2008年03月14日

ロック『人間知性論』A

ロック『人間知性論』A

第3巻「言葉について」。まず、序盤の重要フレーズを抜き出しておこう。
言葉は、…直接の意味表示では、言葉を使う人の心にある観念を表すだけである(p.136)
言葉をたえず使うと、ある音とその表わす観念との間に堅い結合ができてきて、名まえを聞くとほとんど即座に一定の観念を喚起するようになり、この観念を産むに適した事物それ自身が現実に感官を感触したときと変わらないのである(同)
後世に批判にさらされることになる、いわゆる意味論上の観念説である。
一般とか普遍とかは実在の事物に属さず、知性が自分自身で使うために作った案出物・創造物であって、言葉にせよ観念にせよ、記号だけにかかわる。普遍性は特殊な存在である事物自身には属さない。(p.137)
この唯名論的立場が本巻でさらに明確になっていく。その表われのひとつが、ロックが実在的本質(real essences)および唯名的本質(nominal essences)と呼ぶところのものの区別であろう。前者は、「事物の、私たちに発見できる諸性質が基づく実在の内的な…組織」(p.138)を指し、後者は、「(存在という)その根元の意味表示をほとんど失ってしまい、事物の実在的組織の代わりに(あてがわれた)…人工的組織」(同)のことを指す。従って、この唯名論的本質は文字通り名まえと密接に結びつくことになる。このことは類と種(ラテン語でgeneraならびにspecies)と呼ばれる前回紹介した「実体」の複雑観念に深く関わる。
実体の実在的本質については、私たちは、それがなんであるかを的確に知らないで、その在ることだけを想定する。が、実在的本質を種に結びつけるものは、いつも唯名的本質であり、実在的本質は、この唯名的本質の想定された根底・原因なのである(p.142)
私たちはある実体についてそのうちに合一している単純観念の知識より以外の知識を持たないし、また、いくつかの特殊な事物が他の特殊な事物と、それら単純観念のいくつかで一致することを観察する。そこで、私たちは、こうした観念の集まりを種の観念として、これに一般的な名まえを与える(p.143)
言うまでもないことだが、我々がいわゆる「犬」という事物を会話の中で表現するとき、その具体的個物をすべて挙げて表現するわけにはいかない。従って、「犬」という実体(種)、すなわち「犬というもの」をお互いに想定する・・・・ことで会話を短縮し、それによって利便性を確保するのである。急に話は飛ぶが、ロックの言う実体とはいわば「最も消極的な意味でのイデア」、すなわちある種の(普遍的)共有知を求める認識論的基盤を提供するものであると言えよう。

あと、ロックの言う混合様相というのがどうもイメージしにくいのだけれども、まあいいか。

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今回はこれだけ。次回は第4巻を…。
posted by ta at 16:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 文献レヴュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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