2009年08月03日

Melzer, "Esotericism and the Critique of Historicism." / "On the Pedagogical Motive for Esoteric Writing."

Melzer, Arthur M. "Esotericism and the Critique of Historicism." American Political Science Review. 100.2 (2006): 279-295.

最初の論文は、エソテリックな読解に対するセイバインの批判(というよりかは揶揄に近い)に動機を得たもの。
Strauss’s argument about the esoteric interpretation of philosophical writings is combined with, and complicated by, another argument against what he calls “historicism” --- “a fusion of philosophy and history” (PAW, p.157) such that a philosophical system is conceived to depend upon the “historical situation” in which it originated. So far I can see there is no close logical relation between the two arguments. A perfect historical relativist, if there is such a creature, might try to solve the Shakespeare-Bacon cipher, if he were convinced that there is one. (Ethics. 63.3[1953], p.222)
つまり、シュトラウスのエソテリシズムは彼の歴史主義批判にどのように貢献するのか、シュトラウス自身によっては必ずしも明言されなかった繋がりを解明することがメルツァーの目的である。

簡略にいえば、歴史主義を克服するための非歴史主義的な地平、すなわち古典的な政治哲学(哲学的政治)は、エソテリックな解釈技法によってのみ(再)発見しうる(非歴史主義的哲学の非歴史主義的解釈)ということである。[したがって、その発見は古典的教義の客観的(絶対的)再評価(すなわち古典哲学への単純な回帰)ではなく、哲学的探求における古典的な主体的態度の回復を意味しているといえる。(だからこそ、古典的なコスモロジーがあれほどぞんざいに扱われているわけである) 主体的態度としての哲学はそれが絶対確実な知識によって支えられているのか、もしくは信仰(主体的真理)によってか、という問題に帰着する。後者に依拠する論者は特にシュトラウスをニーチェ主義者とみなす傾向にあることはいうまでもない]

エソテリックな古典的政治哲学は、理論と実践(哲学と都市=政治=啓示)の関係において近代啓蒙(理論>実践、哲学の政治化)とその反動としての歴史主義(実践>理論、ルソー・バーク)に対立し、哲学の生活世界との(直接的)関係において(前二者に理論的根拠を提供する)進歩主義(およびその出発点としての“anti-theological ire”、メルツァーは近代合理主義をhyperfoundationalismと評する)に対立する。(主体的態度の回復としての)回帰は、ここで系譜学的に機能する。シュトラウスは、過去の思想に対する考察が真摯であればあるほど、非歴史主義的解釈へと開かれ、歴史主義は自らを超克するに至ると説く。(ニーチェの誠実性を想起せよ) 加えて、エソテリシズムは、進歩主義的伝統(この言葉自体、形容矛盾である)が哲学的営みに対してもたらした二重の危機を回避する術を提示する。ひとつは、過去の思想を自明の前提とするがゆえに、本来の哲学的営みを忘却しやすく、エピゴーネンへと容易に堕してしまう危機である。[無論、この点を強調しすぎることは独り善がりの議論になってしまうが] メルツァーの次の論文でも取り上げられるように、エソテリシズムの教育的効用とは、思想家が自身の真の思想(すなわち非歴史主義的な確信)をわざと曖昧にすることによって、読者を積極的な哲学的探求に促すことにある。(このことは、シュトラウスの言う、必ずしもシヴィック・ヒューマニズムに還元されない「逞しい個人主義(ragged individualism)」へと連なる) 進歩主義が哲学にもたらすもうひとつの危機は、先にも触れられたように、思想家が生活世界から浮遊し自失状態に陥ってしまうことである。しかし、このことは哲学者が生活世界のドグマ(=神話・道徳的源泉)に埋没してしまうことを意味しない。いわゆる哲学と都市の対立であるが、ここで生活世界は哲学的ドグマの源泉としてではなく、(他の人間と同じく「あいだ」の存在でしかない)哲学者の自己知の「場」として作用するのである。したがって、この緊張関係を根本的に取り戻すことのできるエソテリックな解釈と叙述の技法こそ、シュトラウスにとっての歴史主義克服の鍵となるわけである。(メルツァーはこの思想的超克をポストも真のポストモダンとしてのポストヒストリシズムと呼ぶ)

---. "On the Pedagogical Motive for Esoteric Writing." Journal of Politics. 69.4 (2007): 1015-1031.

引き続きメルツァーの論文。先にも少し触れられた、エソテリシズムの教育的動機・機能に焦点を当てる。メルツァーは哲学的教育に随伴する困難さについて以下のように述べる。
The central paradox of philosophical education, whether in writing or in person, is this: how can one transmit to others something that can never genuinely be given from without, but only generated from within? For that is of the essence of philosophy: it can never be done for you. It is our “ownmost” activity: you must do it all for yourself or you haven’t done it at all. (p.1020)
この問いはソクラティック・メソッドが向き合うものであるが、メソッド自体を特徴付けるのは以下の四つの要素である。第一に、教師が生徒(弟子)に簡単に答えを与えない。第二に、自力での哲学的探求を促すために、暗示やなぞかけ等の技法を駆使する。第三に、メソッドの要であるディアレクティケーは各人千差万別のドクサから開始する。それによって自らが依存する社会・共同体・環境への配慮、すなわち自己知が生まれる。最後は、教育過程の速度(テンポ)の問題である。同一の書物が、各人のレベルに合わせて別様に機能する。そのためにエソテリックな叙述の技法が最大限要求される、というわけである。

エソテリックなレトリックについて、メルツァーは堂々とエリート主義的であることを認める。
To understand the workings of esoteric rhetoric, one must appreciate that it is a frankly elitist practice. It is narrowly designed for a specific and relatively rare kind of reader: those who love to think, those who, from an early age, could always be heard to say “now wait... don’t tell me.” In variety of ways, such readers will be stimulated by the puzzles the text poses: they will feel energized by the exercise of their faculties, feel pride in the progress of their understanding, and joy in the powerful sense of insight that accompanies a discovery one has made for oneself. (p.1023)
そして、このように読者の側の積極的な参加を要求し、それを促すような「正しい種類の曖昧さ」を駆使する技法を、“reader response theory”のひとつと捉える。
While it is true,... that pedagogical obscurity often makes appeal to our irrational inclinations, a plausible case can be made that the same is true of any alternative style of exposition and that, or the right kind of reader, it is in fact the best means for prompting philosophic rationality. (p.1026)
したがって、エソテリックな叙述は(選ばれた)読者の非理性的な性向を掻き立て、理性的な哲学的探求へと導く術となる。この点で、知的誠実さと明瞭なレトリックを尊重する「開かれた社会」からすれば異質である。
The open society is highly sensitive to the dangers of obscurity but blind to those of plainness and clarity. Ultimate reality, we seem to presuppose, is what exists in broad daylight and is accessible to everyone in their everyday mood. But many earlier thinkers saw the great obstacle to philosophic insight precisely in the deadening effect that the prosaic has on the soul: a kind of trivializing everydayness arising from our dispersal in the world, from our excessive garrulousness, from the grip of slate custom and convention, and from the loss of mystery, wonder, and awe. (p.1026)
ここにシュミットのリベラリズム批判の影を見ることは誤りではない。

終盤に向けて、メルツァーの議論は再び進歩主義批判へと立ち戻っていく。 進歩主義的態度は哲学的探求のあり方だけではなく、叙述の技法ならびに出版のあり方とも密接に関係している。
The modern scholar or scientist ultimately does not --- and cannot --- live to think for himself in the quiet of his study. He lives to “make a contribution” to an ongoing, public enterprise, to what “we know.”

Wisdom cannot be told. So each generation by no means starts where the previous one left off. And as for the division of labor, the philosophic life --- the radically personal effort to see life whole --- can never be genuinely pursued as a collective enterprise of specialists who read each others’ articles. The classics had no faith in progress because they had no faith in publication in the modern sense. Indeed, they were skeptical of books of every kind... (p.1028)
これらの見解に反感を覚える人も少なくないであろう。巷に溢れるアカデミックな思想史研究も畢竟このような取り扱いを受けてしまう。唯一、シュトラウスによってその価値が認められるのは、それが系譜学的に用いられる場合のみである。最後に、メルツァーは曖昧さや謎を内に留めるエソテリックな書物を、哲学的探求の対象となる自然(全体)の神秘的なあり方に比して本論文を締めくくっている。

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メルツァーは現在ミシガン州立大教授(政治学)。コーネルでB.A.(1971)、ハーバードでPh.D.(1978)。前者ではブルームに、後者ではマンスフィールドに師事している(ソース)。彼の博士論文(“The Happiness of the Ordinary Man: Rousseau on Virtue and Goodness”)は、APSAのLeo Strauss Award(1979)を受賞している。
http://polisci.msu.edu/people/melzer.htm
posted by ta at 01:17| Comment(0) | TrackBack(0) | シュトラウス文献 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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