2008年02月05日

古賀勝次郎「ハイエクとオルドー学派」

古賀勝次郎(1981, 1982)「ハイエク社会理論体系の研究 (7)・(8): ハイエクとオルドー学派 (1)・(2)」『早稲田社会科学研究』23, pp.43-64, 24, pp.191-216.

論文自体はちと古いが、極めて平易に書かれてあるので、経済のど素人でも非常にわかりやすかった。で、経済的な新自由主義にはハイエクが属する「オーストリア学派」、ドイツの「オルドー学派(フライブルク学派など)」、それからナイトやフリードマンらの「シカゴ学派」の3つが代表的なものとして知られている。今回の論文が扱うのは、タイトルは「ハイエクと…」となっているが、実質的に前2者の関係である。比較される次元は、@方法論、A自由論と秩序論、B国家の役割と経済政策の3つであるが、それぞれ要点をまとめておこう。

@方法論

方法論上の区別としては、まず、両学派とG・シュモラー(1838-1917)に代表される、いわゆる「歴史派経済学」との間の対立軸を見ておく必要がある。特に、シュモラーとオースリア学派の創始者であるC・メンガー(1840-1921)との間で争われたのが、著名な「方法論争(Methodenstreit)」であり、一般的には「歴史的方法」と「理論の優位性」という対立軸で語られる。更には、ここには歴史経済学派が目指したとされる、F・C・サヴィニー(1779-1861)などの歴史法学派がからんでくることとなるわけだが、結局、「歴史法学派・オーストリア学派 vs. 歴史派経済学」という方法論上の大きな対立構図ができる。メンガーによれば、「社会現象、社会的諸制度の生成」を、前者が、無意識裡に、なんらの「共同意思なくして」発生し、「有機的に」成長したものと捉えたのに対して、後者は「実用主義的(Pragmatik)」、目的意識的に理解せざるをえなかったとされる。更に、前者の方法論はイギリス自由主義の伝統にたつものであり、サヴィニーはその意味でスミス、バークに連なり、メンガーもそれを経済学の分野で発展・精緻化させたと説かれる。そして、「理論の優位性」との関係においては、メンガーの有機的理解は、社会現象をその全体を法則化して捉えるような歴史派経済学の「集団主義(Collectivismus)」に対比され、「原子論的・合成的方法」と呼ばれる。なお、「集団主義」が大陸合理主義と結びつくと、国民経済の「発展法則(Entwickelungsgesetz)」、「自然法則(Naturgesetzen)」を確立しようとする方法論が生み出されることになった。

他方、オルドー学派も歴史派経済学の方法論を批判する中で、メンガーの方法論にも問題を見出し、独自に「歴史主義の克服(Die Ubervindung des Historimus)」に取り組まねばならなかった。学派において主導的役割を担ったW・オイケン(1891-1950)はまず、K(フリードリヒではなくカール)・シラー(1911-1994)の認識論にならい、科学的認識を(1)通常の経験主義(gemeiner Empirismus)、(2)合理主義(Rationalismus)、(3)合理的経験主義(rationalle Empirismus)の3つに分け、メンガーが個別的認識である(1)と一般的認識(3)を対置させる「二元論」を主張し、(3)の方に極端に傾いたのに対し、歴史派経済学は(1)に偏っていたことを指摘する。その意味で、両者の認識論には「大きな二律背反(die groβe Antinomie)」の問題が存在するとされたが、オイケンはその両者を統合する(2)の立場から両者を批判した。ちなみに、ハイエクは社会現象の発生におけるメンガーの有機的理解を、認識論に関してはオイケンの合理的経験主義を取り入れ、いわゆる「発展的合理主義(evolutionary rationalism)」を展開したと解釈される。

A自由論と秩序論

従って、方法論上の差異から出てくる、ハイエクとオルドー学派の差異は、社会現象の発生に対する理解の差異に基くことになるが、それはいわば、両者の価値に対する姿勢にもつながる。ハイエクは周知の如く、消極的自由の擁護者であったが、それは伝統的自由主義の立場にたって価値に対して慎重であったのに対し、それに対してオルドー学派、特にW・レプケ(1899-1966)、はそのような拘束から解放されていたために、それが積極的な価値の要請となって現れたとされる。オイケンは自由を「単なる教義ではなく、人間の実存の唯一可能な形態」(p.58)と捉えたが、レプケにおいても、自由は古代ギリシャにおける「ポリス的自由」に始まりキリスト教によって完成を見た内面の自由、積極的自由として捉えられた。レプケは自らの自由主義を、@人間主義的(humanistisch)、A人格主義的(personalistisch)、B反権力主義(antiautoritör)、C普遍的(universal)、D合理主義的(rationalistisch)としたが、そこには、極めて宗教的、倫理的色彩を帯びていることがわかる。

次に、秩序論に移るが、図にまとめれば以下のようになる(要クリック)。
W・オイケンとF・A・ハイエクの秩序概念
黒字で示されるオイケンの秩序思想に赤字で示されるハイエクのそれを重ね合わせたもの。超簡略的に説明すれば、オイケンが「本質的秩序」に重きを置いたのに対し、ハイエクは「自発的(自生的)秩序」を重視した。「本質的秩序」とは、人間と事物の本性に一致した秩序のことであり、多様なものを「有意味に」統合するとされる(宗教的・倫理的)。これに対して「自発的秩序」とは人間行為の「意図せざる」結果によって生み出されるものを言い、ここにはもちろんスミスらのスコットランド啓蒙思想の影響が色濃く見られる。

この秩序論の差異が、両者のレッセフェールおよび集産主義対する批判にも見られることになる。レッセフェールというとスミス的伝統に連なるハイエクの立場と一致すると一般的には考えられがちだが、ハイエクによれば、自由主義にはイギリス経験論に基くものと、大陸合理主義から出てくるものに分けられ、いわゆるレッセフェール、自由放任によって示されるのは後者(レッセフェールはフランス語!?)であり、前者は「法の下における自由」を意味し、レッセフェールではない。したがって、スミスこそが「真の自由主義者」ということになる。これに対し、オルドー学派はこのスミス的自由主義をも自由放任主義に位置付け、レプケらはこれを「世俗化された自由主義」と捉える。オルドー学派の自由概念には宗教的・倫理的傾向が存在すると述べたが、スミス的自由主義は理神論的立場から語られており、しかもその内に宗教的実質が失われているために、人びとの信仰心を弱め、結果経済至上主義的に陥らざるを得なくなるとする。その反面、レプケは経済の領域においては、ハイエクと同じく市場経済が不可欠であることを認めており、その意味で、経済とそれ以外という二元論的立場に立っていることになる。そのことはオルドー学派に特徴的な「市場の非対称性」という考えに現れてくる。また、集産主義批判に関しては、両者の立場はほぼ同じであり、「隷従への道」に示されるように、根本原因をサン=シモン、コント、およびサン=シモン主義者たちの科学主義、技術主義に求めている。そして、その結果現れるのは、エリートの側の「設計主義(constructivism)」であり、レプケは更に、大衆の間のニヒリズムという内面的側面を付け加える。従って、集産主義に対する批判とは、第一にそれが合理的計算手段を欠いており、第二に中央計画経済は戦時統制経済と同様、強力な権力手段による「経済生活の政治化(Politisierung des Wirtschaftslebens)」が避けられす、最後に計画経済において一体誰がそのような判断をなすのかという困難な問題に直面すること(動機としての権力欲)、に求められる。

B国家の役割と経済政策

最後に、経済政策についてであるが、オルドー学派が主張した「社会的法治国家(sozialer Rechtsstaat)」および「社会的市場経済(soziale Marktwirschaft)」という概念についてハイエクとの差異が浮き彫りにされる。それぞれに簡略に示せば、「社会的法治国家」とは、ハイエクが依拠する「法の支配」のドイツ的表現である「法治国家(Rechtsstaat)」が含む、形式主義的限界を超えた概念である。オイケンは具体的な国家の役割として、第一に、経済的権力集団の解体、第二に、経済「過程」の制御ではなく、経済「秩序」の形成に向けられるべきであるとする。レプケは国家のあるべき姿として「分権主義(Dezentrismus)」を唱え、その望ましい政治的形態を連邦主義に求めた。次に、そのような政治的形態に対応する経済的制度として「社会的市場経済」が主張されたが、それはレッセフェールによる負の諸側面(つまりは「市場の失敗」)を克服するため、国家による積極的な政策を必要とする立場である。しかし、先述したように指令経済を排する点で社会主義ではありえず、また経済「過程」ではなく、「秩序」形成に着目することから、ケインズ主義とも区別される。そこで、強調される概念が「市場の非対称性(Asymmetrie des Marktes)」というもので、これはハイエクの自生的秩序が市場の「見えざる手」によって社会的道徳をも導くというスミス的立場に立つのに対し、オルドー学派はそのような道徳的前提は市場経済の外から与えられなければならないとするのである。そこで、具体的な「秩序」政策(*)が提唱されるが、ここでは項目だけ示しておくと、@競争秩序政策、A財産形成政策、B経済基礎政策の3つである。

最後にこのようなオルドー学派の「社会的」なる概念に対してハイエクが投げかけた問題点が紹介される。すなわち、ハイエクによれば、社会なるものは、そもそもその起源からして「非人格的、抽象的、目的に依存しないもの」(pp.210-211)であり、その意味では、「社会的過程」、「社会的諸構造」などに使用されている「社会的」という言葉こそが語の自然な使い方である。しかし、オルドー学派が主張するような「社会的良心」や「社会的正義」などには、「社会の背景に、既知の、共通の目的の存在ということが前提とされている」(p.211)。そこでは、「社会は、人格化され、具体的な目的をもつ集団的実態と考えられて」(p.211)おり、「社会に存在する諸価値の間の相対的重要性が予め明確化されている場合にのみ」(p.212)、そのような目的を明らかできる。従って、その点について、社会主義社会・全体主義社会との区別が曖昧になってしまうという問題が発生する。

(*) 経済政策は一般的にはその対象領域によって3つに大別される。経済過程、経済秩序、経済基礎である(丸山ほか編(2005)『現代経済政策論』中央経済社, p.7)。ここでオルドー学派が秩序政策と呼ぶものは、経済秩序と経済基礎を対象としたものに相当するであろう。

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ひとつひとつに時間をかけ過ぎている…、次回からはもっと簡潔に…。
posted by ta at 01:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 文献レヴュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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