2009年04月15日

上谷「「高貴なる嘘」としての「古代人―近代人論争」」

上谷修一郎(2007, 08)「「高貴なる嘘」としての「古代人―近代人論争」(一)(二): 中期レオ・シュトラウスの現象学的イデア論解釈」『法学論叢』159(6): 73-89, 161(2): 111-134.

本論は、ザッカートによっても論及された、ソクラテス(プラトン)的哲学とアリストテレス的政治学をどのように架橋しうるのか、そのきっかけをシュトラウスのイデア論解釈に求めようとする試みである。上谷はその解釈を現象学的イデア論と名付け、当時のドイツの精神的風土、新カント派から現象学、ハイデガーへという流れの中から説き起こそうとする。[正直、前半しかまともに読んでいなかったので、根本的に誤解していた部分が…。猛省…。]

考察のベースとなるのは小野紀明『現象学と政治』(行人社、1994)での、形相‐質料二元論をめぐる認識論的、存在論的考察である。上谷にしたがってまとめれば以下のようになる。(p.78-80)

* 独断論的な非歴史主義的哲学(デカルトからヘーゲル): 形相⇒質料、存在⇒存在者
* 非独断論的な急進的歴史主義(ニーチェ、ハイデガー): 質料⇒形相、存在者⇒存在
* 現象学的イデア論(シュトラウス): 形相⇔質料、存在⇔存在者

この図式からとりあえず分かることは、シュトラウスは「ニーチェやハイデガーを批判しつつも全面的に否定しているわけではない」(一、p.78)ということであろう。すなわち、独断論的な非歴史主義哲学に対してハイデガーが行った「反哲学」的批判をシュトラウスは基本的に受け継いでいる。(「『自然権と歴史』の第一章をどう読むか?」を参照) ハイデガーによる近代性の診断は先のフェリの著作に簡潔にまとめられていた。

1. 近代的な主観主義は世界を知解可能なものとして独断論的に措定する(近代的自我の理性的側面; ヘーゲルの歴史主義的体系もこの意味では当然独断論を免れていない、まさしく「形而上学の頂点」である)
2. 世界の余すところなき知解可能性は、その征服へと実践哲学を突き動かす(近代的自我の意志的側面; シュトラウスにおいては「哲学と詩」の対立として定式化される)
3. ニーチェにおけるこれら理性と意志の止揚は、意志のための意志、すなわち「権力への意志」を呼び起こし、技術(つまりは道具的理性)へと至りつく (Ferry, Luc. Rights: The New Quarrels between the Ancient and the Moderns (Political Philosophy Vol. 1). Trans. Franklin Philip. Chicago: U of Chicago P, 1990. 7-9.)

ニーチェを近代性の枠組みにおいて論じているのには留保が必要だろうが、ほとんどシュトラウスの近代批判と重なる。以前(永久不変の宇宙論的秩序観)でも以後(ハイデガー主義)でもない近代の「外」への模索が始まるのは、まさしくこの地点からである。

しかし、同時にこの立場にはいくつか難点が付き纏うように思える。ひとつは、上谷も指摘しているように、シュトラウスによる世界の哲学的基礎付けは独断論的措定(神学的か合理主義的かは問わず)ではもはやありえず、基礎付けとすら言えないような存在者の決断、「権力への意志」というパトスに支えられている、という点である。もう少し、穏当な表現を用いれば、哲学的エロスと言うことになろう。(これに対して、僭主的エロスは卑俗な支配的衝動でしかない) もう一つの難点は、現象学的イデア論が、啓示の普遍性・永続性の可能性を疑問に付すという点である。存在と存在者の相互主観的な認識論・存在論にあっては、存在の絶対化ではなく、存在者が「恒常的に」無いというところから、世界の神秘性を保証しなければならない。このことがシュトラウスのユダヤ性や啓示観に齎す影響は無視できるものはないように思える。[後者の点に関しては、いくらか本論文でも解答が得られている。]

本論文ではまず、現象学的イデア論の具体的な定式化が目指される。
シュトラウスにとってのイデア、すなわち「「……とは何か(What is )」という問いが指し示すもの」、「事物のエイドス、事物の形態、形相、特性」とは、「最高の意味において在ること」=「恒常的にあること」としての「存在」、つまり部分である「存在者」の総体でありながら部分の「存在者」を越えている「全体」が、部分である事物としての「存在者」において自然的に分節化されたものであるとみなされている。つまりシュトラウスの解釈するイデアとは、事物という質料に内在する「全体」であり、この形相=「全体」が質料=部分に対して有する内在しつつも超越するという関係が「存在」の自然的分節化として表現されているのである。(強調は引用者による)(一、p.80)
シュトラウスのイデアは、「内在しつつも超越する。」この時点で、通俗的な古典的宇宙論は通用しない。すなわち、哲学者は叡智的イデア(知識)を非媒介的に直観するのではなく、存在者(質料)を媒介しつつ超越論的に看取する。その媒介的方法がディアレクティケーである。したがって、哲学はこの方法を用いたいわば上昇運動ということになる。上谷はこれを二段階に分けて説明する。第一の上昇とは矛盾する様々な意見から知識への上昇であり、第二の上昇とはソクラテス的転回を経た政治哲学者による不十全的な政治哲学から十全的な哲学的探求への上昇である。ただし、後者には留保が付く。それこそが、現象学的イデア論という認識論的・存在論的立場が齎す限界であり、質料たるわれわれは、あくまでも世界の此岸から彼岸を志向するという関係性を受入れなければならない。したがって、そのように限界づけられた(政治)哲学の営みとは以下のようなものとなる。
政治哲学を実践しつつも問いとしては哲学の立場を堅持すること、「人間的な事柄」=「政治的な事柄」のイデアの追求を「神的な事柄や自然的な事柄」のイデアに対する問い掛けから不断に捉え返し続けること…。別言するならばシュトラウスは「狂気」のプラトン的イデア論を、「正気」のアリストテレス的政治学に内在させることで現象学的に解釈しているのである。(一、p.84)
このように定式化された現象学的イデア論(第一章)を、上谷は『政治哲学とは何か』に収められた二つの論文、「政治哲学は何か」と「古典的政治哲学について」の考察(第二章)の中で、そっくりそのままシュトラウスの公教的教説、すなわち「高貴なる嘘」として位置付ける。

現象学的イデア論

無論、エソテリシズムはこの場合、通俗的な大衆支配の道具としてではなく、シュトラウスのテクストに忠実な哲学の政治的正当化として捉えられている。また注意が必要なのは、いわゆる優秀者支配制(いわゆるジェントルマンの統治、もしくは混合政体)の具体的な地位の問題である(二、p.118-119)。上谷は、これを端的な「最善政体」、可能ではあるが全く現実性を欠く政体とは別の実現可能な政体として捉えているが、この点に関してシュトラウスの言明が極めて曖昧であることは否定しえない。(端的な意味での「優秀者支配制」と「混合政体」の区別) エソテリシズムのかなめは、シュトラウスが秘教的教説をプラトン的な形相‐質料二元論として、つまりは彼岸の哲学の回復として捉えていた(p.121)ということである。これは、哲学と政治哲学の境目をどのように考えるのか、という問題に直結する。ちなみに、われわれが本論文を踏まえて、シュトラウスのテクストから知りうるのは以下のとおりである。

* 哲学は知識の所有ではなく、たかだか探求であるということ
* 哲学の目標たるイデアは永遠普遍の根本問題でしかありえず、われわれには可能な選択肢が示されるに過ぎないこと
* 哲学者の統治は自然に反するということ(全く偶然の産物であるということ)

『ホッブズの政治学』でアリストテレス的な理論的生の優越を擁護したのは、実践的生を至上とする人間中心主義、そしてその最終的帰結としての価値相対主義を排するためであった。それは、他方で秘教的教説としての哲学的営為、プラトン的な形相‐質料二元論の回復という上谷の主張にもつながろう。そして、それによってわれわれは政治哲学における価値相対主義から逃れることができ、善への志向性を心的機制として維持することができるのである。哲学の究極的目標の政治的表現は、神に等しい哲学者(預言者ならびに立法者)による一人支配であった。これ以外の表現は論理上ありえない。アリストテレスの「発生論的」方法はこの支配の可能性を前提として成立する。価値相対主義を打破するための善悪や尊卑の分節化はその極が措定されていなければそもそも可能とはならない。このことによって、われわれは既存の政体の超越論的な批判が可能となるのである。政治的な不正は、不正が全くない状態を措定できなければ、批判する動機すら見出しえないであろう。しかし、このことと、われわれがそのような不正なき状態を真面目に期待していることとは全く別の問題である。むしろそういった状態は現実的ではありえない。ならば、哲学的探求の意義はこの志向性の回復、その一点に存すると見てよい。上谷は、『自然権と歴史』の分析を通じて、その具体的な表現を見出していく(第三章)。アリストテレスにおいて、自然的正が可変的とされたのは、ゾーン・ポリティコンたる人間にとって「神的な事柄や自然的な事柄」のイデアを目標とする哲学が「不自然に善すぎる」からである。ゆえに、そのようなイデアが「質料である「人間的な事柄」=「政治的な事柄」のイデアに内在する形相として分節化されているとは」(p.123)みなされなかった。ここで、哲学と政治哲学は断絶してしまう。(理論的生と実践的生の断絶と言い換えても良いだろう) これに対して、ソクラテス=プラトン=ストア的な自然的正では政治哲学から哲学という第二の上昇が確保されていた。しかし、「神的な事柄や自然的な事柄」のイデアの政治的表現とは、端的な意味での最善政体であり、全ての市民が「賢者」であるような世界国家である。(その実現によって例外状況という矛盾の一切が取り除かれる) この選択肢がシュトラウスにとって現実的な課題として説かれたのではないことはもはや言及する必要すらないであろう。

[結局、シュトラウスの思想的立場を形作ってきたものは、急進的歴史主義という悪夢、その一点ではなかろうか。近代政治哲学によってなし崩し的に引き起こされた哲学の政治化、人間中心主義は、実践的生(つまりは人間中心主義)に還元されえない理論的生の回復を通して反抗が試みられたが、同時にニーチェやハイデガーが先鞭をつけた「反哲学」の流れも無視しえるものではなかった。「故郷喪失を故郷」としなければならない現代人にとって、哲学の営みはその足場すら既に失われている。そのような状況の中で、シュトラウスが選択した手段がエソテリシズムであり、現象学的イデア論であったと言うことができよう。神と野獣の間の存在であらざるを得ない人間にとって、唯一の足がかりは超越論的な生活世界を除いてほかにはない。質料に内在する形相を把握していく作業、すなわちディアレクティケーは哲学者にとっても避けては通れないからである。その意味でかれらはまず政治哲学者たらざるをえない。しかし、「政治的な事柄」のイデアの把握を常に「神的な事柄や自然的な事柄」のイデアの認識から捉え返すという試みは、政治哲学から哲学への上昇可能性を必須の前提とする。その点で、実践的生の究極的基礎付けの問いを回避するアリストテレスの姿勢はやはり不十分に映ってしまうだろう。(もちろんそれはアリストテレスが理論的生を否定するということを意味しないが、そこに理論と実践をつなぐエソテリシズムの契機を見出すことは困難になるだろう) ただ、哲学者がいわゆる第二の上昇によって政治的・人間的な事柄を否定的かつ偶然的なものとして認識するにしても、その姿勢をそっくりシュトラウスに当てはめてしまうことは誤りである。哲学と政治哲学はあくまで相互補完的であり、さらに哲学の営みは事実上幾重にも制限されている。(したがって、プラトンのように世界の存在論的な位階秩序を主張することは哲学者には不可能である、と少なくとも私には感じられる) 哲学は確たる足場(基礎付け)も行き着く先(善のイデア)も見えず、ただただ衝動によって支えられるのである。シュトラウスはこの上昇可能性をなによりも哲学の側において取り戻すことで、典型的歴史という誤謬を自らが犯しつつも、哲学の政治化を解消し(エソテリシズム)、急進的歴史主義という時代の怪物に対抗し続けたということができよう。しかし、シュトラウスの思想をなんらかの統一的な像のもとで見ようとする試みは、もちろん彼だけに限ったことではないし、その限界はあるにせよ、やはり難しい…。]
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2009年04月10日

ファリアス『ハイデガーとナチズム』/ラクー‐ラバルト『政治という虚構』

V・ファリアス(山本尤訳)(1990)『ハイデガーとナチズム(1987)』名古屋大学出版会

二十数年前に、世界中で(少なくとも部分的には)物議をかもした著作。ファリアスはハイデガー晩年の教え子の一人。
ハイデガーのその後の発展は、ナチズムの世界観の一般的要素との近親性を視野に入れないかぎり、正確に理解することはできない…。これは、ハイデガーがナチズムの世界観に独特の形式と彼の文体を刻み込んでいるからでもある。…ナチズムに対するハイデガーの関係のもつ意味を些細なものとして軽視しようとする多くの試みとは反対に、…この関係の中で、この関係によって、彼自身の過去および一つの時代全体と一致して表現されており、この思想のその後の発展は本質的な点においてこの関係の中にはっきりと認められる。(p.37)
正直、通読する必要性にも疑問を感じていたが、読んでみると、いかにハイデガーがその思想の根底でナチ以上に国家社会主義的であろうとしたのか、しかも終生一貫してそうであったのかがよく見て取れる。(後述するラクー−ラバルトの立場からしてみれば、まんまと術中に嵌ってしまっているとも言えないことはないが) ただ、十二年かけて可能な限り資料を掘り起こした著者の根気には頭が下がる。(結局、当時は研究者に閉ざされていた資料も明らかにされているのだろうか?) 日本でもつい最近、この論争についての著作が出版されているのを発見した。というか、想像以上に今日まで論争が重ねられてきていたことを今更ながらに知って恥じ入るばかり…。上下併せて、1100頁という超浩瀚な研究書。

中田光雄(2002)『政治と哲学: 「ハイデガーとナチズム」論争史の一決算(上)(下)』岩波書店

F・ラクー‐ラバルト(浅利誠/大谷尚文訳)(1992)『政治という虚構―ハイデガー、芸術そして政治(1988)』藤原書房

フランスでのハイデガー擁護者の一人(と反対者の側からは見なされる)。本書には上記著作についての補遺が収録されている。ハーバーマスがそのドイツ語版に付けた序文にも言及されていた。彼曰く、「フランスのハイデガー弁護者たちは、ナチズム選択を、『存在と時間』の思索がなお「形而上学的思考」の中に深く根付いていており、ニヒリズムの運命になお深く捕らわれていたことから説明しようとして、事柄を逆立ちさせている。」(p.29) ただ、単純な事実としてのナチへの荷担・人的関係をもってハイデガーを非難するのも、もっともらしい印象を生み出すばかりで、限界があろう。34年以降の流れについては特にそうである。その点、ラクー−ラバルトはハイデガーのテクストを内在的に吟味することによって問題の所在をいくらか厳密に見据えられているように思える。
私はハイデガーを糾弾しようとは思わない。いかなる権利で、そのようなことができるというのか。私は一つの問いだけに、しかも思惟のための問いだけにとどめたい。もろもろの事実を蒸し返すことが無益だと思われるのは、この理由からである。十分な資料がないために、数多くのまちがい、あらぬ噂、あからさまな中傷をまき散らす危険があるのにくわえて、事実の収集がこの問いにたいして何をなしうるのか私には分からない―ただし、ナチであることは犯罪であった、と文句なしに認められていると考えるのであれば話は別であるけれども。(p.61)
問題なのは、戦後、公的にも、〈第三帝国〉の崩壊によってこの〈第三帝国〉が何を啓示したか―それは事実上、黙示録的なものであった―が明らかになったさいの彼らの固有の責任、つまり思惟の責任においても、当の知識人たちが、いずれにせよハイデガーが、この問題に立ちむかい、それを引きうけることが、じつは思惟の義務であることを拒絶したということなのである。(p.66)
神はアウシュヴィッツで死んだ。もちろんハイデガーはこのようなことは一度も言っていない。しかし、彼が言おうと欲したならば、言いかえれば、何らかの歩みを―おそらく勇気ある一歩を―進めることに同意していれば、そう言っていただろうと、どうしても考えざるをえない。(勝利者の「勝利」に力をえて説明を要求し、弁明されることを要求したものたちにたいして、彼が一切発言を拒んだことはなんとか理解するとしても、生存者のなかで、たとえばツェランのように、彼が見解を表明することを期待していたものたちに何も言わなかったことは、私にはどうしても納得できない。)(強調は原文どおり)(p.75)
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2009年04月07日

富沢「レオ・シュトラウスと近代性の危機」ほか2編

富沢克(1987)「レオ・シュトラウスと近代性の危機―自由主義的理性批判序説(1)」『同志社法学』39(3・4): 389-432.

自由主義の枠組みそのものをディコンストラクトしつつ、現在の自由主義に新たな〈魂〉を吹き込む、そのようなウルトラCがいかにして可能なのか。本論文は、そういった試みのほんの一端を近代批判の下に概観するものである。古いものだが、読み進めていくうちに、自分のテクスト読解の甘さを露呈する箇所がちらほら。ただ、著者の解釈については少し不満が残る。先の添谷論文から、われわれはシュトラウスが近代の以前でも以後でもなく、その「外」に解決策を求めた、ということを知った。富沢もシュトラウスに「近代の枠組みそのものを問い直そうとするモチーフ」(強調は原文どおり、p.398)を読み取っており、一見すると立場の相違は無いように見える。フッサールの「生活世界」についての指摘(p.401)や歴史を貫く「同一の基本問題」への言及(p.413)があったのち、問い直しの意義を「二者択一的視点からの脱出路を求めてのこと」(p.431)と特徴づけていることも、その立場を裏付けるだろう。しかし、残念ながらそのような意義が十分に汲み取られているとは言いがたい。その結果が、現代の〈古代人‐近代人〉論争における基本的なジレンマについて「シュトラウス自身が…踏み込んだ議論を展開していない」(p.427-428)とする認識である。古代の自然的正のあり方が、「自然法」の名の下に十把一絡げにされているのもそのコロラリーであると言えよう。結局、ハイデガーと同じく、富沢にとっても(というよりはほとんどの人びとにとって)「いかなる形態のものであれおしなべて自然法の主張は形而上学への回帰以外のなにものでもな」(p.417)いということなのであろう。ただ、シュトラウスにとってもこれは歴史的に自明であるといえば、奇妙に思われるだろうか。フッサール現象学の薫陶を受け、ハイデガーを今世紀最大の哲学者の一人として賞賛しておきながら、そのことを認識できていなかったというのも多分におかしな話ではなかろうか。以前のエントリでも、そのヒントが古代の自然的正における特殊な存在論的理解にあることを示した。自然法[自然的正]の復権を説きながら、『自然権と歴史』においてはトマス主義にわずか二頁しか割いていない。それは、トマス主義から、プラトンやキケロ、アリストテレスに見られた躊躇と曖昧さが一切取り除かれてしまっているからであろう。(NRH, p.163-164) シュトラウスにとっては、世界の彼岸における絶対化も、此岸における絶対化も選択肢とはなりえない。唯一可能な形は、此岸にあるわれわれが、彼岸的な「全体」を志向するという関係である。しかし、これを支えるのはエロス、つまり哲学的基礎付けという資格でのエロスだけである(今の時代では、いかなる絶対的な教義も信念以上の資格を持ちえないが)。これは哲学の営みを支えるには十分であるもののそれ自体としては頼りなく、シュトラウスにとっては究極的なジレンマといえよう。そして、これは憶測の域を出ないが、そのようなジレンマこそが、その主張を耳にするわれわれに「いささかアブノーマルなまで」(p.419)の印象を与えてしまうのかもしれない。〈古代人‐近代人〉という理念型的な枠組み(もしくは、目的論的コスモロジーか機械論的コスモロジーか)で議論を行うかぎり、彼の言説は基本的に制約を受けざるをえないからである。

あと、ワイマールの最大の病理はシュトラウスが主張するような寛容ではなく、それに対する敵対者の偏狭であるというような議論を見たことがあるが、彼が「絶対的な寛容は絶対的に不可能である」(p.422)と説いたのは、そのような偏狭、つまり安易な外的選好(人種差別)を許してしまう寛容こそ決して存続しえないという意味ではなかっただろうか。ならば、偏狭が必ずしも寛容に対立するわけではなく、寛容そのものが偏狭を生み出してしまうこともありうるということになる。

同(1990)「〈古代人‐近代人論争〉への一視点―リュック・フェリ『政治哲学』第一巻を読む」『同志社法学』42(1): 257-282.

先の論文でも引用されていた著作。フェリのシュトラウスへの関心は、富沢の言葉を使えば「近代性に対する政治的批判のいわば純粋型」にあり、これを「『媒介』にしてはじめて現代におけるデモクラシー的価値を再構築する可能性がえられる」(p.260-261)という。「純粋型」と呼ぶところに、その思想の内実を無視し、古代人という理念型に押し込めてしまおうとする姿勢が見てとれる。よって、フェリには近代の「外」という観点は端から問題にならない。さらに、メタ政治的批判であるという点についても一定の留保が必要であろう。シュトラウスのコスモロジーから引き出されるのは、政治そのもののあり方ではなく、むしろ、政治に対する哲学の関わり方である。したがって、政治的側面に対する批判である「古代ギリシャの〈自然〉観からして、そこでの政治はいわば存在論的に反デモクラチック」(強調は原文どおり、p.275)とするのは拙速であろう。哲人王=神が此岸の人間にとって失われた最後の環であること(フェリはこの点を「神秘性」として的確に捉えている、p.273-274)で、いかほどの存在論的確信をもってしても「全体」の知についての優越を主張することはできない。哲学者であっても無知の知と観想的生における探求において、ある程度限界を越えうるのみであり、かえってそのことで都市と対立し自らの命を危険にさらす。

フェリの批判で最も説得力があり、かつ正当と認めざるをえないのは、シュトラウスによる近代思想全体の「還元論的」(p.279)な読み方の指摘である。シュトラウスは明らかに、近代全体を典型的歴史と捉えることで、富沢の言う「裏返しのヘーゲル主義」に陥ってしまっている。(ただ、シュトラウスのそれはいわゆる「メタ物語」に安住するためではなく、その信頼性を突き崩すためであるが) 人権(自然権)についての肯定的な言及が基本的になされえないのも、この歴史観の所以である。良くも悪くもシュトラウスの近代批判は、1920、30年代ドイツという特殊歴史的状況に縛られている。「第一の波」国家であるアメリカにおいて、シュトラウスの思想が半ば浮いていたのも、このことが原因であろう。ザッカートのようにピューリタニズムや古典的共和主義精神に訴えかけても、彼の歴史観が根底から救済されるわけでない。歴史主義を批判した人間が、歴史主義的誤謬に陥っているというのは皮肉であろう。ただ、古代人と近代人を時代的区分的(通時的)に捉えようとも、フェリのように理念型として構造対立的(共時的)にとらえようとも、近代の「外」という視点が生じえないことはもう一度確認しておきたい。

同(1998)「ポストモダン・リベラリズムの可能性―一つの粗描」『同志社法学』49(3): 167-194.

本論にあっては、シュトラウスの思想は近代以降のリベラリズムをめぐるディスクールへの導入として位置付けられるだけである。ただ、先の論文では見られなかった、政治哲学における、機能の側面に言及されていること(p.171)だけは付け加えておこう。議論全体の特徴は、以下のような著者自身の言葉に集約されよう。「政治思想のポストモダン的形態は時間的にせよ空間的にせよ近代の『外』に出ようとする試みとしてよりも、後期近代の諸条件に内在しそうした諸条件の批判的吟味を断念しない態度として理解するのが適切である」(p.191) 先のフェリの議論もこれに準じる
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2009年04月06日

添谷「新旧論・ノート」/竹島「カール・シュミットとレオ・シュトラウス」

添谷育志(1992)「新旧論・ノート―レオ・シュトラウスの政治思想をめぐる断章」小野紀明ほか『モダーンとポスト・モダーン(知のフロンティア叢書 1; 政治思想史の再発見 1)』木鐸社: 79-115.

「近代のアカデミズムひいては『近代性』そのものに対するシュトラウス的な『オルターナティヴ』には多大な疑問を抱いている」(p.84)と断りつつも、ドゥラリーやハーバーマスによる解釈の不十分さを指摘するなど、本論には対象に誠実に向き合おうとする姿勢が感じられる。考察のテーマは、端的に言えばシュトラウスにおける古代回帰の意味の解明である。『ホッブズの政治学』のドイツ語版序文(1964)にはこうある。
…近代人たろうとするか超近代人たろうとするかの決断を下すまえに、[いわゆる「新旧論争」における]古代人と近代人との争いを、従来なされてきたよりも徹底的かつ厳密に理解する必要がある… (『ホッブズの政治学』、p.xiv)
添谷は、シュミット論が明らかに古典回帰の重要なモメントとなった(「…シュミットによって着手された自由主義批判は、自由主義の彼方の地平が獲得されたときはじめて完成しうる」、p.240)にも関わらず『ホッブズの政治学』では、「真のオルターナティヴ」が前面に押し出されていないという点を指摘する。だが、とりあえずこの点はおいておこう。それよりも、シュトラウスが目指した「自由主義の彼方の地平」とはどこを指すのか、という問いが何よりも重要である。それは具体的時間(歴史)としての近代以前なのか、以後なのか。それともそのような区分を無効にするような思考のあり方なのか。添谷は、ドゥラリーによる秘教的な古代回帰や「哲学者‐超人」解釈に対して、20、30年代ドイツの知的状況の詳細な検討を要求しつつも、シュトラウスの狙いが少なくとも「脱‐近代」にあったということにおいて同意する。それは、具体的時間としての単純な近代以前でも以後でもなく、端的に近代の「外」、歴史の「外」、時間の「外」である。[「外」というクロノロジカルな限定を取り除いた表現は正しいように思える。それは近代以後の思想的インパクトを経た近代以前の取り戻しであった。シュトラウスは、ニーチェやハイデガーからポストモダンの洗礼(近代的な教条主義の破壊)を受けつつも、彼らが近代との地続き上にしか見出しえなかった古典的合理主義へと回帰した。彼の古典解釈の特異性がしばしば批判されるのもこれが所以である。深刻な問題は、そのような特異な解釈が彼自身の思想的立場を根底から突き崩すことになってしまわないのか、ということであろう。] 以上に加えて、添谷は、シュトラウスの「近代性の第一の波」批判(「ほとんど生理的嫌悪感といってもよいほどの感情」、p.104)が、リベラル・デモクラシー擁護と果たして両立しうるのかという疑問に触れている。

あと、添谷はドゥラリーが「複雑なテクスト群の間を文字通り縦横に飛び回る」ものの、そのことによって「シュトラウスの思想の『持続的な、深化の過程』はかえって不分明になっている」(p.114)と指摘する。これは、シュトラウスのみならず、あらゆる思想史研究に当てはまることであろう。明らかに異なった知的環境の下で書かれたテクストを、その間の思想的展開を一切省みることなく、同じ俎上に載せることは厳に慎まねばならない。

竹島博之(2000)「カール・シュミットとレオ・シュトラウス―ホッブズをめぐって」『同志社法学』51(6): 162-262.

よく引用される一本。シュトラウスとの論争を通じて析出された「同一性の形而上学」と「生成の論理」という軸概念を用いて、シュミットの政治思想を全体主義的に基礎付け(再現前と友敵関係―後者優位の結合)、さらには同じ概念でもって、全体主義以降の対抗的なポレーミックの型を大まかに整理している(シュトラウス―形而上学、ポストモダン思想―生成の論理、アレント―形而上学優位の結合)。

シュトラウスに関しては、やはり『ホッブズの政治学』における議論の非一貫性の指摘が目を惹くであろう。ただし、基本的な論点は先行研究に負っている。(McCormick, John P. “Fear, Technology, and the State: Carl Schmitt, Leo Strauss, and the Revival of Hobbes in Weimar and National Socialist Germany.” Political Theory. 22.4 (1994): 619-652. ---. “Political Theory and Political Theology: The Second Wave of Carl Schmitt in English.” Political Theory. 26.6 (1998): 830-854.) マコーミックの論文にあたってみるまで、不用意な推論は慎むべきだろうが、シュトラウスにとっての事情は、厳密にたどれば以下のようになると思われる。彼が最初にユークリッド的転回を経ずにホッブズの政治思想を基礎付けようとした際、脳裏にあったのは「暴力死への恐怖」というアリストテレス的伝統の延長にある道徳的素材と「分解‐構成的」方法という自然科学的形式の組み合わせであったために、その意味では後者を二義的な要素として軽視することができた。(『ホッブズの政治学』、p.4f) ただ、著作の後半部に至って、今度は素材の部分にこそ科学的思考の裏付けが必要であることに気付き、本論文で引用されているような言明が引き出されたのであろう。(p.214、『ホッブズ』、p.202-203) したがって、竹島がこの文脈で「国家の目的についての問いの排除」(『ホッブズ』、p.185)、すなわち目的論的国家観の排除を論じるとき、それは厳密に言えば、素材たる信念ではなく形式たる方法論によってもたらされたと依然考えるべきである。

次に、『ホッブズの政治学』がどこまでシュミットとの論争に影響を受けていたのか、という問題であるが、竹島が主張するように、当初のシュトラウスの構想が「シュミットのプロジェクトを忠実に引き継いで」(p.211)いたと言い切るのには違和感を禁じえない。32年の注解において、シュトラウスはシュミットの実際の狙い(それに気付いていなかったにせよ)が自由主義批判にないことを見抜き、明らかにホッブズ研究を通して「自由主義の彼方の地平」を発見するという期待を述べている。シュトラウスがホッブズ研究を始めた動機にシュミットの影響は無かったとするのはもちろん誤りだが、自由主義批判としては完全に無力だと自ら指摘した議論を『ホッブズの政治学』で徹底化させ、シュミットの国家主権論を補完する必要性がどこにあったのだろうか。(後述の富沢論文[1987]、p.393を参照) シュミットのホッブズは未だ秩序の形成者たりえていないが、シュトラウスのホッブズは既に伝統の破壊者である。「ホッブズを現代的な形で再生させる」(p.207)といっても、明らかに両者の方向性は端緒から異なる。マコーミックは『ホッブズの政治学』に「国家の権威を再構築する」試みと「古典的な政治哲学の中にホッブズ的正統性に代わるオルターナティヴを探求する試み」との二つの方向性を読み取っており(p.229)、竹島がそこに先の論理非一貫性を重ね合わせることで、本論文の基本テーゼが組み立てられている。反ユダヤ主義の問題が、若きシュトラウスにとってその後に尾を引くジレンマであったことは確かだが、「自由主義の地平の彼方」を希求したのちに、その此方で国家主権の回復を構想していたのならば、それこそ安易すぎる発想だと言えよう。
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2009年04月05日

シュトラウス『ホッブズの政治学』(1)

L・シュトラウス(添谷育志ほか訳)(1990)『ホッブズの政治学(1936, 1965)』みすず書房(1)

III. アリストテレス主義
ホッブズが自分自身の教説を相互に関連づけながら展開する場合には、かれは明確に理論を実践より下位に位置づけている。こうして、かれはアリストテレスのように分別(知慮)を実践に、こうして知恵(知慧)を理論に当てはめていないことが理解される。すなわち、ホッブズは分別と知恵がともに実践的目的を目指すことを主張するのだから、分別と知恵との区別は、実践と理論との区別とはいっさい関係がなくなってしまうのである。分別と知恵の関係は、経験と学問の関係に等しいといえる。…アリストテレスへのこうした対立は、宇宙における人間の位置についてのホッブズの見方がアリストテレスの見方に対立していることに、その究極的原因を有する。アリストテレスはかつて、人間は宇宙における最も優れた存在ではないという根拠づけによって、道徳論と政治論に対する理論的諸学優越を擁護した。理論の優位にとってのこの究極的な前提が、ホッブズによって退けられることになる。というのも、かれの主張によれば、人間とは「自然の最も優れた作品」にほかならないからである。この根源的な意味において、ホッブズはつねに人間中心主義者であり続けた。(p.44-45)
理論と実践の関係、その地位の転換は古代と近代の政治哲学を分かつ重要なメルクマールとなる。それがホッブズという一人の思想家において、実質的にも象徴的にも表れていると言えよう。シュトラウスによれば、ホッブズはその生涯の早い時期において(宇宙論優位の)スコラ・アリストテレス主義と訣別し、1629年に完成する『ペロポネソス戦争』英訳までの間、実践優位(道徳論・政治学)という限定付きでアリストテレスを権威として承認していた(「人文主義期」)。その後、「ユークリッドの発見」を経て、数学・自然科学的研究(学問的厳密性)との関連において、アリストテレスからプラトンへと回帰していく(cf. p.168-187)。ここでシュトラウスによって描かれる理論の優位性は、世界(いわゆる「全体」であり世界観や状況ではない)における古典的序列の肯定である。神ではないが、神に似せて創られたがゆえに、理性の動物である人は野獣とも区別される宿命にある。その意味では、人は世界における最善と低俗に挟まれた存在者として存在することを余儀なくされるわけだ。実践に対する理論の優位性は、一方でこの秩序における人としての分の認識であり、他方でその理性ゆえに低俗よりも最善に向けられた志向性という人の本質の確認であった。人は本来、善や真理の直観ではなく、その志向性においてのみそれらの存在を漠然と認識しうるに過ぎない。したがって、ホッブズにおいて成し遂げられた理論の(すなわち学問としての)実践への従属(知恵>分別⇒分別>知恵)、『自然権と歴史』において哲学の政治化として批判される認識論的転回は、本来ならば実現不可能な(正確には「非現実的な」と言うべきだろうが)最善を歴史において現実化させる(歴史に絶対を求める)という究極的な人間中心主義への第一歩を示している。

VI. 歴史

この点に関して注目すべきは、まさしく「歴史」の文脈において、ホッブズの「分解‐構成的」方法とアリストテレスの「発生論的」方法とが比較されているということであろう。言うまでもなく、この対比はホッブズの真にガリレイ主義的、実証主義的姿勢を際立たせようとするものではありえない。政治的・社会的な対象をそれぞれの局面において断片的に切り取って考察するのであればまだしも、そもそも国家に統一的な像を与えようとする哲学的試みが抽象化を経ずに、非本質主義的に為されうるなどとは誰もが思わないであろう。むしろ、シュトラウスの狙いは、近代の本質主義に特徴的な認識論的態度を浮き彫りにすることである。その端的な表現が典型的歴史の採用だ。周知のように『自然権と歴史』や「政治哲学とは何か」では、歴史の導入はルソーにおいてはじめて言及される。それは、ホッブズの自然状態においては、ルソーやヘーゲルのようには(現実化までの)時間的なズレが伴わず、常に現在に視点が注がれているからであろう。ただし、具体的歴史が「止揚されて」(p.122)いるという点では違いはない。典型的歴史の採用はそれ自体が「服従道徳の拒絶である。」(p.133) つまり、「吟味の基準はあらかじめ前提されるのではなく、創出されるべき」(p.132)という表明である。ここに、のちの実存主義の影を見ること正しいだろうが、その全てを押し付けることは間違っている。本来指し示すところは真逆であるからだ。政治的秩序の問題に対する「創出」という手法が、形而上学的な絶対化を経て、どのようにして急進的歴史主義に至るかは、『自然権と歴史』において示された。ブルームは『ホッブズの政治学』を「シュトラウス以前のシュトラウス(the pre-Straussean Strauss)」として、歴史的理解が未だ確立されておらず、彼自身の問いを思想家たちに押し付けている時期の著作であるとしているが、このホッブズとアリストテレスの対比に中期以降明確となってくる哲学的狙いの素地が準備されているといっても間違いはないであろう。(Bloom, Allan. Giants and Dwarfs: Essays 1960-1990. New York: Simon and Schuster, 1990, p.246.) ただ、この近代的な「創出」概念と秩序の演繹的絶対化(ホッブズでは絶対的主権の創設)に対して、自然法主義(服従道徳への回帰)として論じられるような古代の解決を、そっくりそのままシュトラウスに帰すことは知的怠慢の謗りを免れない。少なくとも、彼のニヒリズムの経験(ニーチェ、ハイデガー的モメント)と中期以降の著作(『自然権と歴史』『政治哲学とは何か』など)を初期三著作(『スピノザの宗教批判』『哲学と律法』『ホッブズの政治学』)につき合わせてみることなしには、判断を下す権利を持たないであろう。近代政治哲学が陥った認識論的問題については、以前のエントリでも幾度か触れておいた。ちなみに、シュトラウスは自然状態を典型的歴史として捉えることでいわゆる「ホッブズ問題」を端から回避しているように見える。これは彼がホッブズの思想を社会学的にではなく、政治哲学的に考察していることの現われであると言えよう。メインの批判を受けて、ホッブズが『リヴァイアサン』において「家父長制的共同体」に言及していることを彼が指摘する(p.129-130)のはそのためである。むしろ、ホッブズの狙いは、「…万人対万人の戦いを、人類のまったく不完全そのものの状態として構成し、かつこの戦いを今度は、人間的自然のなかに根源を持つものとして理解する」(p.131)ことにあった。それゆえ、彼は「どんなに基礎的な歴史事実上の知識よりも、政治的諸対象に関するあらゆる判断の原理の哲学的根拠づけの方をより基本的なもの、比較にならないほど重要なものとみなした」(同)のである。

VIII. 新しい政治学

最終章で、ホッブズの「ユークリッドの発見」が伝統的政治学との断絶を決定的にしたことが論じられる。
プラトンは「語」からではなく、むしろ「イデア」から哲学していると述べるとき、ホッブズは根本的に彼を誤解しているのであり、この誤解がいかに悲惨な結果をもたらすかを、われわれは直ちに考察しなければならないであろう。…いずれにしても、特殊プラトン的出発点から―矛盾している言葉へと向かっていくことから―ホッブズの承認する、厳密でそれゆえ意見と対立する政治論に対する要求と、一連のさらなる帰結が生じるのであり、後者の点に関しても、ホッブズはまたしてもアリストテレスに抗してプラトンの側を支持するのである。(p.178)
ホッブズとプラトンは共に、真理と仮象(臆見)というエレア派のアンティテーゼに拠った。彼らは共に通念(臆見)に反したが、その手法は「言葉」を出発点にすべきかどうかで異なっていた。その点でホッブズはプラトンを誤解していたのである。そのためホッブズには分解‐構成的方法を採用することに何らの躊躇は無かった。シュトラウスは以下のように述べる。
…分解‐構成的方法が前提にしているものは、適切なるものや善なるものについての問いかけの原理的な放棄以外の何ものでもない。ホッブズは、明証的な公理から明証的な結論へ、つまり「終わり」へと前進する数学的方法が、絶対的模範であると確信しているので、かれは、数学にせよ政治学にせよ、「始めに」、つまり「明証的な」前提のなかに固有の問題が、すなわち「対話術」の課題が隠されていることを、認識しえないのである。しかしながら、「対話術」とは、人びとが正義や不正義について、徳や悪徳について語っていることの詳細な討論であり、その吟味である。…すなわち、両義性のなかに隠蔽されていると同時に開示されてもいる言説の一義性は、徹底的な討論を媒介にして、明らかにされなければならないし、また明らかにされうるのである。[注・52年のアメリカ版ではこの一文は省略されている] というのも、言説による方向づけを放棄することは、人間がもともと意のままにできる唯一の可能な方向づけを放棄すること、したがってあらゆる方向づけにおいて前提とされている基準[尺度]を発見すること、否、基準を問うことそれ自体の放棄以外の何ものでもないからである。(p.186-187)
分解‐構成的方法がなぜ、「基準を問うことそれ自体の放棄」につながるのか。デカルトのような合理主義的・啓蒙主義的態度は、人びとの臆見を出発点とすることはない。それ自体が誤った前提から生じているのだから、異なったヒューリスティックな原理(「イデア」)を対置することなしには、人びとの迷妄を正すことはできない。ホッブズにとってそれは「虚栄心」と「暴力死への恐怖」の二元論であった。一旦、このような原理が明らかになれば、そこから統一的で正しい国家像を導出するのはなんら苦も無いことである。「こうして政治学は国家を規制するための技術となる。その課題は、現存の国家の不安定的な均衡を正しい国家の安定的な均衡へ変換することである。」(p.185) したがって、プラトンにおいて要求された「対話術」、より一般的な語を使えば、「討論」はホッブズの体系にあってはひとつも用をなさない。「正義等々について人びとの言説から出発することをホッブズは余計なことである、否、危険であるとすらみなしている。」そこで、彼は、「[民衆の]自然的価値評価を原理的に拒絶しつつ、このような価値評価を超えて進み、さらに新しい未来の、そして自由に立案すべき「ア・プリオリな」政治論へと向かっていく」(p.199)のである。もちろん、原理の是非をめぐっては依然討論の可能性が残されている。しかし、それは「基準、すなわち、善についての問いかけ」では既になく、「すぐれて必然的なものについての問いかけ」(p.201)でしかない。ゆえに、それは技術的な問いであって、もはや政治的な問いではない。分解‐構成的方法が伝統との断絶を決定的にしたことの意味は、まさしくこの「基準への問い」の有無に存するのである。けれども、それを言うなら、プラトンのディアレクティケーこそ出来レースではないのか、そもそも仮象に対して真理を対置させる姿勢こそ教条主義的ではないのか(「言説の一義性は…明らかにされうる」)、というまっとうな疑問も浮かんでこよう。これについては『ホッブズの政治学』において明確な答えを見出すことはできない。ただ、シュトラウスの中期以降の思想展開の中で、イデアが「普遍的で永遠的な諸問題」と規定され、そして一切の曖昧さから自由であるべき服従道徳(戒律)と自然的正の要求が古代においては複数の表現を取っていることの意味を同時に考える必要があるだろう。それなくして、判断は誠実なものとなりえない。

もうひとつ、中期以降の思想展開につながる箇所を指摘しておこう。アリストテレスのコスモロジーにプラトンのそれを対置させる部分である。
アリストテレスの教えによれば、倫理的な諸徳やそれらの頂点にある正義は、人間が人間以上の存在ではないかぎりにおいて、人間にふさわしいものであるが、しかし、哲学することにこそかれの真の幸福はあるのであり、その幸福を通してかれは人間性の限界をある程度超越していくのである。哲学者は「幸福者の島」で生活する唯一の人間であるということ―このことについてはプラトンとアリストテレスは意見が一致しているが、哲学者には非哲学的な大衆に無関心なままで自己自身の幸福を得ようと努力する権利があるという考えをプラトンを否定するまでである。いかに哲学者たちが自らを神と同化させながら人間性の限界をある程度越えていこうとも―かれらは依然として人間であり、人間であり続け、そしてそれゆえ他の人びとのうちにあって一つの種族の人間を形成するにすぎず、こうして部分の幸福ではなく全体の存立に配慮する、国家の法律に服従するのである。理想国家の法律は、哲学者を強制して他の人間に関心を払わせ、かれらを監視させ、「各人の好むところへ向かわせ」ないようにさせる。…プラトンにとっては、…単に政治的な徳しか存在しないのである。(強調は原文どおり)(p.180-181)
明らかにここで、シュトラウスは哲学者であっても、先立つのは権利ではなく法律であることを強調しようとしている。そのために哲学者は強制されなければならないというのは、中期以降の(エキセントリックな)『国家』篇解釈と比べたときに多少の齟齬が見出せるであろう。エソテリシズムの発見以降は、私的な観想的生と公的な実践的生の間にいかに調和をもたらすか、それが彼の中心課題となってゆく。プラトンのみならず、クセノポン、アリストパネスの著作を視野に収めてまで、執拗に「政治哲学者」としてのソクラテス像を追及したのは、まさしくこの理由からであった。「シュトラウスをシュトラウスせしめた」のがまさしくソクラテスだったのである。(Platt, Michel. “Leo Strauss: Three Quarrels, Three Questions, One Life.” Deutsch, Kenneth L, and Walter Soffer. eds. Crisis of Liberal Democracy: A Straussian Perspective. Albany: SUNY Press, 1987. p.23.)

シュトラウスのホッブズ
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2009年04月02日

カミュ=サルトル『革命か反抗か』/サルトル『実存主義とは何か』『ユダヤ人』他

A・カミュ/J-P・サルトル(佐藤朔訳)(1969)『革命か反抗か―カミュ=サルトル論争(1952)』新潮文庫
J-P・サルトル(伊吹武彦/石崎晴己訳)(1955, 96)『実存主義とは何か(1946, 70)』人文書院


50年代初めに『現代』誌上で交わされた有名なサルトル=カミュ論争の邦訳。正直、読みにくかった箇所がちらほら。当時は論争上手なサルトルに軍配が上げられたそうだが、冷戦後に生きるわれわれにとっては、暴力を拒否し、生命に重きを置くカミュのほうに共感しやすいであろう。しかし、重要であるのは、彼らが向き合った哲学と実践にまつわるそもそものジレンマである。カミュは『反抗的人間』において、反抗者とは「単に主人に抗する奴隷であるばかりでなく、主人と奴隷との世界に抗する人間でもある」と論じたが、サルトルが正しく指摘するように、両者(奴隷と人間)の間にはやはり逃れがいたい矛盾が存在する。

個別具体の「状況」の中にあって、同時に自由人たれ、と説くサルトルの形而上学的立場は、既存の価値や決定論的思考を口実とする個人の欺瞞的態度を糾弾し、その行為に厳格な責任を課す(「個人の行為は全人類をアンガジェする」p.76)。他方、そのような自由を妨げる「状況」に対しては、政治的変革を求め労働者を社会主義革命へと駆り立てるのである。サルトルにとっては戦後のユダヤ人問題も、同様の観点から論じることが可能なテーマであった。

J-P・サルトル(安堂信也訳)(1956)『ユダヤ人(1954)』岩波新書

反ユダヤ主義に対する解決策が社会主義革命とは、今では話のオチにすらならないだろうが、「状況」に基づくユダヤ人の協同意識、正統でない(非本来的な)ユダヤ人の反ユダヤ主義というジレンマ、戦後自由主義体制下での同化主義の欺瞞性(ユダヤ人性の抹殺)、解決策であるはずのシオニズムがもたらしてしまう混乱と分裂、等々についてサルトルの考察はやはり鋭い。以下では、この問題についてもう少しばかり。

田所光男(1999)「フィンキェルクロート『想像のユダヤ人』における「見出された差異」―ジェノサイト後のフランスでのユダヤ人性の追及とサルトル」『言語文化論集』21(1): 111-125.

フィンキェルクロートという名前は初めて聞いた。なかなかの論争家らしい。近年では批判されることが多いそうだ。彼はその著『想像のユダヤ人』(Le Juif imaginaire, 1980)で、戦後生まれのユダヤ人が取りえた選択肢として以下の三つが存在したと語る。同化ユダヤ人たる「イスラエリット」(Israélite)、ユダヤ人性という差異を尊重する「ジュイフ」(Juif)、イスラエル国民たる「イスラエリヤン」(Israélien)である。彼はサルトルの影響を受けつつ、イスラエリットを拒否し、ジュイフすなわち「真正のユダヤ人」として生きることを選択する。しかし、戦後世代にあってはサルトルが描いたような二極化された構図は次第に後景へと退き、「『自分の感情を自分だけに向け、何よりも自分を好む』という自己主義が前面を覆って」、「無数の差別意識が社会空間に行き渡る」「自分は―社会」(la société du quont-á-soi)が非ユダヤ化を否応なく押し進めていた。その中で、ユダヤ人的差異はどのようにして見出されるのであろうか? フィンキェルクロートによれば、それは「アウシュヴィッツの子」という先の世代の悲劇によって生じた威信に求められる。田所は、このような非本質的な定義の仕方をサルトルのそれに重ね、両者の影響関係を指摘する。しかし、サルトルが『ユダヤ人』の終盤で描いた「具体的な自由主義」は諸々のユダヤ的本質を私的空間に押し止め、二次的なものとし、「人間の自由な[公的]参加によって共同性を実現することであり、そこではやはり一種の[普遍主義的・共和主義的]「同化」が目指されている。」(p.119) もし、フィンキェルクロートが「見出された差異」を求め徹底した差異主義に立つのであれば、このようなサルトルの姿勢といずれは齟齬をきたすことになろう。事実、田所が示すように、『想像のユダヤ人』における彼の狙いは、差異主義の擁護と展開ではなく、その超克にあった。無論、そうであるからといって、前世代の非本来的な同化主義に回帰する道はありえない。いずれにせよ、サルトルとの齟齬も彼にとっては織りこみ済みだったというわけだ。その詳細な議論については、本論の主題を越えるために、田所は次稿に預けている。ただ、フィンキェルクロートは後の著作『愛の智慧』(La sagesse de l’amour, 1984)で、レファレンスをサルトルからレヴィナスへと移して、以下のように述べる。
「自己であること、自己を見出すこと、外来の諸悪から自己を純化すること、このような願い以上に、おそらくもっと深くもっと決定的なものがある。それは、自分の自己から離脱する夢、自己自身への還帰という運命から逃れる夢である。」(p.122)
いわば主客の不断の逆転であり、そこから彼の自他関係理解もおのずと見えてこよう。

堀田新五郎(2003)「J. P.サルトルの他者論―『ユダヤ人問題についての考察』から」『奈良県立大学研究季報』14(2, 3): 119-128.

堀田の狙いは、しばしば価値相対主義(「まなざしの相克」)として批判されるサルトルの倫理観についてその普遍的基礎を探ることである。もちろん、状況の中で自由人たる人間は既存の価値に従うのではなく、不断の企投によって価値を創出する。ならば、その価値は具体的な善としては定義し得ないものであろう。ここから、必然的にわれわれはメタ倫理の模索へと導かれていく。そこで鍵となるのは、〈他者〉に潜む二つの契機である。
[注・『モラル・ノート』からの引用]「〈他者〉には、二つの意味がある。第一に、構成的な原初的〈他性〉としての〈他者〉。これは私に対して優先権を持つ。第二、〈他者〉によって私のうちに構成された他性としての他なるもの。これは他なるものとしての私以外ではない。あるいは、疎外されたものとしての同一者〈le même〉である。」ここで語られた第一の〈他者〉とは、各人を規定する大文字のまなざしを持つ構成的権力であり、第二の〈他者〉とは、私のうちに内面化された他性、すなわち石化された自己同一性としての地位・役割であろう。(p.123)
言うまでもなく『ユダヤ人』においては、この両者は反ユダヤ主義者と非本来的なユダヤ人として論じられた。サルトルによれば、被抑圧者が同時に抑圧者となる「他性の循環」がここから導出されるという。
抑圧社会における真の支配者が〈他者〉であるかぎり、抑圧者とは常に抑圧の移譲であり、各人は抑圧を伝え合わなければならない。これがサルトルの言う「他性の循環」である。したがって抑圧からの解放とは、抑圧者と被抑圧者の双方を、〈他者〉の秩序から解き放つこととなる。一人の奴隷が存在するかぎり、我々も一人として自由とはいえないからである。(p.124)
『ユダヤ人』最終章での「ユダヤ人問題とはわれわれの問題である」という主張は、このような〈他者〉認識があってこそ根拠を持ちうる。同時に、この「他性の循環」は『モラル・ノート』に記された悪の概念をも説明してくれる。「悪:主観的な客観性、あるいは、主観性の客観化」(p.120)、すなわち、「自由な対自の物化・即自化」である。では、このメタレベルで析出された悪に対して、われわれはどのように対峙しうるのであろうか。
悪がこのように、いわば超越論的位相において捉えられるならば、それに対する集団的抵抗、すなわち連帯(solidalité)という倫理的契機もまた現実化しうるのではなかろうか。というのも、ここで提示された悪への抵抗は、…主体の自由を自覚する浄化的反省(réflexion purifiante)そのものであり、自由と不可分だからである。(同)
ここには、既に主客の概念すら存在せず、唯一自由人のみが存在する。しかも、サルトルが要求するものは、極めて厳格である。すべての人に対して支えなき自由から目を逸らし、安易な逃げを打つことを許さない。それは、彼が言うようにまさしく「自由への強制」である。(そして、自由からの行為は「全人類をアンガジェする」) サルトルは、このメタ倫理的命法に則って、社会において最も抑圧されている人びとの具体的反抗に連帯せよ、とわれわれに呼びかけるのである。

[このサルトルによる実存主義的倫理は、社会大でおおむね固定化された差別(人種・民族・宗教・階級)よりも、現代社会においては、相互のまなざしが不断に転換するような、小規模で非固定的な差別(例えば、いじめ)に、その領分を見出すことができるのかもしれない。(先の論文でも指摘されたように、彼の「具体的な自由主義」が共和主義的な体制の焼き直しであるならば尚更のこと) ただ、その場合には、「自由への強制」だけで「アンガジェ」を呼びかけるのは困難であり、やはりなんらかの価値の擬制が必要となってくるだろうが。]
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2009年04月01日

カミュ『異邦人』他

A・カミュ(窪田啓作訳)(1954)『異邦人(1942)』新潮文庫

言わずと知れたアルベール・カミュの古典的名作だが、訳者解説以外に何か得られるものはないかと思い、とりあえずCiNiiを漁ってみた。

村岡正明(1980)「カミュとニーチェ―『異邦人』と〈神の死〉」『城西人文研究』7: 171-186.

『異邦人』で比較的困難を覚えるのは、ムルソーが御用司祭を難詰し、母親と自らの死について内省する最終場面(窪田訳では125から127頁)ではなかろうか。村岡は『異邦人』の中のニーチェ的モメントを重視し、それを透かし絵として用いることでこの場面の内在的理解を促す。例えば、母親と自らの死についての内省において、“revivre”を窪田訳のように単に「生きかえる」ではなく、「くりかえし生きる」と「永遠回帰」のニュアンスを汲みいれて訳せば、ムルソーの生に対する愛惜(運命愛)を読み取ることができる。一応、その箇所の村岡訳を示しておこう。
「死を間近にしたママは、そこで自分が解放されるのを感じ、すべてをくりかえし生きる準備ができたのを感じたのにちがいなかった。そして、私もまたすべてをくりかえし生きる準備ができたのを感じた」(p.176)
次に、ムルソーの反キリスト教的姿勢がニーチェ的な〈神の死〉と関わりを持っていることは容易に見出せるとして、そのことが彼を「世界の優しい無関心」へと開かせるのはどういうわけだろうか。村岡は、この「無関心」(indifférence)をその語源である「差異がないこと」、「無差異」にまで立ち戻って解釈し、ニーチェのツァラトゥストラが味わう《倦怠》をこの部分に投射する。そのため、ムルソーの無関心とその底に横たわる等価値・無価値・無差異、つまりニヒリスティックな認識は、ニーチェと同じく新たな地平形成の前提(「能動的ニヒリズム」)として同一線上に位置付けられる。ただ、カミュには、ニーチェに見られた「みずから手を下して滅ぼす」という徹底的な積極性が存在しない。そもそも、「無差異」へと心を開くことは、能動的な決断が一切失われたモノの世界、「永遠に差異のない世界」を受入れることを意味する。それはヒトにとっては「死の世界」である。この一見矛盾する死生観(運命愛と死の共存、〈神の死〉の受動性を引き摺った能動性)に村岡はニーチェと異なったカミュ独特の思想を読み取る(〈蒼ざめたニーチェ〉としてのカミュ)。言い換えれば、カミュないし「ムルソーの外的偶然は、内的必然への変質を遂げ」(p.185)るのである。サルトル的アンガージュマンに対してカミュが消極的姿勢(形而上学的反抗)に終始し、安易な実存主義的決断を忌避したのも、背景にこのような死生観があったからこそと言えよう。

加藤宏幸・千葉裕平(1995)「アルベール・カミュの『異邦人』論―不条理な感情の生成過程および自然との関係」『Artes Liberales』57: 83-94.

学生(千葉)の卒論に指導教官(加藤)が手を加えて提出されたもの。加藤・千葉は最初に、カミュにおける不条理の定義をその広狭によって区別する。本論が依拠するのは、「世界の中で、人間が自分の存在に感じる違和感・断絶感=世界と人間のあいだの断絶・ずれ」という広義の不条理である。加藤・千葉に従えば、ムルソーが世界の断絶を意識し始めるのは、裁判において、事件の合理的な説明を求めようとする判事や検事らの世界(便宜的に「常識の世界」と呼ぼう)が、彼の中に違和感を生じせしめるときである。そして同時に、彼は世界の非合理性(こちらは「事実性の世界」とでも呼べるだろうか)に意識的に向き合うことを余儀なくされる。しかし、向き合うムルソー本人は一体何者であろうか?彼は判事らのように世界の合理的解釈を求めなかった。その意味で、「事実性の世界」に幾分近しき存在である。ゆえにムルソーは「常識の世界」では異邦人たらざるをえなかった。しかし、彼は依然として人間である。たとえ世界の合理性に無関心であっても、彼は判事や検事らと本質的に変わるところがない対自存在なのである。そうである以上、いくら近しき存在といえども、ムルソーも人間として「事実性の世界」と根源的に対立する。彼はまた根源的に異邦人なのである。カミュの言う「不条理への反抗」が、「不条理を見つめ、かつそれに同意しないこと」(p.84)にあるのだとすれば、問題はむしろ、この「事実性の世界」の忘却・隠蔽にある。この観点からすれば、加藤・千葉の言う不条理以前のムルソーであっても、その難から逃れられていないのではなかろうか? ただ、彼の場合はその自然主義的態度がそうさせているのであるが。たとえば、結論部でわれわれは以下の論述を目にする。
人が明晰さを求めようとすれば、ついには世界の非合理性を前に、人間と世界の断絶、つまり不条理に直面しなければならない。しかしムルソーのように、世界の非合理性を無意識に認識し、明晰さを求めようとしなければ不条理に直面することはない。ムルソーは不条理に目覚めにくい人間であると言える。(p.93)
しかし、『異邦人』においてはムルソーこそが世界の非合理性に目覚めた唯一の登場人物であったはずだ。その他の人間は、彼らなりの世界の明晰性についてつゆほども疑いを抱かなかったと言えるだろう。マリーであっても、レイモンであっても、判事であっても、司祭であっても、然りである。ただ、ムルソーについて違っていたのは、太陽(自然)がときに自らに牙をむく、その経験にあったといえるだろう。それを、無意識的認識と呼んでいいものかどうかは正直わからない。カミュの言う明晰さへの欲求は実際には人びとが心の中に生み出した擬制である。本論では自然との調和と表現されるムルソーの自然主義も結局はそのようなものの一種ではなかったか。

既に述べたように、ムルソーに付きまとっていたのは二重の「異邦性」であった。ひとつは裁判の過程で認識する「常識の世界」に対する異邦性。もうひとつは太陽の疎遠さがもたらす「事実性の世界」に対する異邦性である。前者から導き出されるのは、あくまでも人間の不自然性の認識である。自然主義的態度を身に付けたムルソーにとっては裁判上の出来事は、まさに別世界のことのように感じられた。ただ、本論ではこの両方の異邦性を明瞭に区別しないがゆえに、多少混乱が生じているように思える。
ムルソーは世界の非合理性を感じる。検事らが事件を無理矢理体系づけようとするので、彼は非合理性をより強く感じる。非合理な世界をだれも体系づけることはできない。彼は非合理な世界の中で人間が明晰を求めようとするのは愚かであることを知り、同時に自分という人間存在の不自然さを認識する。彼は世界から遠く離れてしまう。世界と自分の断絶から、不条理な感情が芽生える。(p.89)
この論述を以下の結論部のものと比べてみると良い。
ムルソーはこの裁判で、明晰を求めようとする人間の行為の愚かしさを知り、また事実とあまりにも掛け離れている検事の解釈に、裁判が自分の裁判であるとは思えず、世界と自分との断絶を意識する。つまり不条理な感情の出現である。(p.93)
前者では、明らかに「人間存在の不自然さ」から「事実性の世界」に対する不条理な感情を導出しているが、後者では「常識の世界」との断絶が、直ちにもうひとつの世界との断絶であるかのような言い回しになってしまっている。もちろん、後者は前者を受けてのまとめなのであるが、ただ、その後に、「しかしこれは、ムルソーにとっては本質的な不条理ではない。本質的な不条理は、むしろ裁判の後にムルソーが直面する、死についての不条理である」(同)と続くのを見ると、明らかに、裁判において生じた不条理の感情と死刑を臨んで抱かれた不条理の感情との間に質的差異が認められる。しかし、カミュにとって世界の非合理性・偶然性の形式はただ一つである。そのため、「偶然の積み重ねからなる世界と、必然的な死という運命を背負わされた人間、この両者の間の断絶にムルソーは本質的な不条理を感じる」(同)という言明は誤解を与えかねない。人為的にもたらされた確定的な死、すなわち死刑は、加藤・千葉が確認するように「事実性の世界」においては偶然の積み重ねによって生じた出来事である。したがってここでは、その確定的で逃れがたい死がムルソーを必然的な死という究極の事実性についての省察へと促した、とまず考えるべきであろう。なぜなら、断絶はこの世界における偶然性と必然性の間にあるのでは決してなく、それは、一方で偶然性の中に合理性を見出そうとし、他方で必然的な死について内省を強いられる人間が「事実性の世界」と対峙して、はじめて意識の前面に現れるものだからである。つまり、人間の必然的な死は、人間それ自体ではなく世界にこそ属している。広狭問わずカミュの不条理の定義と、「不条理への反抗」の意義は、まさにこの断絶の位置を正確に捉えてこそ、理解することができると言えよう。

古野千恵(2005)「『異邦人』における「太陽」」『Stella』24: 139-146.

先の論文ではちょうど「太陽」と「不条理」が主題とされたので、それぞれが単一の主題として扱われた論文も見ておこう。

本論のねらいは「身体的苦痛がムルソーをどのように精神的に追いつめるのか、そして彼はなぜ太陽を殺人の動機とするのかという問題をとりあげ、あわせて逮捕後のムルソーに認められる変化について」考察することである。ただ、短い論文であり、内容的には加藤・千葉論文における描写の域をさほど出ていないので、目新しい議論は特に見当たらなかった。簡潔にまとめるだけにしておこう。

*初期作品における「太陽」の両義性=「ゆたかに降りそそぐ光はあらゆる怨恨を奪いさり、キリスト教的な〈歴史〉がすべてではないことを…教えてくれる」(p.139-140)⇔「あらゆる存在を衰弱させ焼尽する凶暴かつ過酷なイメージ」(p.140)
*『異邦人』における「太陽」=愛へ誘う陽光と死の宿命を告げる陽光として形象化/母親の埋葬時[溶解や粘性という否定的イメージ]⇒マリーとの海水浴[爽快感]⇒マソンの別荘での冒頭[爽快感]⇒殺人前後[混乱と破壊をムルソーひとりに齎す身体的・精神的苦痛―母親の埋葬時と同じ―第1稿には殺人直前の苦痛の描写は存在せず]⇒裁判拘留中[間接的な脅威―判事ら法廷内のひとびとと共有された暑さ]⇒死刑判決後[太陽(昼)から夕暮れや夜へ―心の平静の取り戻し]

古野は最後に、カミュにとって「少年時に生きる意味を教えてくれた輝かしい〈太陽〉」は数々の戦争の悲惨(ナチズム、アルジェリア戦争、ソ連の強制収容所)を経て、「永遠に奪われてしまった」(p.145)と推論している。

松本陽正(2007)「アルベール・カミュにおける不条理について―『異邦人』を中心にして」『広島大学フランス文学研究』26: 30-44.

今度はカミュの「不条理(absurde)」について。その定義については、加藤・千葉論文で示されたとおり、「世界と人間との対峙(confrontation)から生じるもの」として位置付けられ(狭義の不条理)、「さらに一般的には、二つのものの比較・対立から生じるとし、『比較の両項間のずれが増大すればするほど、それだけ不条理性は大きくなる』」(p.33) (広義の不条理) とされる。

『異邦人』での具体的な「不条理」のイメージ化については、松本は殺人、裁判、そして最終章という各々の場面を取り上げて考察してゆく。内容的には、加藤・千葉論文で描かれた以上のものではないが、たとえば、小説がムルソーの1人称の視点で描かれていて、読者は巧妙にも不当な裁判に対する怒りを共有するように導かれていくこと(p.37)、『手帖』によればカミュにとって『異邦人』と『神話』は肯定へと向かうゼロ地点(出発点)であったこと(p.38)などは新たに得られる部分といえようか。

最後に、松本は「不条理の系列」に属するカミュの作品群の共通項をまとめている。一つは、究極の不条理としての死との対峙。二つめは、犯罪者、加害者に設定された主人公。三つめは、自己の生の肯定。そして、最後に神(々)への反抗である。

東浦弘樹(1997)「ムルソーとレエモン―カミュの『異邦人』をめぐって」『商學論究』44(4): 127-143.

東浦は、精神分析的見地から、ムルソーがレエモンへと同一化していく心的過程を考察し、アラブ人殺害へと至る道筋を説明する。ムルソーとは端的に言って無関心と愛想・親切の人である。東浦はこれを「他者との軋轢を避けるための無意識的な防衛手段」(p.129)と捉える。ならば、どうしてそのような彼がレエモンに過剰な親しみを示し、アラブ人殺害をいわば代行することになってしまうのか。

本論では二つの先行研究が紹介され、それらを受ける形で議論が展開される。ひとつは、ピション=リヴィエールとバランジェの「喪の禁圧および妄想型分裂病的メカニズムと不安の増大」[Pichon Riviére, Arminda A. de & W. Baranger (1959), 《Répression du deuil et intensifications des mécanismes et des angoisses schizo-paranoïdes, Notes sure L’Etranger de Camus》, Revue française de Psychanalyse, n.3, pp.409-420.]であり、もうひとつは、アラン・コストの「ムルソーのふたつの殺人」[Costes, Alain (1982), 《Le Double Meurtre de Mursault》, Cahiers Albert Camus 5, Albert Camus: æuvre fermée, æuvre ouverte?, Gallimard, pp.55-76.]である。

ピション=リヴィエールとバランジェの論文では、ムルソーの母親に対するサディズムと、両親の性行為という「原風景」的価から、「レエモンの計画に加担し、モール人女を母親にみたてることによって象徴的復讐を遂げようとしている」(p.133)と説かれる。しかし、東浦はこの説に対して疑問を付す。
…カミュの作品に親しみ、そこにみられる母親と息子の「奇妙な」関係を知る者には、ムルソーが母親を罵ったり暴力をふるったりしたということは、にわかに信じがたいことである。(p.132)
そして、「両親の性行為を目撃した子どもは攻撃者たる父親に憎悪を向けるのが通例であ」って、「かりに母親を憎むとしても、…二次的に憎むに過ぎない。」(p.133) 東浦は、ムルソーにとっての「原風景」的価値はむしろ養老院での母親の擬似的「婚約」によって呼び戻されたのではないかと考え、カミュ自身の少年期における体験に着目する。彼の母親は、彼が16歳の時に妻子ある男と恋愛関係を持ち、それに反対した母親の弟(つまりはカミュの叔父)がその愛人と殴り合うという事件をカミュは目の当たりにする。東浦は、この事件がカミュに与えた衝撃の甚大さを考慮し、初期作品に見られるような主人公の無関心さは、ムルソーと同じく事件を否認しようとする無意識的な防衛ではなかったかと論じる。

ここまでで、モール人女を母親と見立て象徴的復讐を遂げようとするムルソーの動機がとりあえずは説明される。では、物語の根幹にあるアラブ人の殺害はどうか。そこで参考にされるのが、もう一つの先行研究であるコストの論文である。彼は、「ムルソーの殺人を『二重の殺人』と定義し、アラブ人はまず姉の恋愛を妨害する弟として射殺され、つぎにカミュの母親を暴行した犯人として射殺されたと述べる。」(p.139) 東浦は第一の殺人に着目するわけだが、そこにはムルソーにとっての「レエモン/モール人女/殺害されたアラブ人」という関係に、カミュ自身の「母親の愛人/母親/母親の恋愛に干渉する叔父」という関係が投射されている。そのため、叔父に擬されたアラブ人を殺害する行為は、コストによれば「退行したエディプス的行為」ということになる。しかし、本来ならば、母親の愛人に擬されたレエモンこそがムルソー(カミュ)のライヴァルでなければならないのではないのか、という疑問は残る。なぜ、アラブ人が殺されねばならなかったのか。東浦はその理由として、母親を虐待した叔父へのカミュの間接的復讐をあげる。カミュの母親は彼を裏切った存在でありつつも、叔父の虐待の犠牲者であり、他方で叔父はカミュ自身の気持ちの代弁者である。母親と叔父、その矛盾する感情が初期作品では防衛的無関心として表れたが、『異邦人』に至ってはモール人女(=母親)とその兄弟(=叔父)両方に対する露骨な攻撃性へと転化する。そうだとすれば、『異邦人』におけるムルソーのレエモンとの同一化は結局、自分が母親(=モール人女)の正当な「愛人」であり、母親の愛を独占する権利があることを主張する役割を担ったのではないか、そう東浦は分析する。そこから、先に見たムルソー(=レエモン)の母親(=モール人女)に対する象徴的復讐もまた、母親を取り戻すための一種の懲罰であった、という推論が成り立つ。
ムルソー=息子がアラブ人=叔父に「エディプス的ライヴァル」をみとめ抹殺するというアラン・コストの説は、愛人をつくった母親を息子が罰し、許し、取り戻すという心的過程があってはじめて成立する。「叔父殺し」は母親への復讐と一対になっているのである。(p.141)
まとめれば、ムルソー(カミュ)をめぐっては二重の三角関係が成立することになる。

『異邦人』における二重の三角関係

カミュは最初の関係を、母親に対して象徴的復讐を果たすことにより解消し、次に、叔父に見立てたアラブ人を殺害することで、第二の関係を解消したのである。『異邦人』のラストシーンに見られるあの幸福感、「不条理への反抗」に見られるあの死についての達観は、まさに母親に対するこれらのわだかまりを解き放った末に得られたものであった。
posted by ta at 04:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 文献レヴュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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