならない。そもそもこれらはシュトラウスによって全く恣意的に持ち出されたものではない。理論的歴史主義が抱えた矛盾は、その名が示すとおり、理論(普遍)と実践(個別)の概念上の区別を堅持しながら、あらゆる人間的思考の特殊性を主張したところにあった。したがって、この矛盾を解消する方法は突き詰めれば二つだけである。すなわち、理論と実践のアリストテレス的区別に立ち戻るか、それともニーチェの後継者たちのように理論そのものの領域を否定し去るか、である。もちろん、これは究極の二択である。われわれが普段耳にする議論において、ここまで切羽詰った問いがなされることは滅多にないし、そもそもこの二択になんらかの実際的意義が認められることもない(こういったことは、特に日本において彼の思想が真摯に省みられる機会に乏しい遠因となっているように思われる)。だが、そういった批判はまさに二の次である。彼の「歴史的理解」の原則に立ち戻るのならば、そもそもドゥラリーのような発想が出てくるはずもない。その意味で、上谷氏が行った認識論的考察が大きな重要性を帯びてくるのである。]

急進的歴史主義のテーゼは以下のようにまとめられる。
All understanding, all knowledge, however limited and “scientific,” presupposes a frame of reference; it presupposes a horizon, a comprehensive view within which understanding and knowing take place... [This] comprehensive view...cannot be validated by reasoning, since it is the basis of all reasoning. (p.26-27)
個人がいずれの世界観の下に産み落とされるのかは運命であるが、それは同時に受入れるかどうかの選択でもある。[その意味では『クリトン』のソクラテスについて、アテナイに産み落とされた当初は選択であったかもしれないが、死ぬ間際において親友からの脱獄の誘いを断ったのは判断であった、と言えよう。ここにも彼がシュトラウスによって政治哲学者とされた所以がある。] したがって、急進的歴史主義が受け入れられるかどうかも他のあらゆる思想と同じく運命に左右されるが、異なるのは運命によってそのことをはっきりと理解しているという点である。しかし、その他のあらゆる思想が運命に根源的に依拠しているのであれば、それが真であることを急進的歴史主義者はどのように知るのであろうか。一つの方法としては、歴史的な過程の中で絶対的瞬間を措定することである。
...there is a privileged moment, an absolute moment in the historical process, a moment in which the essential character of all thought becomes transparent. (p.28)
当然、理論的歴史主義の場合と同じ構造の矛盾が発生するが、急進的歴史主義者はそれを単純に運命と現実に帰すことで回避する。そして、この「歴史の終焉」において、知識の探求は知識へと昇華し、同時に「哲学の終焉」が告げられるわけだが、ここで再び大きな問題に直面してしまう。
[Historicism] stands or falls by the denial of solubility of the fundamental riddles. According to historicism, therefore, the absolute moment must be the moment in which the insoluble character of the fundamental riddles has become fully manifest or in which the fundamental delusion of the human mind has been dispelled. (p.29)
しかしこれでは、単なる非歴史主義的懐疑哲学(a non-historicist and skeptical philosophy)に堕してしまう。そのため、急進的歴史主義は哲学、すなわち「全体についての意見を全体についての知識によって置き換えようとする試み」(p.11, 30)そのものをも独断主義的ゆえに不条理なものとして葬り去ろうとする。その際、試みられた推論が以下のようなものである。

哲学の定義は、全体が知解可能であるという前提に立っている。知解可能であるということはすなわち、「存在(being)」を対象化することであり、裏を返せば対象化されえない、もしくは主観によって知解されえないあらゆるものを独断的に無視することにつながる。[ここにデリダ的な現前の暴力を見ることはできないであろうか?] したがって、「最高の意味において在ること(to be)」とは必然的に「恒常的に在ること(to be always)」を意味するようになる。急進的歴史主義が人間的生における「歴史性」の発見によって暴露したのが、まさしくこの哲学そのもの、哲学の本義に内在する独断性であった。ゆえに当然、この哲学の本義を前提とする自然的正も存在しえないことになる。では、どうするべきなのだろうか。
It compels us at the same time to realize the need for unbiased reconsideration of the most elementary premises whose validity is presupposed by philosophy... Prior to such reconsideration, however, the issue of natural right can only remain an open question. (p.31)
そこで省察されるのは、「歴史の経験」の発見によって歪められるものの、決して根絶されえない、善悪についての素朴な経験という基底的前提である。シュトラウスは、初期の(理論的)歴史主義から急進的(「実存主義的」)歴史主義へと展開する際に、「歴史の経験」が批判的分析に一度も曝されてこなかったことを指摘する。ただし、問題にされるべきは、その経験についての解釈の良し悪しではない。それは「歴史の経験」が、先にも述べたように、「正義とは何か?」というような根本的諸問題について、その非歴史(主義)的性質を疑わしいものにすることができないという事実である。ここから、本来の、ソクラテス的意味での哲学の再定義がなされる。
...philosophy is knowledge that one does not know; that is to say, it is knowledge of what one does not know, or awareness of the fundamental problems and therewith, of the fundamental alternatives regarding their solution that are coeval with human thought. (p.32)
[ここは、シュトラウスの哲学観について、最も明確に述べられた箇所であるといえる。何かについての問いかけをなすことは、それについての結論に至ることに常に先行する。その意味では、より根源的な営みである。そして、それは人間の思考と同じくらいに古い。未熟な言語体系しか持たなかった原始人は問うという営みを一度も行わなかっただろうか。もしそうであるならば、今生きている私たちが「進歩」について何かを語っていることはなかったであろう。何を語るにせよ、何かについては語ることはできる。それだけで、原始人も何か問いかけをなした十分な証拠にならないだろうか。シュトラウスが最も恐れたのは、何かついて、つまり重大な何かについて問うことすら、人びとが意義を感じなくなり、放棄してしまうことであった。そして、彼はその予兆をワイマール・ドイツに嗅ぎ取った。そこでは、彼が高く評価した哲学者までもが、「存在」を振りかざし、こともあろうに率先して問うことそのものを封殺しようとしたのである(少なくともシュトラウスにはそう映ったであろう)。これは、若き哲学者にとっては激甚な原体験となった。

自然的正についてもう二つ私見を述べておきたい。(あくまで私見なので、それぞれの文の最後に「と思われる」を補って読んでいただきたい。) このエントリの冒頭で、「全人類の合意」は自然的正にとっての必要条件ではないという旨の文を引用した。もし、自然的正が重要な問題について唯一無比の解答を与えてくれるものであるとするならば、それは有無を言わせぬ押し付けに堕してしまうであろう。(無論、社会正義は常に誰かに対する強制を伴う。その意味でコンヴェンショナリズムは正しい。シュトラウスが悪は決して根絶できないというのもここにつながる。したがって、正義は強制が伴わないとするのは欺瞞であり、その言葉尻だけを捉えてシュトラウスをあげつらうのは全く馬鹿げている。) しかし、今ここにいたって、哲学の再定義に直面するとき、自然的正はそのようなものではありえなくなる。われわれが知りうるのは、せいぜいがほとんど変わることがない選択肢のみである。(このことを否定する人間は、これまで幾度「結局は」とか「つまるところ」という言葉を用いてきたか思い返してみるとよい。) では、合意を前提としないとはどういうことであろうか? それは、人が重大な問いを発するときには、必ずしも他者の同意を必要とはしない、という意味である。われわれは誰しもが問いを発する権利を持つ。それが地球上でただ一人であるとしても。これがシュトラウスの生きた全体主義の時代にどれほどの重みを持ったのかは推して知るべしであろう。

もう一つは、彼がフッサールに倣って、前理論的(哲学的・科学的)生を取り戻そうとしたことや、パスカルを引用して、繊細の精神を幾何学の精神よりも優位においた点についてである。(RCPR, p.3) せっかくなので、『パンセ』の冒頭から一節引いてみよう。
…繊細の精神においては、原理は通常使用されており、すべての人の眼の前にある。あたまを向けるまでもないし、努力する必要もない。ただ問題は、よい眼をもつことである。眼を利かさなければならない。なぜなら、この方の原理はきわめて微妙であり、数も多いので、ほとんど見のがさないことが不可能なくらいだからである。ところで、原理を一つでも見落とせば、誤謬におちいる。だから、すべての原理をみてとるためには、よく澄んだ眼をもたなければならない。それから、既知の原理について誤った推理をしないためには、正しい精神をもたなければならない。(松浪信三郎訳)
例えば、われわれが倫理学のテキストを読むとしよう。そこからわれわれは何か幾何学の原理のようなものを学ぶのであろうか。そうではないだろう。われわれはそれによって自らの眼を訓練するのである。それも「正しい精神」でもって問いを発するために訓練するのである。(もちろん、「既知の原理について誤った推理をしないために」である。誤解なきよう。) しかし、もっと重要なことは、繊細の精神の原理は「あたまを向けるまでもないし、努力する必要もない」ということである。それは「すべての人の眼の前にある」。その意味では哲学者と非哲学者の差は(ほとんど)ない。むしろ、哲学者の方がより害をなすことがあるかもしれない、というよりも、「あった」。ただ、それならば、近代啓蒙を率いた哲学者たちは全く非難されるばかりであろうか。さすがのシュトラウスもそこまでは言わない。そうではなくて、彼らが非難されるべきなのは、まさしく繊細の精神を無視または軽視したからである。この状況はニーチェが哲学の伝統を破壊したのちも変わらなかった。ハイデガーに至っては、好転するどころか、危機的事態を生み出した。けれども、この素朴な精神は人びとから失われることはなかった。なぜなら、それは自然本性的に備わるものだったからである。われわれは自らの過ちに気付き疑問を感じれば、いつでも「正義とはなんぞや」と力強い問いを発することができる。それにこそ、シュトラウスが「善悪についての素朴な経験」を強調した所以があるのだ。彼は、自らが発見した唯一無比の秘教的正義を押し付けようとしているのではない。むしろ、正義について問うためには人間である以上の資格を必要としないことを人びとに想起させようとしているのである。歴史主義者は、近代哲学の壮大な建造物を打ち倒し、被い隠されていたあまりにお粗末な土台を見てあざ笑ったが、シュトラウスにしてみれば、彼らこそ自らの深刻な過ちに気付いていなかったのである。]

では、このような哲学に支えられた自然的正の可能性はどうなるのだろうか? そしてわれわれは何をすべきだろうか?
If the existence and even the possibility of natural right must remain an open question as long as the issue between historicism and nonhistoricist philosophy is not settled, our most urgent need is to understand that issue. (p.33)
そして、その手順はこうである。
We need, in the first place, a nonhistoricist understanding of nonhistoricist philosophy. But we need no less urgently a nonhistoricist understanding of historicism, that is, an understanding of the genesis of histricism that does not take for granted the soundness of historicism. (p.33)
したがって、本章以降、(あいだに事実と価値についての問題を挟むが、)第三、四章で「古典的哲学(非歴史主義的哲学)の非歴史主義的理解」が、そして第五、六章で「近代哲学(歴史主義の起源)の非歴史主義的理解」が試みられる。[裏を返せば、この第二章では、「古典的哲学および近代哲学(そもそも両者は歴史主義的視点からは同じ直線で結ばれる)の歴史主義理解」と「歴史主義的哲学の歴史主義的理解」が扱われてきたということになる。これが『自然権と歴史』の全体の構図である。]

最後に、シュトラウスは近代特有の「歴史的意識(the historical consciousness)」に対して、それ以前の、本来の「歴史」の意味に言及する。[この箇所も極めて重要であるので、読む側としては彼が一体何をしようとしているのか、正確に把握しなくてはならない。] すなわち、近代において発見された「歴史の経験」とは、実際には発見ではなく「創作(捏造)」、より正確には、諸現象についての恣意的な解釈ではなかったか、と問うのである。
I suggest this line of approach. “Historymeant throughout the ages primarily political history. Accordingly, what is called the “discovery” of history is the work, not of philosophy in general, but of political philosophy. (p.34, 以下同じ)
この箇所は特に時制に注意して読まなければならない。先入見は禁物である。二番目の文では、「(カッコつきの、すなわち本来の意味での)「歴史」とは…主として政治史を意味した」とあるが、「意味した」と過去形になっているということは、少なくとも現在ではこのことが通用していないということが強調されている。そして、この伝統は近代において歴史が「発見」される際に、ある影響を残した。それは、「歴史」が(元来)政治についての歴史であったがために(accordingly)、その「発見」は哲学一般ではなく、政治哲学によってなされた、ということである。もちろん最後の文は現在時制であるが、ここでは単に現在でも通じる歴史的事実の述べているだけである。誤解してはならないのは、ここで言われている政治哲学が近代政治哲学(われわれが通常の意味で理解するそれ)を指している、ということである。つまり、第四章で登場するソクラテス的な政治哲学ではない。
It was a predicament peculiar to eighteenth-century political philosophy that led to the emergence of the historical school... The crisis of modern natural right or of modern political philosophy could become a crisis of philosophy as such only because in the modern centuries philosophy as such had become thoroughly politicized... Since the seventeenth century, philosophy has become a weapon, and hence an instrument.
したがって、近代政治哲学に特徴的に齎された苦境こそが、歴史学派の出現を導いたのである。しかし、問題はそれだけで終わらない。すなわち、近代自然権の危機およびそれを扱った政治哲学の危機は、同時に哲学そのものの危機へと波及する可能性を帯びていたのである。どうしてか? それは、近代において哲学は(政治的な)武器すなわち道具として用いられ始めた(「哲学の政治化」)からである。政治哲学への疑いの目は、その元となる哲学そのものへと向けられることになった。[ここまで来ると、先の箇所で、どうして「政治史」が過去形で語られていたのかが理解できるだろう。われわれが通常理解する政治哲学は近代において哲学が政治化された、近代に特有の営みである。したがって、それ以前においては、政治的な事柄や出来事は哲学(シュトラウスの再定義を想起せよ)としてではなく、歴史として語られるべきものであった。その意味で、彼は「歴史の経験」を「創作(捏造)」と呼ぶのである。] もちろん、古代においても哲学者が政治について語ることはあっただろう(プラトンの『法律』やアリストテレスの『政治学』)。しかしそれは、シュトラウスにとっては哲学者固有の資格においてではなかった。その誤解が、近代における近代政治哲学の批判者たちにとって大きな過ちの原因となったのである。
It was this politicization of philosophy that was discerned as the root of our troubles by an intellectual who denounced the treason of the intellectuals. He committed the fatal mistake, however, of ignoring the essential difference between intellectuals and philosophers. In this he remained the dupe of the delusion which he denounced. For the politicization of philosophy consists precisely in this, that the difference between intellectuals and philosophers...becomes blurred and finally disappears.
最初の「知識人(an intellectual)」は、(本書では)ルソーもしくはバークを指している。単数形になっているのは、それぞれが異なったやり方で批判を行ったということを意識してのことだろう。そして、後の「知識人ら(the intellectuals)」は、(本書では)ホッブズとロック(と彼らの先駆者としてのマキアヴェッリ)を指す。彼らは、その思想的連続性のために複数形が宛がわれる。「知識人」はそれぞれのやり方で「知識人ら」の近代政治哲学を批判したわけだが、それも近代政治哲学の枠組みを決定的な点で乗り越えるもの(知識人と哲学者の区別)でなかったがゆえに、「近代性の波」を押し止めるには至らなかった(ルソーは逆に、現世において理想を実現させようとして歴史意識を導入し、かえって流れを加速させている)。
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『キリスト教の本(上)(下)』

『キリスト教の本(上)(下) Books Esoterica 15, 16』(学習研究社、1996)

1-4c: グノーシス派(至高者との本質的同一の悟り(認識=グノーシス)・霊肉[善悪]二元論・救済的神話観『ナグ・ハマディ文書(1945年にエジプトで発掘)』『トマスによる福音書』)→ナハシュ派・ウァレンティノス派、マニ教(3c、イラン)
⇔イレナエウス(c130-c200)『異端反駁論』、テルトゥリアヌス(c160-c222)『キリストの肉について』「不合理なるがゆえに信ず」
2cM: マルキオン派(グノーシス派→愛の神・キリスト仮現論、ドケティズム)
156/7(172/3)-5/6c: モンタノス派(終末論・神憑り的聖霊)
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BC1cL-1cE: 『七十人訳聖書(ギリシア語訳)』(「律法」+「(旧約)外典」)→これ以外を「(旧約)偽典」
c90: 『聖書(ユダヤ教正典)』(「律法」+「預言者」+「諸書」)
2cL: 『聖書(ギリシア語原典)』(「旧約」+「新約」)
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313: ミラノの勅令【コンスタンティヌス帝】
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325: ニカイア公会議(ニカイア信条・キリスト両性論)
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381: コンスタンティノープル公会議(内在的三位一体論⇔経綸的三位一体論)→アウグスティヌス(354-430)『三位一体論』(精神、認識、愛)
アタナシウス(c296-373)派(キリストと神の同質homoousios)・アレクサンドロス(c250-c328)⇔アリウス(c250-c336)派(類質homoiousios)
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392: ローマ国教化【テオドシウス帝】
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397: カルタゴ公会議(『聖書(ギリシア語原典)+第二正典<旧約外典>』が正式に正典化)→これ以外を「新約外典(アポクリファ)」
405: ヒエロニムス(342-420)によるラテン語訳『ウルガタ』(→1546: トリエント公会議において標準聖書とされる)
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410: ペラギウス(c360-c420)論争(原罪を否定し自由意志、人間の努力の可能性を強調)⇔アウグスティヌス(原罪を前提として自由意志を確認→神の恩寵の絶対的不可欠⇒ルター(1483-1546)による厳格化、ヤンセン(1585-1638)による自由意志の否定→パスカル(1623-1662))
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411: カルタゴ公会議: 秘蹟の効果について(311: フェリクスによるカエキリアヌスの叙階秘蹟)⇒人効論(ドナトゥス[急進]派)vs.事効論(アウグスティヌス→カトリック教会の絶対的立場)
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4/5c: エウテュケス(キリスト単性論)
5cE: ドナティズム紛争(北アフリカの農民や都市下層民による非寛容の精神運動)
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431: エフェソス公会議(聖母マリアの処女懐胎と聖誕説)/キュリロス(?-444)⇔ネストリウス(c382-c451)(聖母マリアを「キリストの母」)
* ネストリウス派: 4cのコンスタンティノープルの総主教ネストリウスを教祖とする。東シリア(アッシリア)教会とも。ネストリウス派系の他に、単性論派系と東方典礼カトリック教会系がある。
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451: カルケドン公会議⇔ネストリウス派(→7c: ペルシアのアラボンによる大秦景教)、コプト派(エジプト、アレクサンドリアの総主教ディオスコロス)・ヤコブ派教会(シリア、エデッサの府主教ヤコブ・バラダイオス)・アルメニア教会(以上、キリストの神性を強調する単性論派)の異端確認
* エチオピア(アビシニア)教会: コプト派系単性論派教会。安息日や割礼などユダヤ教的伝統も残る。
* 東方典礼カトリック教会: マロン派(レバノン、元来は単性論派)、マラバール教会(インド、ネストリウス派の末裔)
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1215: 第4回ラテラノ公会議【教皇インノケンティウス3世】: 「化体説」の公認
ヴァルドー派(教会不服従主義の団体「リヨンの貧者」)・カタリ(アルビ)派(グノーシス的善悪二元論)の異端弾圧⇔アルビジョア十字軍(1181)
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* ハリトリス正教会(ギリシャ正教)=「神聖正統使徒伝承東方教会」
* イスタンブール(エキュメニカル総主教、総代)、アレクサンドリア、ダマスカス(旧アンティオキア)、エルサレム、モスクワ、ソフィア、ベオグラード、ブカレスト、トリビシの各総主教庁+アメリカ正教会、日本ハリトリス正教会などの独立系教会
* 聖職は、主教(総主教、府主教、大主教、主教)、司祭、輔祭。主教は独身の修道士、司祭・輔祭は妻帯者でも可。独身の司祭(修道司祭)は、掌院や典院などとも呼ばれる。
1573: ルター派の使節がコンスタンティノープルの総主教エレミアス2世に接触→正教の一部がカトリック化(ユニア教会)
⇔同総主教キュリロス・ルカリスによる護教のための反カトリック主義(1629年に信仰告白書)
⇔キエフの府主教ピョートル・モギラによるカトリック色の強い『正教信仰告白』(1640)
* エルサレムの総主教ドシオテウス→中間派
* アトス山の修道士ニコデモス・ハギオリトとコリントの府主教マカリオスの共著『フィロカリア』(1782)→信仰復活運動へ
* 静寂主義: グレゴリオス・パラマス(1296-1359)→V・ソロヴィヨフ(1853-1900)、N・ベルジャーエフ(1874-1948)などに影響
* ニーコン(1605-1681): 1652年、モスクワ総主教。教会改革に奮闘。
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1933: マルティン・ニーメラー(1892〜1984)が反ナチズム抵抗運動を組織
1934: カール・バルト(1886-1968)によって起草された「バルメン宣言」によりナチズムを糾弾

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* 「アグラファ(書かれていない)」: イエスの語録。マタイ・ルカ両福音書に流れ込む「Q(quelle)文書」など。

*「使徒教父文書」(正典に準ずる位置付け)
『クレメンスの手紙T』『クレメンスの手紙U』『イグナティオスの7つの手紙』(教会史上、初めて「キリスト教」の言葉を用いた)『バルナバの手紙』『ヘルマスの牧者』『ポリュカルポスの手紙』『ポリュカルポスの殉教』『十二使徒の教訓(ディダケー)』『パピアスの断片』『ディオグネトスへの手紙』

*「新約外典(アポクリファ)」
1. 外典福音書
a. ユダヤ人キリスト教徒の福音書: 『ナザレ人福音書』『ヘブライ人福音書』『エビオン人福音書』
b. グノーシス主義者の福音書: 『トマス福音書』『ピリポ福音書』『真理の福音』(以上、「ナグ・ハマディ文書」)『エジプト人福音書』
c. 正典を拡張した福音書: 『ヤコブ福音書』『ペテロ福音書』『ニコデモ福音書(ピラト行伝)』『トマスによるイエスの幼児物語』『アブガル王の物語』『外典ヨハネ福音書』『ピスティス・ソフィア』
2. 外典行伝: 『ペテロ行伝』『パウロ行伝』(マニ教徒に採用)『ヨハネ行伝』『トマス行伝』(以上の二、グノーシス主義的)『アンデレ行伝』
3. 外典書簡: 『パウロとコリント人との往復書簡』『ラオデキア人への手紙』『セネカとパウロの往復書簡』『偽テトスの手紙』(プリスキリアヌス派の禁欲主義)
4. 外典黙示録: 『パウロ黙示録』『ペテロ黙示録』(ダンテ『神曲』の一部モチーフ)『トマスの黙示録』(マニ教徒もしくはプリスキリアヌス派)『イザヤの殉教と昇天』『シュビラの託宣』『エルケサイの書』
5. その他
a. 詩歌: 『ソロモンの頌歌』『ナハシュ(蛇)派の詩篇』(グノーシス主義の一派)
b. 祈祷: 『使徒パウロの祈り』(グノーシス主義)
c. 教え: 『ペテロの宣教』

* パピルス断片: 「オクシリンコス・パピルス」「エジャトン・パピルス2」「カイロ・パピルス」「フェイユーム・パピルス」

==========
* 聖ヴァレンティヌス(?-270): ヴァレンタイン・デーのもとになった聖人。癲癇のときの守護者。中世のころより、友人と恋人の守護者。祝日は2月13日ないし14日。
* 聖カタリナ(3c): 車大工・粉屋のほか、大学哲学科の守護聖人とされる。ローマ皇帝の面前で50人の哲学者を論駁し、車裂きの刑に。祝日は11月25日。
* 聖ニコラウス(270-343): 適齢期の処女の守護聖人、航海における救難聖人、子供や学生の守護聖人。サンタクロースのモデル(オランダ語読み、父親が持参金を用意できなかった三人の娘に夜中に窓からこっそりとお金を投げ込んだ逸話から)。祝日は12月6日。
* 聖マキシミリアノ・コルベ(1894-1941): ポーランドの司祭。1930年には東洋宣教のため長崎を訪問。ナチによってアウシュビッツへ収容され、ガヨヴィニチェクというポーランドの軍曹の身代わりとなって、餓死監房へ。同時に入れられた他九名の臨終を見送ったのち、薬物注射にて殺害。教皇ヨハネ・パウロ二世は「愛の殉教者」として称賛。祝日は8月14日。

[マニアックなところでは、家政婦(聖ジダ)やスケーター(聖リドヴィナ)の守護聖人なども。人びとの尊崇の念が真摯なものでも、これだけ多いとやっぱりプロテスタント諸派はもちろんのこと、ユダヤ教やイスラム教に比べても格段にゆるい感じが(教会運営の巧みさか…)。また、古代異教の地母神信仰に一部ルーツを辿ることができる聖母マリア像にも例に洩れずさまざまな守護的役割が当てられている。]

* グノーシス主義を始めとする秘教的なマリア解釈、「聖なる王(男神)」と「聖なる女王(女神)」との「聖婚」、そしてその「子」としてのイエス・キリストというような解釈は、抑圧された女性原理(といっても、ここでも女性・母がうつろいやすい魂と肉の由来であるとして劣位に置かれている)の救済、および双方の原理の満ち足りた再統合がテーマになっている。
* 12世紀の神学者ペトルス・アベラルドゥス(アベラール)によれば、聖歌『Ave Maria(マリアに幸あれ)』のAveはイヴ(Eva)の倒語で、彼女がもたらした原罪をマリアが贖ったとするオカルティックな説を主張した。
* 東方正教会ではマリアはその意志と信仰のわざでイエスを受肉したとされるために、彼女を「人類全体の代表」「真理の体現者」「生命の源」と見なす。カトリックに比べて、古代地母神信仰により近い。プロテスタン諸派はマリア信仰を拒否。
* 1854年、時の教皇ピウス9世により、民間信仰を追認する「聖母無原罪のお宿り」の大勅書が出される。これによって、マリアはキリスト教の女神の資格を「公的に」得たことになる。19、20世紀、各地で「聖母出現」の奇跡が起こる(1830年のパリの見習い修道女カトリーヌ・ラブレーによる「奇跡のメダル」、1858年のベルナデット・スビルーによる「ルルドの泉」、など)。

I・ベッグ(林睦子訳)(1994)『黒い聖母崇拝の博物誌(1985)』三交社
上山安敏(1998)『魔女とキリスト教: ヨーロッパ学再考』講談社学術文庫
関一敏(1993)『聖母の出現: 近代フォーク・カトリシズム考』日本エディタースクール出版部
竹下節子(1994)『パリのマリア: ヨーロッパは奇跡を愛する』筑摩書房
posted by ta at 19:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 文献レヴュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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