2010年02月13日

外山『思考の整理学』

外山滋比古(1986)『思考の整理学』ちくま文庫

「不幸な逆説」: 確かにそうなのだけれども、こういった飛行機型とグライダー型の対比が、一種の言い訳として安易に用いられ、生徒(学生?)の仮想的有能感を助長する結果になりかねないことにも注意が必要であろう(その見極めを、現代の教師に課すというのは少々酷かもしれないが)。筆者が間違っているというのではなく、その受け止め方について勘違いしてはならないということである。

「第一次現実」: テレビが第二次的であるならば、ネットは第一・五次的と言えるだろうか。それはより第一次的現実の生々しさを備えるがゆえに、後者に取って代わる可能性をも孕んでいる。しかし、だからこそ余計に、人の仮想的有能感を触発する恐れがある。「サラリーマンの思考は、第一次的現実に根をおろしていることが多い。それに比べて、学生の考えることは、本に根がある」(p.195)と筆者が実践と理論の伝統的二分法で世の中を分析するとき、ネットの住人はその両者のいずれにも属さない。その代わりに、第一次的現実に対しては社会の常識を批判する神の視点が、第二次的現実に対しては仮想的現実から得られる優越感が、住人に付与される。つまり、社会の常識やモラルにがんじがらめになったサラリーマンよりは世界を知っているし、だからこそ学生のように本のみに頼っているわけではない、と言い訳ができるのである。その当の本人こそが、両者の間で宙ぶらりんになってしまっていることに気付かずに。「真に創造的な思考が第一次的現実に根ざしたところから生まれうることを現代の人間はとくと肝に銘じる必要があるだろう」(p.196)。この言葉の重みは減じるどころか、ますます増しているように思える。
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