2009年06月28日

Frazer, "Esotericism Ancient and Modern."

Frazer, Michael L. "Esotericism Ancient and Modern: Strauss Contra Straussianism on the Art of Political-Philosophical Writing." Political Theory. 34.1 (2006): 33-61.

フレイザーはイェールでのスミスの指導学生(プリンストンでPhD)。現在はハーバードで助教(政治思想)。博論のテーマはスミス、ヒュームらの共感理論の今日的意義。(ちなみにOxford UPから近日出版予定) そのほか、ロールズやニーチェについての論文あり。
http://www.gov.harvard.edu/faculty/mfrazer

特に後半に向けてアクロバティックな印象を受けるが、それなりの説得力はあり、シュトラウスのエソテリシズムについても有益なヒントを与えてくれる。フレイザーは従来の額面どおりのエソテリシズム解釈について、それ自体が実はエソテリックな教説に過ぎないという可能性を看過しているとして議論を開始する。しかもそれは、ローゼンが主張するような古代から近代へと立ち戻る形での解釈では(ありえ)ないと言う。

まず、テクスト上でのエソテリシズムの定式化とシュトラウス自身による実際の叙述とのズレが指摘される。そこで本論の大枠は、前者をエクソテリックな主張とし、後者をシュトラウスの真の立場とすることとなる。また、定式化についても、迫害を根拠とした(啓蒙主義的近代に特徴的な、条件的)エソテリシズムと社会への配慮を根拠とした(古代に特徴的な、無条件的)エソテリシズムをそれぞれ区別する。この区別自体はフレイザーのオリジナルではないが、ここから、シュトラウスのエソテリシズムが必ずしも古代のみを対象とした技法ではないことが理解できるであろう。その立論からも明らかなように、フレイザーはシュトラウスが自らの叙述にもエソテリシズムを使用したと考えている。しかし、それは定式化とは異なった形で、である。
Strauss's goal thus seems neither to be for the philosophers to enlighten all of humanity by reshaping society (註・近代の条件的エソテリシズム), nor for the philosophers to forever hide their secret teachings from all but a chosen few (註・古代の無条件的エソテリシズム). Instead, he seems to be inviting anyone who is willing to make the effort to become one of the philosophers. (p.48)
しかし、この行為自身、読者からは一切隠されていないことに注意しよう。行間を読むとは、無から有を作り出すことではなく、あくまで読者の側での視点の変更を迫るものである。

この時点では、定式化されたエソテリシズムと実践されたエソテリシズムは一旦切断されている。これが再び接続されるのは、エクソテリックな教説としてエリート主義的な無条件的エソテリシズムが持ち出され、教育的動機からの定式化されたエソテリシズムと一致させられるときである。したがって、このエクソテリックな教説は潜在的な哲学者(この場合、誰もが候補となりうる)をリクルートする仕掛けとしてのみ理解されることになる。しかし、ここで問題が発生する。すなわち、定式化されたエソテリシズムの第一もしくは第二の根拠との内在的連関を欠いたままで(もしくは、第二の根拠をエクソテリックな教説に留めたままで)教育的動機を提示することに果たして意味があるのかという問題である。フレイザーはもちろんこの点について無頓着なわけではない。
Yet while a concern for education may be essential for esoteric writers both ancient and modern, one would be consistent in rejecting both the ancient and modern models of esotericism and still writing esoterically out of a concern for education. (p.51-52)
シュトラウス=フレイザーのエソテリシズムは、ただ潜在的哲学者をリクルートする方途として用いられるだけではなく、そこに含まれる仕掛けによってだましだましこれらの卵たちを養育する役割を担う(LAMの「ルクレティウスについての覚書」を参照)。この役割は明らかに定式化を越えた実践によって示されている部分であろう。
Rather than bombard initiates with teachings that they will only find "repulsive and depressing," esotericism provides a method for slowly luring them to search for "those hidden treasures which disclose themselves only after very long, never easy, but always pleasant work" (PAW, 37). Esoteric communication, moreover, has the pedagogic advantage of forcing students think for themselves, to consider whether a philosopher's reasoning at any given time is sound and reveals his true teaching or is merely exoteric. (p.50)
この点に関して、長谷部教授の「学問の自由と責務」(『憲法諸相と改憲論』敬文堂、2007、p.211)は先のザッカートの議論を取り上げ批判しているが、このフレイザーの立論もってすれば反論となるであろうか。(更に言えば、古代と近代のエソテリシズムの区別を受け入れるならば、第一の動機について教育的動機のほかに啓蒙と言う動機が接続されることを忘れてはならない) ここで、われわれは教育的動機においても複数の側面があることに気付かされる。ひとつは潜在的哲学者のリクルートであり、定式化された第一・第二の動機と不可分の関係にある。次に、いわゆる「にがよもぎ」に対する糖衣の役割であり、これによって哲学的生を魅惑的に見せることができる。そして最後に、ごく技術的な意味で解釈学的技法の習得があり、上記引用の下線部に対応する。ザッカートに非があるとすれば、この区別を曖昧なままで残したからではなかろうか。
posted by ta at 10:16| Comment(0) | TrackBack(0) | シュトラウス文献 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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