2009年03月06日

木田『反哲学史』/野田『デカルト』/モロー『スピノザ入門』

木田元(2000)『反哲学史』講談社学術文庫

「反哲学史」を描くためには、古典的合理主義から近代の形而上学までの直線的な哲学史観を構築しなければならない。その意味では、ソクラテスが破壊し、プラトンが打ち建てた、という構図はすっきりしていてわかりやすいが、冒頭の「無限否定」の考えは、キルケゴールやドイツ・ロマン主義者の発想に引っ張られ過ぎている感がする。もちろん、アイロニストが真の知を備えている必要はないだろうし、対話篇を読む限りソクラテスが一度も明確な結論に達し得なかったのも明らかである。しかし、ほんとうにソクラテスはあらゆる伝統を疑い尽くすことで無に帰さしめようとしたのであろうか? 少なくとも、われわれは彼がソフィストを自家撞着へと追い込む際に用いた市井の言葉を知っている。しかし、無限否定はこの自らが語る言葉の根拠すらも否定するものではないのか? ならば、プラトンが残した対話篇(少なくとも初期のそれ)そのものも全くの茶番劇であったとしか言いようがなくなるであろう。行き着く先が見えないからといって、人は現に歩いている地面までをも見失うわけではない。また、「[後年のイデア論批判が]彼(=プラトン)のこの教説(=イデア論)を実践的関心から切り離して純粋な理論体系として扱おうとする弟子たちへの警告だったのではないでしょうか」(p.98)という通俗的理解も、よくよく考えれば奇妙な擁護の仕方である。そもそも理論と実践を究極の形まで融合した『国家』篇において、前者の暴走を止める内在的根拠など見出されるはずもない。つまり、プラトンの実践的動機の忘却は、理論の側において後世の哲学者たちの誘惑に対する決定的な制止要因にはなりえないということだ。さらに、「シュラクサイもいわば哲学者の実験材料にされて大混乱をきたすことになってしまいました」(p.99)というのも、『第七書簡』がプラトンの全く身勝手な自己弁明であり、信用に値するものではないと解釈されない限りは出てこない言明であろう。

鍵は、やはりアリストテレスの倫理学・政治学にあるように思える。第一哲学の不動の動者はどういうわけか、人の実践的生について究極的な答えを与えてくれない。もしそうならば、われわれは完璧な因果連環に沿って生きていくだけで良いし、そもそも人間に随意性を認める倫理学の試みは徒労に終わろう。しかし、なぜ彼は、カントのように、実践的生の究極的根拠をつまびらかにしようとしなかったのであろうか。残念ながら、『反哲学史』はこの問いに答えてはくれない。理性をデカルト的自我に回収することで生まれた主客の循環論法、「私は自分が明確に確認できるものだけを存在者と認める、したがって、存在するかぎりのすべてのものは、私の明確な認識の対象になりうる、私は存在するもののすべて、つまり世界を隈なく明確に認識しうる」(p.150)、はカントにおいて一旦反省の契機を得たものの、ヘーゲルは歴史にこの矛盾を解決する光を見出し、それによって世界の観念論的一元化を実現した。問題は、その後の反哲学の系譜が現在に至るまでわれわれに何を齎したかである。少なくとも、(ソクラテス以前の哲学ではない)古典的政治哲学への回帰が真摯な選択肢となりえなかったことは疑い得ない。

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野田又夫(1966)『デカルト』岩波新書

* 「『完全な認識』によって支えられた道徳を強調するデカルトは明らかに、古代の道徳論者が徳をほめながら徳の認識を教えなかったという…不満を念頭にもっている。古代の道徳論は砂上楼閣であるに対して、デカルトの求める道徳は、形而上学と自然学とに支えられた道徳なのであります。」(p.58): この認識は、アリストテレスとデカルトの哲学的体系の差異を示唆するものであろう。両者は道徳を最上位に据えたが、前者が上から下への規定性を有していたのに対して、後者は下から上へのそれを有していた。それゆえ、「意志するはたらき」(volitio)を「理解する(知る)はたらき」(intellectio)に従属させた上で、デカルト的自我はそれらを一元的に回収しえたのである。しかし、これだけでは人類の至りつく先は自由ではなく自然の必然性がもたらす隷従となってしまう。彼はこのようなストア的発想に対し、「人間の技術による自然支配を人間の自由の大切な側面として大きく認める」(p.84)。ならば、この自由については根拠をどこに求めればよいのか? 残念ながら自我自身に求めることはできない。意志が理性に従属しないのならば、そもそも感覚的欲望に引き摺られた蒙昧主義を否定しえないからである。アリストテレスが理論と実践をひとつの原理へと回収せず、尚且つ両者の関係をあいまいにしたことは、このジレンマを避けるためのやむを得ない処置だったようにも見える。そうでなければ、彼の徳論が砂上楼閣として批判されることもなかったであろう。

* 「デカルトは、他人のならうべき模範を示しているのではない、とくりかえし言っている。これは、宗教はもちろん道徳について、また社会制度について、他人に説教する意図は毛頭ない、という意味であります。自分は、社会制度を改革するとか、新たな道徳を人に説くとかする、革新家でも開祖でもないという。…もちろん社会は不完全である。…けれども各社会の不完全性は慣習によって和らげられており、それをこわしてたて直すよりも辛抱するほうがましである。公の制度をいったんこわすと立て直すことは困難であってひどい結果を生む。」(p.79): 彼がその哲学的体系と方法論によって後世に残した影響からすれば、これほど説得力のない言い分はないであろう。

興味深いのは、本書で描かれたデカルト像がシュトラウスの自然主義者に酷似することであろうか。
* 「かれは速断と偏見とを自己から除くため、一室で集中的に考えるよりはむしろ旅をして実際的な経験を重ねるという道をとっています。…そういう旅によってすでに早く(学校を出た直後に)デカルトの気付いていたことは、人間が確かな認識によって生きているよりはむしろ習慣によって生きているということであ[った]。」(p.74)
* 「伝統が自身を与えるという場合は、その伝統の中に、自分がどう考えても、自分の経験と反省とをつくしても、真としか思われないような、普遍的な原理が見出された、という場合でなければなりません。」(p.76)
* 「…真理を探求するという仕事がこの世のいろいろな職業の中で最もよい、…自分のやろうとする知恵の研究ほど、純粋な満足をえられる仕事はほかにない…。」(p.82)

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P=F・モロー(松田克進・樋口善郎訳)(2008)『スピノザ入門(2003, 07)』文庫クセジュ

古典哲学に対する若干の偏見が見られないこともないが、広く基本的な事項をカバーしているので便利。一番大きな収穫は、理論と実践の関係が結局は決定論と自由意志の問題に帰着するということだろうか。そういえば、以前からこのテーマを論じてきた政治思想史家の半澤孝麿氏が、最近出版された論集においてもカントにおける自由意志の問題を取り上げていた。
posted by ta at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 文献レヴュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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