2010年01月12日

藤原『国家の品格』

藤原正彦(2005)『国家の品格』新潮新書

何を今更、と思われるかもしれないが、最終頁の「経済的斜陽が一世紀ほど続こうと、孤高を保つべき」といったような過激な発言や「武士道=日本版マニフェスト・ディスティニー」という傲岸な姿勢等を除けば、頷ける部分は少なからずあった。とりわけ、氏の思想の根底に潜む(と解される)普遍が個のうちに存する、もしくは個を通しての普遍という発想だ。確かに、日本固有の武士道精神を説きつつも、普遍的価値を持ち出す(p.130)のは奇妙な印象を受けるが、そもそも人が(時間的・空間的)普遍に対して開かれていなければ、極端な文化相対主義や懐疑主義に陥ることになりかねない。他方、その価値を支えるのが論理的な基礎付けでないために、普遍は致命的な欠陥を帯びてしまうことになる。結局、あらゆる道徳的信条がそうであるように、われわれの普遍も臆見の域を出ることはない(裏を返せば、政治社会におけるいかなる知見も真理=知識たりえない)。これは中間存在としての人間の宿命、すなわち限界であろう。しかし、逆を考えれば、経験の基体となる個を度外視した普遍なるものも存在しえないということになる。こういった視点からならば、(負荷なき地球市民ではなく)国際人の育成と言う際に、氏がなぜ初等公教育における英語学習を問題視するか、幾分柔軟に受け入れることができよう。世界はさながら無数の異なる培養基によって構成されており、その各々が普遍探求のための暗黙の役割を担っているかのようである。ゆえに、国際人なれば個別の文化・伝統をその担い手として維持する役割をまずは自覚しなければならない、という氏の結論にも一応は頷けるのである。
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