2009年04月06日

添谷「新旧論・ノート」/竹島「カール・シュミットとレオ・シュトラウス」

添谷育志(1992)「新旧論・ノート―レオ・シュトラウスの政治思想をめぐる断章」小野紀明ほか『モダーンとポスト・モダーン(知のフロンティア叢書 1; 政治思想史の再発見 1)』木鐸社: 79-115.

「近代のアカデミズムひいては『近代性』そのものに対するシュトラウス的な『オルターナティヴ』には多大な疑問を抱いている」(p.84)と断りつつも、ドゥラリーやハーバーマスによる解釈の不十分さを指摘するなど、本論には対象に誠実に向き合おうとする姿勢が感じられる。考察のテーマは、端的に言えばシュトラウスにおける古代回帰の意味の解明である。『ホッブズの政治学』のドイツ語版序文(1964)にはこうある。
…近代人たろうとするか超近代人たろうとするかの決断を下すまえに、[いわゆる「新旧論争」における]古代人と近代人との争いを、従来なされてきたよりも徹底的かつ厳密に理解する必要がある… (『ホッブズの政治学』、p.xiv)
添谷は、シュミット論が明らかに古典回帰の重要なモメントとなった(「…シュミットによって着手された自由主義批判は、自由主義の彼方の地平が獲得されたときはじめて完成しうる」、p.240)にも関わらず『ホッブズの政治学』では、「真のオルターナティヴ」が前面に押し出されていないという点を指摘する。だが、とりあえずこの点はおいておこう。それよりも、シュトラウスが目指した「自由主義の彼方の地平」とはどこを指すのか、という問いが何よりも重要である。それは具体的時間(歴史)としての近代以前なのか、以後なのか。それともそのような区分を無効にするような思考のあり方なのか。添谷は、ドゥラリーによる秘教的な古代回帰や「哲学者‐超人」解釈に対して、20、30年代ドイツの知的状況の詳細な検討を要求しつつも、シュトラウスの狙いが少なくとも「脱‐近代」にあったということにおいて同意する。それは、具体的時間としての単純な近代以前でも以後でもなく、端的に近代の「外」、歴史の「外」、時間の「外」である。[「外」というクロノロジカルな限定を取り除いた表現は正しいように思える。それは近代以後の思想的インパクトを経た近代以前の取り戻しであった。シュトラウスは、ニーチェやハイデガーからポストモダンの洗礼(近代的な教条主義の破壊)を受けつつも、彼らが近代との地続き上にしか見出しえなかった古典的合理主義へと回帰した。彼の古典解釈の特異性がしばしば批判されるのもこれが所以である。深刻な問題は、そのような特異な解釈が彼自身の思想的立場を根底から突き崩すことになってしまわないのか、ということであろう。] 以上に加えて、添谷は、シュトラウスの「近代性の第一の波」批判(「ほとんど生理的嫌悪感といってもよいほどの感情」、p.104)が、リベラル・デモクラシー擁護と果たして両立しうるのかという疑問に触れている。

あと、添谷はドゥラリーが「複雑なテクスト群の間を文字通り縦横に飛び回る」ものの、そのことによって「シュトラウスの思想の『持続的な、深化の過程』はかえって不分明になっている」(p.114)と指摘する。これは、シュトラウスのみならず、あらゆる思想史研究に当てはまることであろう。明らかに異なった知的環境の下で書かれたテクストを、その間の思想的展開を一切省みることなく、同じ俎上に載せることは厳に慎まねばならない。

竹島博之(2000)「カール・シュミットとレオ・シュトラウス―ホッブズをめぐって」『同志社法学』51(6): 162-262.

よく引用される一本。シュトラウスとの論争を通じて析出された「同一性の形而上学」と「生成の論理」という軸概念を用いて、シュミットの政治思想を全体主義的に基礎付け(再現前と友敵関係―後者優位の結合)、さらには同じ概念でもって、全体主義以降の対抗的なポレーミックの型を大まかに整理している(シュトラウス―形而上学、ポストモダン思想―生成の論理、アレント―形而上学優位の結合)。

シュトラウスに関しては、やはり『ホッブズの政治学』における議論の非一貫性の指摘が目を惹くであろう。ただし、基本的な論点は先行研究に負っている。(McCormick, John P. “Fear, Technology, and the State: Carl Schmitt, Leo Strauss, and the Revival of Hobbes in Weimar and National Socialist Germany.” Political Theory. 22.4 (1994): 619-652. ---. “Political Theory and Political Theology: The Second Wave of Carl Schmitt in English.” Political Theory. 26.6 (1998): 830-854.) マコーミックの論文にあたってみるまで、不用意な推論は慎むべきだろうが、シュトラウスにとっての事情は、厳密にたどれば以下のようになると思われる。彼が最初にユークリッド的転回を経ずにホッブズの政治思想を基礎付けようとした際、脳裏にあったのは「暴力死への恐怖」というアリストテレス的伝統の延長にある道徳的素材と「分解‐構成的」方法という自然科学的形式の組み合わせであったために、その意味では後者を二義的な要素として軽視することができた。(『ホッブズの政治学』、p.4f) ただ、著作の後半部に至って、今度は素材の部分にこそ科学的思考の裏付けが必要であることに気付き、本論文で引用されているような言明が引き出されたのであろう。(p.214、『ホッブズ』、p.202-203) したがって、竹島がこの文脈で「国家の目的についての問いの排除」(『ホッブズ』、p.185)、すなわち目的論的国家観の排除を論じるとき、それは厳密に言えば、素材たる信念ではなく形式たる方法論によってもたらされたと依然考えるべきである。

次に、『ホッブズの政治学』がどこまでシュミットとの論争に影響を受けていたのか、という問題であるが、竹島が主張するように、当初のシュトラウスの構想が「シュミットのプロジェクトを忠実に引き継いで」(p.211)いたと言い切るのには違和感を禁じえない。32年の注解において、シュトラウスはシュミットの実際の狙い(それに気付いていなかったにせよ)が自由主義批判にないことを見抜き、明らかにホッブズ研究を通して「自由主義の彼方の地平」を発見するという期待を述べている。シュトラウスがホッブズ研究を始めた動機にシュミットの影響は無かったとするのはもちろん誤りだが、自由主義批判としては完全に無力だと自ら指摘した議論を『ホッブズの政治学』で徹底化させ、シュミットの国家主権論を補完する必要性がどこにあったのだろうか。(後述の富沢論文[1987]、p.393を参照) シュミットのホッブズは未だ秩序の形成者たりえていないが、シュトラウスのホッブズは既に伝統の破壊者である。「ホッブズを現代的な形で再生させる」(p.207)といっても、明らかに両者の方向性は端緒から異なる。マコーミックは『ホッブズの政治学』に「国家の権威を再構築する」試みと「古典的な政治哲学の中にホッブズ的正統性に代わるオルターナティヴを探求する試み」との二つの方向性を読み取っており(p.229)、竹島がそこに先の論理非一貫性を重ね合わせることで、本論文の基本テーゼが組み立てられている。反ユダヤ主義の問題が、若きシュトラウスにとってその後に尾を引くジレンマであったことは確かだが、「自由主義の地平の彼方」を希求したのちに、その此方で国家主権の回復を構想していたのならば、それこそ安易すぎる発想だと言えよう。
posted by ta at 12:57| Comment(0) | TrackBack(0) | シュトラウス文献 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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