2009年06月11日

橋爪『「心」はあるのか』

橋爪大三郎(2003)『「心」はあるのか (シリーズ・人間学@)』ちくま新書

「心の哲学」ならぬ「心の社会学」。ただし、著者があとがきで指摘するように、本書で言う「心」が現代哲学が対象とする心(mind)と位相を異にする「日本ローカルな問題」であることに注意する必要があろう。そこで用いられる方法は言語ゲームである。ゆえに著者は自らの専門を「言語派社会学」と呼称する。具体的には、心の非実在性を前提として言語ゲームから表出する二次的現象に心のあり方を求めるやり方である。
「心」は非対称なので、「心」を取り出すと自分の独自性が言えたような気になりますが、実はそれだけでは無内容です。それは誰でも、同じようにできるからです。「心」とは、「心」そのものとしては答えられないのではないか。むしろ、そういう問いを生み出した社会的文脈や社会的背景を理解していくときに、別の問い(たとえば、社会学)のなかに回収して答えられるしかないのではないか、というのが私の予想であり、提案です。(p.183)
試みとして一理あるし、物理主義云々といったような哲学的に込み入った話よりも正直実感がもてる。詳細は『言語ゲームと社会理論―ヴィトゲンシュタイン・ハート・ルーマン』(勁草書房、1985)にて。
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