2009年02月18日

田中『ソクラテス』/中野『ソクラテス』/保坂『ソクラテスはなぜ裁かれたか』

田中美知太郎(1957)『ソクラテス』岩波新書
中野幸次(1967)『ソクラテス (Century Books 人と思想 3)』清水書院
保坂幸博(1993)『ソクラテスはなぜ裁かれたか』講談社現代新書


ソクラテスの生と死に関わるものについて簡単なものを三冊。まず、田中のスタンダードな入門書から。常識的な解釈と思えるが、やはりプラトン的イデアのイメージが強いためであろうか、本書で論じられているような、愛智もしくは探求としての哲学、人々のドクサに対するいわば創造的破壊といったソクラテスの営みは現代ではほとんど看過されているように思える。

* ソクラテスは、一面において、エウリピデスと同じような、一個の読書家であって、更にまた気に入った言葉があれば、それを抜書きするようなことまでしていたわけなのであるが、他面においては、読書というものを、言わば教室の演習の如く、教育的にも利用していたということになる。/ソクラテスは単なる実践家ではない。アリストパネスが、かれを「プロンチステーリオン」(思索所)の主人に選ぶことができたのも、かれにこのような読書家の一面があったからであろう。(p.65)

* …自分が何かをくわしく論述する場合には、誰でも承認できる事実を通して、論旨を進めていくのが常であった。それはこれが議論として、最も危険のない着実な方法であると信じていたからである。それだからこそ、…かれの議論が、誰のよりも、聴き手の賛同を博したのである。(クセノポンの言、p.71)

* ギリシア人が神々やダイモンと共に住んでいたのは、われわれがわれわれの言行や意識を、コンプレックスやリビドで説明したり、あるいは社会の構造や階級対立の関係によって、決定されると考えたりするのと、あまり違ってはいなかったのである。そしてわれわれの方が、どれだけ賢明であるかということも、すくなからず疑問であるように思える。われわれの存在は、われわれが意識し、言行に現わしているものよりも、もっと深いところから成立している。だから、われわれの意識的生活は、いつも思いがけぬ仕方で中断され、その統一性を失う危険にさらされている。われわれはこの不安を、意識的生活の立場で解決するために、神話的な説明を工夫し、これを今は科学的な感じの言葉に言い直したりしているが、われわれの存在は、それらの説明よりも、もっと深いものではないかと思う。われわれがソクラテスのダイモンにおいて、ふと感ずるのも、何か存在のそういう深さであり、そういうところからの呼びかけのようなものなのではないだろうか。(p.106)

* ソクラテスの生活は、恐るべき束縛と制限の下にあったと言わねばならない。しかしそれらの束縛は、かれ自身の必然に属し、それらの束縛が、かれ自身だったのである。そしてそのことによって、かれはまた真の自由をもっていたとも言われるであろう。…われわれは…これ[必然の拘束]を、…絶対的な他者に帰し、これを他者にゆだねるところに、われわれ自身の安心を見出すことができるかも知れない。(p.118)

* 「金銭をどれほどつんでも、そこからすぐれた精神が生まれて来るわけではなく、金銭その他のものが、人間のために善いものとなるのは、精神のすぐれていることによる」という言葉は、「金銭から徳が生ずるのではなくて、徳から金銭その他の善きものが生ずる」という風に誤訳されることがあるが、これこそ低俗の精神主義というものであろう。…かれの言おうとしていたことは、金銭や名誉は、必ずしも人を幸福にするものではない。それらが人間の幸福に役立ちうるためには、何かすぐれた精神を必要とするだけのことなのである。(p.159)

* …ソクラテスのいう無智は、何も知らない、全くの無の知というようなものではなくて、かえって何でもないものを、何かであると思い、大切なことを、何でもないと考える、一種の思い違いであり、間違った信念の如きものであると言うことができるであろう。/従ってまた、智を愛し求めるということも、漫然たる知識欲のことではなくて、自他における、このような無智との戦いであり、その間から、正しい評価を回復しようとする努力であると言わねばならない。/…智を神にのみ認めたかれは、人間には、ただ愛智のみを許した。…愛智としての哲学は、ソクラテスに課せられた神聖な義務であると共に、そこにひらかれた途は、人間一般にとっての、最高のよろこびを与えるものなのであった。哲学とは、徳その他について談論によって、たえず自他を吟味することに外ならなかった。(p.170-171)

* いわゆる理論などというものは、ソクラテスのいう最も大切なものを忘れているのに、あらゆることを解決し得るかのように自負している点で、無智の最大なるものと呼ばれるであろう。最良の理論は、われわれの無智についての、自覚と反省から生まれて来るものでなければならない。神のみが智なのであって、人間に許されているのは、むしろ愛智なのである。われわれは自他の言行を吟味しながら、何かそれらを根本において支配しているものが、いつわりの善を信ずる恐るべき無智ではないかと、絶えず目をさましていなければならない。ソクラテスの問答は、このような目的のためになされるのであって、単なる概念定義のためになされているのではない。(p.179)

* …ソクラテスの経験では、最小限度の政治的接触においても正義をつらぬくということは、つねに生命の危険を覚悟しなければならないことなのであった。…正義を守り、あるいは正義のために戦うのには、少しでも生き永らえて戦うためには、できるだけ政治を回避しなければならぬというのが、のこされた唯一の可能性である。/しかしながら、ソクラテスの哲学は、人々への呼びかけであり、本来において政治的であったものが、ダイモンの禁止によって、哲学へ屈折させられたようなものなのであるから、政治を回避するということは、やはり矛盾であった。(p.208-209)

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次も入門書であるが、全編にわたって筆者の「死命の思想」というテーマが貫かれているので、純粋な入門書ともいえない。(まあ、純粋な入門書なるものがこの世にあればの話だが…)

* [『クリトン』での国法との対話を引いて、]これがソクラテスのアテナイを去らない一つの理由であった。その意味でかれは、魂の不滅という、ペリクレスとは違った視角をもっていたにせよ、アテナイの民主政治を、まっこうから否定するものではない。むしろ祖国を愛し、その愛がたんなる感情的なものではなく、アテナイの誇る自由と平等への理念の愛着をふくんでいたといえよう。(p.50): 一般に流布しているような「悪法も法なり」ということではないのだろう。また、祖国を愛するといってもその姿勢は決して妄信的なそれではない。だからと言って、アテナイの自由と平等への愛着も過度に強調することもできない。もちろん、他者の内面をゆさぶる究極のイロニーをその死に求めることもできるだろう。けれども、やはり、祖国によって産み落とされ、七〇の高齢になるまで養い育てられた人間の「責任」の二文字をソクラテスの最期に見てみたい。

* ほんとうに生命を軽いと思える人間は、幸せの望みをたたれ苦悩のなかにあえぐもののなかにはいない。運命の逆転の恐れるもの、逆転によってこの世の幸せが大きくゆらぐ恐れをもつ場合にのみ、人は生命の危険を忘れることができる。人の世の幸せとは、死すべきときには、死にふさわしい至高のいわれをもつことである。そうして、悲しむべきときには、なによりも貴いなげきをもつことである。(p.54-55): 京大の某教授が狂喜しそうな死生観である。ただ、ポリス的エートスとしてはいいだろうか、ソクラテスにまでこれをあてはめるのはいかがなものか。

* ギリシア人がソクラテスをことさらに奇異に思うのは自然であった。ソクラテスの顔は美男子でないにもかかわらず、かれの魂は美しかったからである。ギリシア人にとって、美しい魂は美しい肉体につつまれていなければならなかった。ニーチェによれば、ソクラテスは「醜かった最初のヘラス人」であった。かれの考えによれば、「醜さはそれ自身」ひとつの「反抗」である。それはギリシア人の間にあってはむしろ「否定」である。その意味でソクラテスは、最初の現代人、すなわちデカダンであったといえよう。/ニーチェの解釈は鋭い。顔の評価から現代をのぞかせる。反抗はみずからの意思によって顔を醜くし、たんなる調和の美を否定しようとする。(p.81): ソクラテスのイロニーというのも、注意して用いなければ、なかなか危うい概念である。ソクラテスのような節制を弁えた人だからこそ、というべきなのだろう。ただ、「天性の醜さが魂の醜さを作るものではない」というのは現代ではもはや通用しないのかもしれない。

* プラトン哲学の生命は、「書かれない哲学」としての詩と、断定しない探求の可能性をいつも残している点で、まさに「哲学の未来像」を先取りしていた。/だからこそ、プラトニズムとなって、イデアリスムス(理想主義)の典型を、われわれはいまだに啓示できるのである。(p.155): 「書かれない哲学」とイデアリスムスの典型は、果たして両立するものなのだろうか? なんとなく著者が折衷的に解釈しているように思えてしかたない。

* …ソクラテスが思想をもつことは、…死の運命にあえて突入することであろう。/したがって、この意味では、だれでも思想をもてるわけではない。しかしそれは死の危険にさらされるからだとすれば、その危険にさらすものとはなにであり、だれであるかは問題である。それとも、思想とは、その時代の特定の人にしかわからず、したがって敵を作り、究極的には歴史の眼にしか判断を下せないものであろうか。もしそうなら、思想家はいつの時代でも、悲劇的生涯をたどる、といわなければならない。それはおかしなことである。人類はそれほど無知ではあるまい。しかし、ソクラテスの思想が、二千数百年をへた今日でも、われわれの胸中をえぐり精神をゆすぶるのは、その証拠ともいえよう。(p.165-166): なかなか難しい問題である。「民主主義の擁護者は、民主主義の太鼓持ちであってはならない」が、それが思想家の単なる独りよがりであるかどうかも、厳しく見極めなければならない。

* ソクラテスの一回的運命の自覚は、かれの生涯にしかれた直線のレールのようなものであった。カントが地上の道徳律と天空の星を美しいと直観したときのように、あるいはデカルトがコギトの理論「われ思う、ゆえにわれあり」を発見したときのように、「なんじ自身を知れ」はソクラテスの全身をつらぬいたであろう。それからのソクラテスの道は死のゴールへと一直線に走るようである。(p.169)

* ソクラテスは思いつきで、あきらめをもって、情感に流されながら、死を抱擁したのではない。全生涯を賭して、生を死の準備としながら、全行動とすべての言葉を、選出しつつあったのである。死は身近にあり、いかなる人生も死の幕に閉ざされるからといっても、生を死に転換させること以上の決意はない。ソクラテスの哲学と人生は、「死の先取型の規範」であった。それはけっして自殺ではなかったのである。(p.188-189): これが著者の言う「死命の思想」であるが、ソクラテスの思想をこのように実存主義的に捉えてしまうと、誤解を招く恐れがある。死の先取りはなにも偉大な哲学者のみに許されているものではない。しかし、だからといって、それを自覚する全員がソクラテスのような「無知の知」という究極的な自己知を持ち、敬虔によって支えられ、他者に対する使命感に満ちた生を送るわけではないだろう。死の先取りは、ソクラテスの思想にとって必ずしも本質的な部分を形成するわけではないのである。

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果たして、古代ギリシアにおける哲学は宗教との本質的断絶によって生まれてきたものなのであろうか? 最後の本は、ソクラテス裁判を通じて、哲学・ロゴスに支配された古代ギリシア観を宗教的・人類学的視点から捉えなおす試みである。一昔前に流行ったような記憶があるが、先の二冊にもあったように、哲学者ソクラテスに宗教的・神秘主義的本質を認めるのはもはや常識の範疇である。むしろ、このことは哲学がそれ自体で根拠を発見することの難しさをおのずから語るのかもしれない。そしてまた、古代・中世キリスト教が、新プラトン主義、アリストテレス主義を宗教的に脱色せねばならなかった理由もここにあるだろう。われわれが現代において見る古代哲学者の姿はいくぶん歪曲された形でしかないのである。

* …人類が歴史上のある時点で約束事を取り交わしたといっても、そのような取り交わしの集会が、いつどこで行われたかを、だれ一人証言するものはない。つまりそれはなるほど宗教的仮説を追い払うことには成功したかもしれない。が、新たに、別の架空の話を、しかも宗教的なものと比べてはるかに幼稚な仮説を法律の起源としてもちだすという、きわめて皮肉な結果に終わったのであった。/この事情は社会契約説以外のどんな節にも共通しているように思われる。合理主義はいかなる説明を持ち出しても、法律的権威の最終的な根拠を提供することができていない。それどころか、多くの場合、合理主義は、悪くすると、単なる言葉のすり替えであり、同義反復的な言葉の遊戯をして、人間が自己満足をしているのだと、揶揄されかねない状況である。(p.72)

* テミスという言葉はあいかわらずあった。しかし、その言葉の、紀元前五世紀における用例を見ると、テミスという言葉の…意味は、ただ単に「…するのが慣習である」という意味であった。テミスは「慣習」、「慣例」の意味の普通名詞に用いられているのである。/先史時代に規範の意味を示した「掟」や「しきたり」の宗教的性格が失われて至極平板な意味合いで、社会に通例の「慣行」、「慣習」の意味に変わったのである。/「掟の神」テミスは消えてしまったのである。(p.113-114): ここに先のハイニマンの著作にあったような、ピュシスとノモスの価値転倒を見ることも可能だろう。

* ソクラテスをそれ以前の哲学から切り離して、ソクラテスから新たな人間的な段階が始まったとする解釈の中には、おそらく、キリスト教的なヒューマニズムが介入しているのではないだろうか。…事実、プラトンやソクラテスを、古代ギリシアのいっそう古い時代の宗教状況と結びつけるのは、キリスト教にとって、きわめて危険な試みである。(p.167): 依然傾聴に値する指摘である。

F・M・コーンフォード(廣川洋一訳)(1966, 87)『宗教から哲学へ: ヨーロッパ的思惟の起源の研究(1912)』東海大学出版会
Harrison, Jane E. Prolegomena to the Study of Greek Religion. 3rd ed. Cambridge: Cambridge UP, 1922.

* …西洋の哲学史がこのように重要視してきたプラトンのイデア説は、決してプラトン自身にとって思想の中心課題であったと見ることができない。それは、どちらかといえばプラトンの思想が生み出した副産物とよぶのがふさわしいものである。…その証拠として、プラトンの著作の中に「イデア論」を中心テーマとして据えた著作は一つもないということを挙げておこう。(p.178): この著者の見解は、言うまでもなく、後生の人間がプラトンをあまりにも形而上学的に捉えたことに対する警句である。ニーチェやハイデガーはむしろプラトンの亡霊を批判していたといえるのかもしれない。

* …プラトンが描いているソクラテスの合理性は、背後に非合理的なものや非論理的なものを重ねもっている。ソクラテスは議論に結論を求めたことがなかった。ソクラテスが追求したものは、決して、論理的整合性でなかったのである。/プラトンが描いた対話篇の中でソクラテスは「自分はいわゆる人間理性によって発言しているのではない。むしろ、なにか神霊のような、自分ではないある高い存在が、自分をつき動かしているのだ」という趣旨のことを再三語っている。(p.199): われわれは哲学者ソクラテス像を見過ぎてしまっている。その意味では、近代合理主義はわれわれの視野を広げるものではなく、かえって狭めてしまっているのである。
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ハイニマン『ノモスとピュシス』

F・ハイニマン(廣川洋一ほか訳)(1983)『ノモスとピュシス: ギリシア思想におけるその起源と意味(1945)』みすず書房

本書の目的は、ノモスとピュシス(以下、N-P)のアンティテーゼ(以下、AT)の起源を解明する手がかりをヒッポクラテスの『空気、水、場所』(複数の手が加えられている)に求め、前五世紀末以来このATが広く用いられるようになった背景を探ることである。そのため、以下のような手順を踏む。@ノモス−ピュシスの概念結合が生じた精神的ならびに時間的範囲の確定(第一章)、A仮象と真理(カール・ラインハルトによるパルメニデス解釈からN-Pの起源とされたもの)のATとN-PのATが、いかにして思惑と真理のATに使われるようになったかの説明(第二章)、BそのATをソフィストがいかにして、倫理学と政治学、言語哲学と認識批判の領域へと転換していったかの説明とその他誤用の弁別(第三章・第四章)、である。以下に、目次を示しておく。

第一章 民俗学におけるノモス−ピュシス (p.7-40)
第二章 ソフィストのN-PのATの前史 (p.41-129)
  第一節 初期ギリシア思想における仮象と真理 (p.42-64)
   a) 言葉と行為
   b) 名前と現実
   c) 仮象と存在
   d) 結論
  第二節 ノモス (p.64-104)
   a) 初期思想におけるノモス
   b) ノミゼイン
   c) 前五世紀啓蒙主義の言語におけるノモス
   d) 「真理」の対概念としてのノモス
  第三節 ピュシス (p.105-129)
   a) ソクラテス以前
   b) 自然科学的・ソフィスト的ピュシス概念
   c) 「仮象」の対概念としてのピュシス
第三章 ソフィストにおけるN-PのAT (p.130-189)
  第一節 プロタゴラスと哲学的ノモス概念 (p.130-147)
  第二節 自然法則とノモス (p.148-171)
  第三節 N-PのATの適用 (p.171-189)
   a) 文化発生論
   b) 認識論
   c) 言語哲学
第四章 ソフィストのATを克服する端緒 (p.190-198)

第一章で吟味される、ヒポクラテス派の『空気、水、場所』(c430, 以下、論考) 第二部では、民族学的見地から諸々の民族の身体的(人為的な奇形も)・精神的(心理的)特徴を比較し、その違いの原因を気候と地勢(ピュシス、とそれに影響を受けた生活習慣)もしくは共同体的秩序(ノモス)に求める原因論的探求がなされる。「生得の素質(ピュシス)もしくは習慣(ノモス)によって大きな相違点がある種族について、その実態を述べよう。」(p.9) したがって、後代に見られるような、N-Pそれ自体に内在する価値評価は未だなく、両者は相補的関係にある。しかし同時に、本来的な素質(ピュシス、ここでは貧困や自由)以上に、ノモスによって「獲得された勇気の徳(アレテー・エパクトス)」(p.32)、ギリシアのポリスにおける教育とその精神的態度を称賛する政治的意図も含まれていて、ここから、N-Pの最初の定式化が、ペルシア戦争勝利への反応として、「前五世紀中葉頃」(p.37)に現れたと推定されるのである。よって、N-Pの概念は本来ギリシア人の民族感情から生じてきたものであった。

第二章は、前ソフィスト的ATの解説で始まる。まず、言葉(ロゴス)と行為(エルゴン)の結合が挙げられる。本来、倫理的に中立であったが、そこから後者が「現実的なもの」として高く評価し、前者を低く見る態度が生じてきた。次は、名前(オノマ)と事態・実際(エルゴン)のATである。この冒頭で述べられる叙事詩での二重の名前の問題については、どうも文章のつながりが読み取りにくく、理解するのに苦労した。要は、叙事詩においてはある現象を指して、神と人間それぞれに通用する名前があったが、後者のほうが言語探求を行うことが困難であったがために、詩人たちは前者のほうを「より正しい」名前として認めた、ということである。これに対して、後生の哲学者らによって合理的な言語考察が行われたが、ハイニマンが最初に挙げるのは以下の三つの断片である。

* クセノパネス「そしてイリス(虹の女神)と彼らが呼ぶもの、これも本来は雲である、紫に、虹に、黄緑に見えるところの。」
* アナクサゴラス「雲において太陽の光を反射するものをわれわれはイリスと呼ぶ。」
* エンペドクレス「彼らの呼び方は正しい掟の許すものではないが、しかし慣例(ノモス)にしたがって私自身もそう言う。」

これら三つの断片はいずれも、言葉と観念(概念・表象・見解)の一致が前提とされている。つまり、言葉は物そのものを直接指し示すのではなく、観念の表現(「呼ぶ[カレイン]」)ということである。例えば、クセノパネスの断片では、「現象α」←「観念としてのイリス」←「表現としてのイリス」という構図の中で、前二者の意味連環を否定し、「現象α」←「観念としての雲」という正しい(とクセノパネスが考える)連環にとって代えようとする意味が込められている。したがって、「表現としてのイリス」から人びとの思惟に「観念としての雲」ではなく「観念としてのイリス」が存在することが当然視されているわけである。「初期時代の思惟にとっては、観念は表面に現れるところでのみ、すなわち、まさに言語において把握されるがゆえに、名称と概念が同一なものであるからである。」(p.50) 残りの両断片の場合も、言葉と観念の一致の前提という点では同じだが、クセノパネスの批判とは多少色合いが異なる。アナクサゴラスは、「現象α」←「観念としてのイリス」←「表現としてのイリス」の前二者の意味連環を否定するが、さらに「表現としてのイリス」を別の「そのもの」に接続し、「現象β」←「正しい観念としての雲において太陽の光を反射するもの(エンペドクレス)」≒「誤った観念としてのイリス(ギリシア人)」←「表現としてのイリス」という新たな意味連環を構築している。逆にいえば、観念と表現の間に分離の可能性を認めていることになろう。もちろん、それは観念と言葉との正しい一致を前提としての可能性ではあるが。同様に、エンペドクレスは言葉とその背景にある観念の正しさ(「正しい掟」とエンペドクレスが考えるもの)を問わずに、便宜上ギリシア人のノモスに応じた表現(「呼び方」)を用いようとしている。

これらに対して、「呼ぶ(カレイン)」と「定めた(カテテント)」を区別したのがパルメニデスであった。つまり、現象についての誤った思考[正確に言えば、現象から観念に至るまでの心的な分節化の誤り、と言えよう]から観念を誤って命名してしまう一回限りの行為として「定める」を用いているのである。それが、ノモスとして広汎に用いられることになれば、「呼ばれる」ということになる。したがって、パルメニデスは「人類の堕落は言葉とともにはじまる」(p.52)といって、言語全体を誤った思惑の結果であるとした。したがって、彼を領袖とするエレア学派では、名前(オノマ)の背景にある思惑(ドクサ)を対立項とした真理(アレーテイア)、正しい認識のみがつねに問題であって、言語が彼らの関心事となるのは、それが思惑の唯一の表現である限りにおいてであった。

このパルメニデスの悲観的な仮象的非現実説に対して、クセノパネスは、その「呼ばれる(カレイスタイ)」と「本来…そうなっている(ペピユーケナイ)」という際立ったATにも表わされているように、まだ啓蒙的であった。彼はその意味で、ホメロスらの神々の名前に由来する伝統的言語観をも批判し、個々の表現について規約的名前と現象の真の本質との矛盾を対置させた。この認識は、のちにソフィストによって、名称−事態(オノマ−エルゴン、ないしオノマ−プラーグマ)として、ATに組み込まれることになる。(純粋に修辞的な用法としては、エウリピデスやトキュディデスによっても使用されている。例えば、「名よりも実」など。) ちなみにこれとは逆に、ヘラクレイトスの弟子たち(プラトン『クラテュロス』)は、名称を「自然に(ピュセイ)」生じたものと考え、ゆえに事態を十分に示しており、一般の意見を信じるべきとする言語観(模倣説)を形作った。ただ、ヘラクレイトス自身は、周知の通り、対立するものの統一を論じたのであり、それゆえ、「だから、弓にはビオス(生)という名前(オノマ)があるが、その仕事(エルゴン)は死なのだ」などと語る場合、それはATの表現ではなく、全体についての異なる二つの、それ自体では不完全な相にすぎないという意味でしかない。また、「言葉と行為」、「名前と現実」の他、三つ目の組み合わせとして、ソフィスト以前にアイスキュロスやシモニデスに見られるような、「仮象と存在」の対立でいずれかを倫理的優位に置くような姿勢(例えば、シモニデスの「思われることは真理にも打ち勝つ」)も、ソフィスト的啓蒙主義へと流れ込んでいる。

この後、第二節で「ノモス」の、第三節で「ピュシス」のそれぞれの発展史が概説される。「ノモス(νόμος, pl. νόμοι)」については、最初に動詞「ネメイン」との関係が語られ、その概念的な展開史が本節末尾で簡潔にまとめられている。
ノモスは、高貴な「一般に行われ普遍的拘束力をもつ秩序」という本来の概念から、前五世紀中葉以来ますますさかんになった理性主義思想の影響をうけて、ついに「一般に広まっているが、しかしたいていは誤った、大衆の考え」となった。(p.104)
最古の例はヘシオドス(c700)まで遡る。彼のノモスは「ある生物集団に割り当てられその生物において妥当する秩序」(p.69)と捉えられたが、そこには未だ善悪の含みはなかった。この傾向はアルクマン(7cの詩人)にも共通している。しかし、ヘラクレイトス(c540-c480)はこの秩序としての意味合いをさらに強め、「一なる神的ノモス」とそこから結果する「人間的ノモイ」を語ることで、ここからポリスの制度や習俗、さらには一般に認められている思惟基準へと敷衍した。このようなノモスの擬人的神格化には、オルフィズム(オルフィック教)の影響が指摘されている(例えば、ピンダロス、5c前のオルフィズムに近い神秘主義者)。他方で、ノモスは、アルカイオス(c600に活躍した詩人)にもその萌芽がみられるように、規範的意味を持たないたんなる「慣習」の意味でも用いられていた。また、アルカイオスの断片には、「ノモスである(ノモス・エステイ)」の動詞表現である「ノミゼタイ」が初めて登場しており、それがクセノパネス(6c前-5c前)にあっては、あらゆる「認められている(ノミゼタイ)」ものとしての大衆の見解、またそれに対する軽蔑の念を生み出していく。この慣習としてのノモスは、ヘロドトス(c485-c420)に最も明瞭に見られたが、注意すべきは、それが多様性を持つものの、完全に相対化されるわけではなく、各々の民族に対しては拘束力を有するとされたことである。ただ、ヘロドトスには、イオニア的ヒストリエー(研究・探求)の伝統に基づいた、「正しい言葉」、「真理」を「ギリシア人において行われている誤った考え」(「ノミゼイン」)に対置する態度も認められる。このようなノモスの価値転倒と術語的使用の際立った例のひとつが、先にも引用した、エンペドクレス(c490-c430)の断片である。また、デモクリトス(c460-370)の原子論についても、「ノモスによって」−「真実には(エテュー)」という対置が見られるが、これはエレア派的・認識論的にではなく、自然学的に理解されるべきものであった。しかし、先の哲学的価値転倒からソフィスト的な真実と対置された、ノモスの用法が生み出されてくるまでそう遠くはない。

「ピュシス(φύσις)」という名詞は「生じる」、「成長する」というその本来の動詞的な意味をつねに保持してきた。そのため、「生起」、「生成」としてのピュシスを(誤った)思惑として否定するパルメニデスとエレア派の系譜(エンペドクレスも含む)からは、そもそもN-PのATが出現する余地はなかった。これに対して、「生成」を肯定するのがヘラクレイトスである。「ピュシスにもとづいて(κατά φύσιν)」(p.109)という言葉に表れているように、彼はピュシスを生成した「事物の真の本質」と考えた。実際、このようなピュシス概念は、イオニアの自然科学的思想に由来する。そこには三つの方向性があった。第一に、「ピュシス」はある事物の、副次的な例外に対する「正常な状態」を意味した。第二に、そのような規範的要素が強調される中で、おのずと「ピュシス」は模範・基準として認められるようになった。例えば、ピンダロスは、「ピュア−」という言葉によって、家柄や貴族の血の称賛を意味するとともに、生まれつきの才能と目標が神によって種々様々に与えられているという認識にもとづく生得的能力の発揮の勧めをも意味していた。ここからソフィスト的な「教育はピュシスと訓練を必要とする」というプロタゴラスの言葉も出てくる。その意味では、ソフィストは卓越性を教え、教わることが可能であるとしつつも、「ピュシス」の意義を否定しなかったのである。ただ、「前五世紀の最後の四半世紀以前にはどの伝承をみてもピュシスは、人間と事物の外にありそれらを越えている擬人化された力としては現れていない」(p.124)ことは付け加えておくべきだろう。第三に、ソフィスト的ATに直接繋がるのは、「ピュシスを事物の真の本質、真の状態と解するピュシス概念の側面である。このようなイオニア起源の概念が、先に論じた「名前と現実」、「仮象と存在」という古いATと混じりあい、次第に語幹φυ-を用いた表現に変わっていく。

第三章は、いよいよのソフィストのN-PのATが扱われるが、ペリパトス派以来のいわゆる学説誌的伝統からはアルケラオス(5c)がその創始者とされる。しかし、ハイニマンはこれを否定し(相対的ノモスの主張、倫理的ピュシスの欠如)、アンティポン(c480-c411)こそが初めて対句的にN-Pを用いたソフィストであると主張する。その理解は、著者も言うように「そう容易ではないけれども」(p.162)、以下のようにまとめることができよう。

アンティポンのAT

ノモスに対するピュシスの勝利は、アンティポンにおいて「ピュシスの必然」が信仰され、「益なるもの」が最高の尺度として認識されたときに、決定的となった。アンティポンと同様の主張をなしたとされるのがエリスのヒッピアス(5c後)である。彼は、真の哲学的関心を持たない博学者ではあったが、この両者のATには同根性が存在していた。
ノモス−ピュシスのアンティテーゼの両分肢は元来は、後に(トキュディデス、プラトン、イソクラテス以後)よく用いられ次代にはきまって用いられるようになったたんなる関係の与格で表わされておらず、思考において生きた役割を果たしており文法上も文のある必然的な部分を占めていた。…というのは、「ノモスによって」−「ピュシスによって」が与格形で表れる箇所ではじめて、この定式が、…エレア派の認識の表現となりうるからである。(p.166-167)
ここから、ソフィスト的ATが先に、イオニア自然学者によって齎され、あくまでも二次的に、エレア派の認識論の影響を受けたということが理解できる。さらに、ほぼ同時代人であったデモクリトスは、動物の繁殖についての論考で、ATの二項的発想に対して、一方的にノモスを誤りとして退けるのではなく、真の必然と見かけの必然を峻別し、アンティポンよりも高次な段階を示した。

このATが具体的にはどのように適用されたのか、そのことが第三節で論じられる。ひとつは、「文化発生論」である。例えば、オルフィズムに着想を得た無名氏の『ノモイについて』は「ピュシスはしばしば悪を欲し、ノモイは正しく善く益になるものを欲する。あらゆるノモスは神々の発明物であり、贈り物である」(p.174)と論じている。これは、アンティポンのATのようなソフィスト的倫理に対する反動として法秩序の擁護者たちによって主張されたものであった。もうひとつは、「認識論」である。前4世紀以降のATでは、アンティポンにも二次的にしか見られなかった、エレア派の影響が如実に現れた。例えば、ヒッポクラテス派の『養生法』では、ヘラクレイトス的に(「対立物の同一性」)改変された、認識論的なATが登場する。「万物のピュシスは神々が秩序立てたものである。だから一方は人間が設定したもので、決して同一の状態になく、正しくも正しくなくもない。それに対しておよそ神々が設定したものは、正しいも正しくないものもつねに正しい状態にある」(p.180) 最後は、「言語哲学」への展開である。これは、著者の表現を借りれば「[エレア派の認識論的]言語哲学と[イオニア的]医学の結合」(p.184)の結果である。すなわち、「前者でまずノモスが因襲的なものであり、絶対的な妥当性をもつものではないことが確認され、後者ではピュシスがあらゆる行為と存在の尺度であると解釈された。」(同) そのため、言語についてのN-PのATがヒッポクラテス派の著作(『技術』、『人間本性論』)で顕著に現れたのは偶然ではない。ただし、ソフィスト、特にプロタゴラス(とアルケラオス)における言語観は、認識論の影響というよりも、独自の文化発生論・社会契約論に関係して、約束(シュンテーケー)と同意(ホモロギアー)の産物として説明されうる。

ハイニマンは第四章で、イオニア的自然科学から始まり、エレア的認識論に乗っ取られたソフィスト的ATが自明の術語となった前四世紀以降の用法についてほとんど余談として述べている。トキュディデスやエウリピデス(『バッコスの信女』、『イオン』)の作品を例にあげ、その中に、最終的にはストア派よって、ノモスが一なる神的ピュシスへと統合される仕方とは別に、ソフィスト的ATを克服しようとする、前ソフィスト的な『空気、水、場所』のATに通じる、試みを見出すのである。

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巻末解説で訳者も述べている通り、本書ではその後のソクラテス・プラトン・アリストテレスによってソフィスト的ATがいかに取り扱われたのかは対象外となっている。ただ、その詳細さ、緻密さから、年代的にはかなり古いものの、N-P問題に関する最もスタンダードな研究といえるのだろう。
posted by ta at 05:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 文献レヴュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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