2006年04月13日

うさんくささの利点

昨日の深夜、FMを聞いているとあるDJが面白い話をしていた。彼が言うには、競馬や競輪、パチンコ、果ては株式投資まで、もともと中年の小汚いオッサンがやるもの、とイメージがあった。また、路地裏の薄汚い居酒屋なんかは、彼らのためにあるようなもので、女子供を寄せ付けないそのむさ苦しさも味わいであり、古き良き路地裏社会であったという。しかし、現在ますますそのイメージが崩壊してきている。競馬や競輪などは若手人気タレント(SMAPの中居正広がJRAのイメージキャラクターに起用されていることなど)がその広報のために起用されていたり、旧来の小汚いイメージ(というと、オジ樣方に失礼だろうが・・・)を一新させて、気軽でおしゃれな遊びスポットという新たなイメージを作り出していると嘆くのだ。居酒屋についてもそうである、女性を対象としたおしゃれな空間創造を目標に、以前の薄暗い居酒屋風景が隅に追いやられてきている、と声を荒げた。

だからといって、利用者層拡大、収益向上を目指しての経営者・運営者側の商業戦略を否定することはできないだろう。むしろ、それは企業努力の賜物である。しかし、居酒屋はともかくとして、競馬競輪、投機的株式などは所詮はギャンブルである。「自分は大丈夫」なんて思っていると思わぬ躓きで大損をこいてしまうのもまた然りなのである。そうなると、「気軽でおしゃれな遊び」なんてことは言っていられなくなる。無論、そうならないように理性的な範囲で収めればよいのであるが、はたしてそう簡単にいくだろうか?投機的株式などは特にそうである。一般的な専業主婦がカリスマなどともてはやされる中、われもわれもと身銭をつぎ込む人々が市場に殺到している昨今のミニバブルを見ればなんとも不安になってくる。

そのDJはさらに次のように話していた。そういったギャンブルや投機的投資の失敗によって立ち行かなくなり一家離散を余儀なくされたり、ヤミ金の暴力的な取り立てを苦に無理心中したりすることは、昔からよくあったことで、そのようなギャンブルの負の側面がこのような明るく・清潔なイメージによって上塗りされ、人々の意識から遠ざけさせているのではないか。ましてや、今日では社会勉強だからといって、株式投資を小学生にまで教えている学校さえもある。ギャンブルはそれ相応のリスクがあり、うさんくさいものである。しかし、それはある意味警告なのだ、と彼は言う。女子どもが安易な気持ちで近づけば大けがをするぞ、だからやめとけよ、と言ってくれているようなものなのだ、と。無論、フェミニストや人権活動家からは当然問題視されそうな物言いではあるが、私はこの意見に一理あると感じる。本来うさんくさものを、臭いものにはふたをするようにイメージを刷新させ、そうでないように見せかけることこそ、その背景にうさんくさい意図を見いだしえないだろうか?それが企業資本主義であると言われれば、そうかも知れない。しかし、一度失敗してしまえば、自分の命に関わる結果にならないとも言い切れない性質のものなのであることも確かなのだ。現にバブル崩壊後はそうだったではないか。それ以前にも、株式投資に失敗して身の破滅を招いた人間の話など腐るほどあったはずだ。しかし、昨今の株式ブームではその肝心の部分もきれいさっぱり抜け落ちている。これは、果たして望ましい社会の方向性なのだろうか?それがそのDJの最後の問いかけであった。
posted by ta at 16:14| Comment(0) | TrackBack(0) | たわごと一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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