2009年04月05日

シュトラウス『ホッブズの政治学』(1)

L・シュトラウス(添谷育志ほか訳)(1990)『ホッブズの政治学(1936, 1965)』みすず書房(1)

III. アリストテレス主義
ホッブズが自分自身の教説を相互に関連づけながら展開する場合には、かれは明確に理論を実践より下位に位置づけている。こうして、かれはアリストテレスのように分別(知慮)を実践に、こうして知恵(知慧)を理論に当てはめていないことが理解される。すなわち、ホッブズは分別と知恵がともに実践的目的を目指すことを主張するのだから、分別と知恵との区別は、実践と理論との区別とはいっさい関係がなくなってしまうのである。分別と知恵の関係は、経験と学問の関係に等しいといえる。…アリストテレスへのこうした対立は、宇宙における人間の位置についてのホッブズの見方がアリストテレスの見方に対立していることに、その究極的原因を有する。アリストテレスはかつて、人間は宇宙における最も優れた存在ではないという根拠づけによって、道徳論と政治論に対する理論的諸学優越を擁護した。理論の優位にとってのこの究極的な前提が、ホッブズによって退けられることになる。というのも、かれの主張によれば、人間とは「自然の最も優れた作品」にほかならないからである。この根源的な意味において、ホッブズはつねに人間中心主義者であり続けた。(p.44-45)
理論と実践の関係、その地位の転換は古代と近代の政治哲学を分かつ重要なメルクマールとなる。それがホッブズという一人の思想家において、実質的にも象徴的にも表れていると言えよう。シュトラウスによれば、ホッブズはその生涯の早い時期において(宇宙論優位の)スコラ・アリストテレス主義と訣別し、1629年に完成する『ペロポネソス戦争』英訳までの間、実践優位(道徳論・政治学)という限定付きでアリストテレスを権威として承認していた(「人文主義期」)。その後、「ユークリッドの発見」を経て、数学・自然科学的研究(学問的厳密性)との関連において、アリストテレスからプラトンへと回帰していく(cf. p.168-187)。ここでシュトラウスによって描かれる理論の優位性は、世界(いわゆる「全体」であり世界観や状況ではない)における古典的序列の肯定である。神ではないが、神に似せて創られたがゆえに、理性の動物である人は野獣とも区別される宿命にある。その意味では、人は世界における最善と低俗に挟まれた存在者として存在することを余儀なくされるわけだ。実践に対する理論の優位性は、一方でこの秩序における人としての分の認識であり、他方でその理性ゆえに低俗よりも最善に向けられた志向性という人の本質の確認であった。人は本来、善や真理の直観ではなく、その志向性においてのみそれらの存在を漠然と認識しうるに過ぎない。したがって、ホッブズにおいて成し遂げられた理論の(すなわち学問としての)実践への従属(知恵>分別⇒分別>知恵)、『自然権と歴史』において哲学の政治化として批判される認識論的転回は、本来ならば実現不可能な(正確には「非現実的な」と言うべきだろうが)最善を歴史において現実化させる(歴史に絶対を求める)という究極的な人間中心主義への第一歩を示している。

VI. 歴史

この点に関して注目すべきは、まさしく「歴史」の文脈において、ホッブズの「分解‐構成的」方法とアリストテレスの「発生論的」方法とが比較されているということであろう。言うまでもなく、この対比はホッブズの真にガリレイ主義的、実証主義的姿勢を際立たせようとするものではありえない。政治的・社会的な対象をそれぞれの局面において断片的に切り取って考察するのであればまだしも、そもそも国家に統一的な像を与えようとする哲学的試みが抽象化を経ずに、非本質主義的に為されうるなどとは誰もが思わないであろう。むしろ、シュトラウスの狙いは、近代の本質主義に特徴的な認識論的態度を浮き彫りにすることである。その端的な表現が典型的歴史の採用だ。周知のように『自然権と歴史』や「政治哲学とは何か」では、歴史の導入はルソーにおいてはじめて言及される。それは、ホッブズの自然状態においては、ルソーやヘーゲルのようには(現実化までの)時間的なズレが伴わず、常に現在に視点が注がれているからであろう。ただし、具体的歴史が「止揚されて」(p.122)いるという点では違いはない。典型的歴史の採用はそれ自体が「服従道徳の拒絶である。」(p.133) つまり、「吟味の基準はあらかじめ前提されるのではなく、創出されるべき」(p.132)という表明である。ここに、のちの実存主義の影を見ること正しいだろうが、その全てを押し付けることは間違っている。本来指し示すところは真逆であるからだ。政治的秩序の問題に対する「創出」という手法が、形而上学的な絶対化を経て、どのようにして急進的歴史主義に至るかは、『自然権と歴史』において示された。ブルームは『ホッブズの政治学』を「シュトラウス以前のシュトラウス(the pre-Straussean Strauss)」として、歴史的理解が未だ確立されておらず、彼自身の問いを思想家たちに押し付けている時期の著作であるとしているが、このホッブズとアリストテレスの対比に中期以降明確となってくる哲学的狙いの素地が準備されているといっても間違いはないであろう。(Bloom, Allan. Giants and Dwarfs: Essays 1960-1990. New York: Simon and Schuster, 1990, p.246.) ただ、この近代的な「創出」概念と秩序の演繹的絶対化(ホッブズでは絶対的主権の創設)に対して、自然法主義(服従道徳への回帰)として論じられるような古代の解決を、そっくりそのままシュトラウスに帰すことは知的怠慢の謗りを免れない。少なくとも、彼のニヒリズムの経験(ニーチェ、ハイデガー的モメント)と中期以降の著作(『自然権と歴史』『政治哲学とは何か』など)を初期三著作(『スピノザの宗教批判』『哲学と律法』『ホッブズの政治学』)につき合わせてみることなしには、判断を下す権利を持たないであろう。近代政治哲学が陥った認識論的問題については、以前のエントリでも幾度か触れておいた。ちなみに、シュトラウスは自然状態を典型的歴史として捉えることでいわゆる「ホッブズ問題」を端から回避しているように見える。これは彼がホッブズの思想を社会学的にではなく、政治哲学的に考察していることの現われであると言えよう。メインの批判を受けて、ホッブズが『リヴァイアサン』において「家父長制的共同体」に言及していることを彼が指摘する(p.129-130)のはそのためである。むしろ、ホッブズの狙いは、「…万人対万人の戦いを、人類のまったく不完全そのものの状態として構成し、かつこの戦いを今度は、人間的自然のなかに根源を持つものとして理解する」(p.131)ことにあった。それゆえ、彼は「どんなに基礎的な歴史事実上の知識よりも、政治的諸対象に関するあらゆる判断の原理の哲学的根拠づけの方をより基本的なもの、比較にならないほど重要なものとみなした」(同)のである。

VIII. 新しい政治学

最終章で、ホッブズの「ユークリッドの発見」が伝統的政治学との断絶を決定的にしたことが論じられる。
プラトンは「語」からではなく、むしろ「イデア」から哲学していると述べるとき、ホッブズは根本的に彼を誤解しているのであり、この誤解がいかに悲惨な結果をもたらすかを、われわれは直ちに考察しなければならないであろう。…いずれにしても、特殊プラトン的出発点から―矛盾している言葉へと向かっていくことから―ホッブズの承認する、厳密でそれゆえ意見と対立する政治論に対する要求と、一連のさらなる帰結が生じるのであり、後者の点に関しても、ホッブズはまたしてもアリストテレスに抗してプラトンの側を支持するのである。(p.178)
ホッブズとプラトンは共に、真理と仮象(臆見)というエレア派のアンティテーゼに拠った。彼らは共に通念(臆見)に反したが、その手法は「言葉」を出発点にすべきかどうかで異なっていた。その点でホッブズはプラトンを誤解していたのである。そのためホッブズには分解‐構成的方法を採用することに何らの躊躇は無かった。シュトラウスは以下のように述べる。
…分解‐構成的方法が前提にしているものは、適切なるものや善なるものについての問いかけの原理的な放棄以外の何ものでもない。ホッブズは、明証的な公理から明証的な結論へ、つまり「終わり」へと前進する数学的方法が、絶対的模範であると確信しているので、かれは、数学にせよ政治学にせよ、「始めに」、つまり「明証的な」前提のなかに固有の問題が、すなわち「対話術」の課題が隠されていることを、認識しえないのである。しかしながら、「対話術」とは、人びとが正義や不正義について、徳や悪徳について語っていることの詳細な討論であり、その吟味である。…すなわち、両義性のなかに隠蔽されていると同時に開示されてもいる言説の一義性は、徹底的な討論を媒介にして、明らかにされなければならないし、また明らかにされうるのである。[注・52年のアメリカ版ではこの一文は省略されている] というのも、言説による方向づけを放棄することは、人間がもともと意のままにできる唯一の可能な方向づけを放棄すること、したがってあらゆる方向づけにおいて前提とされている基準[尺度]を発見すること、否、基準を問うことそれ自体の放棄以外の何ものでもないからである。(p.186-187)
分解‐構成的方法がなぜ、「基準を問うことそれ自体の放棄」につながるのか。デカルトのような合理主義的・啓蒙主義的態度は、人びとの臆見を出発点とすることはない。それ自体が誤った前提から生じているのだから、異なったヒューリスティックな原理(「イデア」)を対置することなしには、人びとの迷妄を正すことはできない。ホッブズにとってそれは「虚栄心」と「暴力死への恐怖」の二元論であった。一旦、このような原理が明らかになれば、そこから統一的で正しい国家像を導出するのはなんら苦も無いことである。「こうして政治学は国家を規制するための技術となる。その課題は、現存の国家の不安定的な均衡を正しい国家の安定的な均衡へ変換することである。」(p.185) したがって、プラトンにおいて要求された「対話術」、より一般的な語を使えば、「討論」はホッブズの体系にあってはひとつも用をなさない。「正義等々について人びとの言説から出発することをホッブズは余計なことである、否、危険であるとすらみなしている。」そこで、彼は、「[民衆の]自然的価値評価を原理的に拒絶しつつ、このような価値評価を超えて進み、さらに新しい未来の、そして自由に立案すべき「ア・プリオリな」政治論へと向かっていく」(p.199)のである。もちろん、原理の是非をめぐっては依然討論の可能性が残されている。しかし、それは「基準、すなわち、善についての問いかけ」では既になく、「すぐれて必然的なものについての問いかけ」(p.201)でしかない。ゆえに、それは技術的な問いであって、もはや政治的な問いではない。分解‐構成的方法が伝統との断絶を決定的にしたことの意味は、まさしくこの「基準への問い」の有無に存するのである。けれども、それを言うなら、プラトンのディアレクティケーこそ出来レースではないのか、そもそも仮象に対して真理を対置させる姿勢こそ教条主義的ではないのか(「言説の一義性は…明らかにされうる」)、というまっとうな疑問も浮かんでこよう。これについては『ホッブズの政治学』において明確な答えを見出すことはできない。ただ、シュトラウスの中期以降の思想展開の中で、イデアが「普遍的で永遠的な諸問題」と規定され、そして一切の曖昧さから自由であるべき服従道徳(戒律)と自然的正の要求が古代においては複数の表現を取っていることの意味を同時に考える必要があるだろう。それなくして、判断は誠実なものとなりえない。

もうひとつ、中期以降の思想展開につながる箇所を指摘しておこう。アリストテレスのコスモロジーにプラトンのそれを対置させる部分である。
アリストテレスの教えによれば、倫理的な諸徳やそれらの頂点にある正義は、人間が人間以上の存在ではないかぎりにおいて、人間にふさわしいものであるが、しかし、哲学することにこそかれの真の幸福はあるのであり、その幸福を通してかれは人間性の限界をある程度超越していくのである。哲学者は「幸福者の島」で生活する唯一の人間であるということ―このことについてはプラトンとアリストテレスは意見が一致しているが、哲学者には非哲学的な大衆に無関心なままで自己自身の幸福を得ようと努力する権利があるという考えをプラトンを否定するまでである。いかに哲学者たちが自らを神と同化させながら人間性の限界をある程度越えていこうとも―かれらは依然として人間であり、人間であり続け、そしてそれゆえ他の人びとのうちにあって一つの種族の人間を形成するにすぎず、こうして部分の幸福ではなく全体の存立に配慮する、国家の法律に服従するのである。理想国家の法律は、哲学者を強制して他の人間に関心を払わせ、かれらを監視させ、「各人の好むところへ向かわせ」ないようにさせる。…プラトンにとっては、…単に政治的な徳しか存在しないのである。(強調は原文どおり)(p.180-181)
明らかにここで、シュトラウスは哲学者であっても、先立つのは権利ではなく法律であることを強調しようとしている。そのために哲学者は強制されなければならないというのは、中期以降の(エキセントリックな)『国家』篇解釈と比べたときに多少の齟齬が見出せるであろう。エソテリシズムの発見以降は、私的な観想的生と公的な実践的生の間にいかに調和をもたらすか、それが彼の中心課題となってゆく。プラトンのみならず、クセノポン、アリストパネスの著作を視野に収めてまで、執拗に「政治哲学者」としてのソクラテス像を追及したのは、まさしくこの理由からであった。「シュトラウスをシュトラウスせしめた」のがまさしくソクラテスだったのである。(Platt, Michel. “Leo Strauss: Three Quarrels, Three Questions, One Life.” Deutsch, Kenneth L, and Walter Soffer. eds. Crisis of Liberal Democracy: A Straussian Perspective. Albany: SUNY Press, 1987. p.23.)

シュトラウスのホッブズ
posted by ta at 02:21| Comment(0) | TrackBack(0) | シュトラウス文献 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月14日

Zuckert, Truth about Leo Strauss(3)

Zuckert, Truth about Leo Strauss(2)

Chapter Two: Strauss-Modernity-America (pp.58-79)
Chapter Three: Leo Strauss as a Postmodern Political Thinker (pp.80-114)

第二章は、シュトラウスによる、近代性とアメリカに関わるテーゼを三段論法の形で整理している。それによれば、
1. American is modern.
2. Modernity is bad.
3. America is good.
となるのであるが、これでは明らかに矛盾する。そこで、夫妻は大前提にいくつか条件を課すことでこの矛盾を解消するのであるが、そのことが説明されるのは結論の箇所においてである。順を追って見ていこう。(ただし、夫妻はアメリカの現実政治に関わるシュトラウスのいかなる言明も暫定的なものにとどまるとして読者に注意を促している)

【アメリカは近代的である】(pp.58ff.)
シュトラウスがアメリカの建国精神を近代的であると考えていたのは疑う余地はない。しかし、彼がワイマールにおいて経験した西洋近代の精神的危機とそれに抗う彼の哲学的意図は、アメリカにおいては容易に理解されなかった。それは、彼が批判の矛先を向けたハイデガーの業績が、生涯にわたって、ほとんど注目を浴びることがなかったからである(このことはアメリカのリベラル・デモクラシーにとってひとつの幸運であったとも考えられるが、シュトラウスにとっては危機の種子を孕んだ本質的に不安定な状態でもあったのだろう)。近代政治哲学は古典的政治哲学と以下の点において異なっていた。すなわち、前者は「人間存在の本性についての新しい理解」(p.61)によって実践的・政治的生を作り変えようとした、という点である。そのために、哲学は、依然真理への探求であり続けたものの、政治的にはプロパガンダと堕してしまう。近代性の始祖、マキアヴェッリは「実現可能性(actualizability)」と「実効的真理(the effectual truth)」を最も重視した。そして、政治的生とその目標を、理性によってではなく情念を基準として捉え直すことを主張したのである。その際必要とされる手段は、もはや道徳的教育ではなく政治的・経済的制度であった。このテーゼを受け継いだのが、ホッブズであった。加えて、彼は自然権(natural rights)を古代人とは異なった意味において復権させ、それを自己保存の権利ならびにその手段への権利と同一視する。やがて、自然権はロックにおいて(自己)所有権へと変貌を遂げる。そして言うまでもなく、独立宣言はロックのテキストの焼き写しである。シュトラウスにとってアメリカが近代的であるというのは、まさしくこの二重の意味(制度への依存と近代的自然権)においてであった。

【近代性は悪い】(pp.64ff.)
シュトラウスの理解では、近代性を生み出した元凶は、スピノザの聖書批判とホッブズの古典的哲学批判であった。彼は両者の批判を根拠なきものとして棄却し、近代性そのものの批判へと向かう。シュトラウスの近代批判は実践と理論の両面にわたる。実践的、すなわち政治的側面における批判は以下のようなものである。まず、近代性は人類を道徳的頽落(ニーチェ的「末人」)へと導く。近代主義の批判者たち(ルソー、カント、マルクス、ニーチェ)はその流れに逆らおうとしたが、彼らが近代の枠組み(実現可能性のための目標の引き下げ)の中で思考せざるをえなかったために、その思想は簡単に中庸を欠いた、壮大な政治的野心へと拡張される。この近代哲学観をもとに構築された理論が、有名な「近代性の三つの波」である。それぞれの波は、特徴的なイデオロギーを生み出す。第一の波は、アメリカ的なリベラル・デモクラシーを生み出し、第二、第三の波は、それぞれ共産主義運動とファシズムを生み出した。このように政治的イデオロギーが肥大化したのは、生活世界からの超越を哲学と宗教という私的な営みにではなく、公の問題として政治に求めたためであった。そして、近代政治哲学はこの超越を根底から支え、促したのである。近代性は更に(科学)技術を解放し自然の征服へと向かわせ、政治的指導者が備えるべき唯一の徳である賢慮を否定した(ホッブズの機械論的自然観と反アリストテレス主義)。シュトラウスにおいて、これらの問題を集約的に表現するのが、「われわれの時代の危機(the crisis of our time)」である。この危機は人びとの内にある二重の信念の喪失によってもたらされる。最初の信念の喪失は、いわゆる近代(啓蒙)のプロジェクト、そしてその絶頂としてのウィルソン主義に対してである。これらは込められた期待が大きすぎたがゆえに自壊した。そして、もうひとつは近代の実証主義がもたらした、各々個別の共同体的信念[真理]の喪失である。* このことは、マルクス主義の挑戦に曝されていた当時にあって、非常に深刻な問題として捉えられた。(ただし、夫妻は第二章の最後で、シュトラウスが主張するほど近代哲学は政治的役割を担ってきたかどうか、疑問を呈している) もう一方の理論的、すなわち哲学的側面における近代性への批判は、昨今のポストモダン思想家(夫妻はローティとフィッシュを挙げている)によって主張される超越としての哲学の不可能性に向けられている。

* この辺りから垣間見えるシュトラウスの政治思想は、社会的存在としての哲学者の自己知やレジーム論などと併せて考えた場合、コミュニタリアニズムに接近する観がある。

【アメリカは善い】(pp.74ff.)
近代性を批判しつつも、シュトラウスはアメリカのリベラル・デモクラシーを否定したわけではなかった。それは、夫妻のことばを借りれば、「近代性があらゆる部分で、一律に悪いというわけではなく、そしてアメリカがあらゆる部分で、一律に近代的というわけではない」(p.74)とシュトラウスが捉えていたからである。その背景には以下の四つの考察がある。第一に、冷戦の文脈の中ではリベラル・デモクラシーは共産主義体制よりも明確に優れていること。第二に、アメリカのリベラル・デモクラシーは(近代性の)第一の波における政治体制であり、僭主制(tyranny)の危機を孕む第二、第三の波における政治体制に優っていること。第三に、アリストテレスの政治学的視点からすれば、現代のリベラル・デモクラシーは古典的な意味での民主政ではなく、選挙制度(代議制度)という貴族政的要素を含む混合政体(a mixed regime)に近い、ということ。最後に、アメリカには古典的共和主義やピューリタニズムの伝統が根付いていること、である。

第三章は、ザッカート夫人の単著であるPostmodern Platos.の要約としての向きが強い。ここでは、ニーチェによって提起され、ハイデガーによって掘り下げられた哲学的問題を、ポストモダン思想家としてのシュトラウスがいかに理解し、応答したかが、デリダとの比較で論じられる。ニーチェの哲学批判によって浮き彫りにされたのは以下の二つの問題であった。すなわち、哲学的営為がつまるところソクラテス的無知の知でしかないとすれば、西洋の哲学的伝統の特質と価値は一体何であったのか、そして、いかにしてニーチェ的な「権力への意志」に基づく政治観を避けることができるのか、である。

【シュトラウスとニーチェ】(pp.83ff.)
ニーチェはデカルト以来の主客二元論にもとづいて、カント的「物自体」の世界を否定したが、シュトラウスにとっては、哲学は「完全な全体」の存在とその接近可能性を前提とするエロス的行為であった。したがって、彼は科学主義へと至った近代の認識論的態度(新カント派)も、ラディカルなニーチェ的構成主義も否定する。ニーチェはさらに、プラトンの四徳から、節制と正義を排し、孤独と同情を付け加えた。しかし、シュトラウスによれば、ソクラテスの節制は人の羞恥の感覚、すなわち道徳性に深く関わっている。そして、それこそが人間を野獣から分かつメルクマールであるとした。ニーチェは節制を否定することで、理性的存在たる人間の道徳的能力を否定した。その政治的帰結が「権力への意志」と新しい貴族階級の創設の主張である。しかし、彼は同時に政治的責任への道を示すことができなかった。両者を分かつもう一つの違いは、ニーチェが叡智的な聖書の神を否定することで、未来の哲人の中に新たな「宗教的」哲学を生み出そうと試みたことである。これに対して、シュトラウスは西洋文明の「隠された」ルーツである理性と啓示の対立を再発見し、ニーチェ的な新たな価値の創造ではなく、伝統的な道徳的基盤を堅持しようとした。

[ここで、夫人はシュトラウスの『マキアヴェッリ論考』序論(Strauss, Leo. Thoughts on Machiavelli. Glencoe: Free, 1958.)における有名な一節に触れている(p.86)が、その箇所を原文どおり引用しておきたい。
Not the contempt for the simple opinion, nor the disregard of it, but the considerable ascent from it leads to the core of Machiavelli’s thought. There is no surer protection against the understanding of anything than taking for granted or otherwise despising the obvious and the surface. The problem inherent in the surface of things, and only in the surface of things, is the heart of things. (p.13)
この序論は、わずか6頁という短さながらも、シュトラウス独特の読解作法が提示された重要な文章である。ここでシュトラウスは専門家の間でなされるような「熱烈な愛国者」や「社会についての科学的学究」という洗練されたマキアヴェッリ解釈(「『君主論』と『ディスコルシ』」、「バーリン「マキアヴェッリの独創性」」を参照)に対して、「悪の教師」という表面的、通俗的な見方への注意を促す。この見方は、科学主義に対する生活世界(理論以前、科学以前の世界)の取り戻しや常識・素朴な経験の重視、社会的存在としての哲学者の自己知など、シュトラウスの思想の背景にある一貫したテーマの延長線上にある。(このような見方に、ソクラテス的アイロニーを認識することも可能である。いかに説明が洗練されていようとも、事物についてよく知っているとは限らないということである)]

【シュトラウスとハイデガー】(pp.91ff.)
シュトラウスは、それでもニーチェの思考の中に永続する価値の所有、新たな形而上学、歴史から自然の優位性への移行を認めていた。それに対して、ハイデガーの実存哲学はそのようなニーチェの思想を形而上学のくびきから解放する試みであった。ラディカルな歴史主義は、ヘーゲル、マルクス、ニーチェらと同様に、歴史の「絶対的瞬間」を必要とする点で同じ自己矛盾に陥らざるをえなかったが、彼はそれを部分的真理であると認めたうえで、古代ギリシャに起源をもつ現前としての存在理解の限界を指摘し、新たな理解が「与えられる(sent)」ために正当化した。しかし、シュトラウスは別の根本的な問題も指摘する。それはハイデガーの後期思想が極めて人間中心の議論であって、その中に創造神の居場所はなく、「存在(Being)」はただ否定的に「事物では無いもの(No-thing)」としてしか語ることが許されない。シュトラウスはこのような「存在」を非人格的なプラトン的イデアと神秘的な聖書の神の総合と表現するが、理性と啓示の間に根源的対立を見る彼にとってこれは全くの矛盾に映る。

『自然権と歴史』はハイデガーによる人間存在の分析とその哲学史観に対する余すところのない批判であった。ハイデガーは人間存在が本質的に時間的・歴史的であると論じたが、シュトラウスにとってそれはまず道徳的であり政治的な問題であった。歴史主義は自然的正が存在するという主張の根底にある善悪の素朴な経験を無視するか、もしくは歪める。ハイデガーの人間存在すなわち「現存在(Dasein)」の誤った描写と分析がこのような結果を招くのである。ハイデガーはいかなる特定の原因に帰すことのできない不安の気分によって人間は存在についての根本的真理を発見するとしたが、シュトラウスにとってはその不安は善と悪の自律的な選択に由来するものであった。そして、そこから人間は正の普遍的な基準の探求へと向かい、政治哲学に従事するよう促されるのである。実際、ハイデガーが主張した根本的とされる経験はわれわれの時代に特有のものであった。それは(原理なき)寛容の主張と相対主義、およびその帰結としてのニヒリズムに深く関係していた。ハイデガーにとってニヒリズムは技術の世界的拡大に伴う人間の本質的価値の喪失に起因するものであった(彼はこれに対抗するために晩年西洋と東洋の対話を唱えたが、シュトラウスはその鍵を聖書の根底にある東洋的な存在理解に見出しうるとした)。シュトラウスも技術の野放図な拡大については同じく危惧を抱いていたが、ただ問題は技術そのものにあるのではなく、ハイデガーのような独特の解釈にあるとして、道徳的・政治的統制の必要性を説いたのである。『自然権と歴史』でのもう一つの大きな批判は、ハイデガー(とニーチェ)によって抱かれた、古代ギリシャ哲学の合理主義をニヒリズムの源流とする哲学史観に対してである。言うまでも無く、シュトラウスが主張したのは「近代性の三つの波」であった。ただし、彼は単純に古典的哲学をまるごと近代哲学に取り替えようとしたわけでは決してない。そうではなく、歴史主義批判という目標のためには、双方の哲学者が実際には同じ根本的な(時と場所を超えた人間に本質的な)問題を扱っていたということを示すだけで十分であると、彼は考えていた。** また、歴史主義者は古典的哲学が見落としていた「歴史的地平」を発見したと考えていたが、シュトラウスによれば、トキュディデスやクセノポンらの古典的著作家も彼らが歴史と呼んだものについて知悉していた。彼らにとっての歴史とは一連の出来事を単純に記録すること以外になく、それは洞窟の中の連続した影、ピュシスに対するノモスに過ぎなかった。近代における歴史の発見は、まさしくこのピュシスを可変的な「概念」へと還元することで成し遂げられたのである。

** そのことを端的に表現する質問形式が「…とは何か(What is…?)」である。

[シュトラウスの衝撃的なハイデガー体験はやはり彼の精神の根底に生涯消え去ることのない刻印を残したと言えるだろう。それは逆にいえば、ハイデガーが当時のドイツの若年層に与えた影響(それが実際どのようなものであったにせよ)を考慮することなしに、シュトラウスの哲学観を正確に理解することはできない、ということでもある。しかし、その強烈な体験がアメリカのアカデミックな環境においてはかえって誤解を生み出すもととなったのかもしれない。シュトラウス自身も「近代性の第一の波」の国家でありながら極めて特殊な精神風土を備えるアメリカに少なからず驚いたのではなかろうか(もちろん推測だが…)。おおやけにはロック的な自然権思想に立脚しながら、ニヒリズムへと堕ちてゆく雰囲気は露も感じられない。それどころか、左も右も無垢なまでに建国時の約束と理想を信じている。シュトラウスは自然的正を主張しても、その内実を埋める緻密な規範理論を構築することはなかった(その意味では、政治哲学の復権者としてロールズとともに論じられるのは多少の誤解を伴うかもしれない)。そのことは不幸にも、“natural right”という言葉が一人歩きする状況を生み出し、将来の悪評の遠因を作ってしまったのではなかろうか? 当然、推測の域を全く出ないけれども…。果たして、元となる講義が行なわれ、『自然権と歴史』が出版された1950年前後の評判は実際どのようなものであったのだろうか?]

【シュトラウスとデリダ】(pp.102ff.)
シュトラウスとデリダが一見して明白な相違の中に多くの類似点を持つのは、両者が同じ場所から出発しつつも、進む方向が全く異なっていたからである。その同じ場所というのは、フッサール現象学である。シュトラウス(とハイデガー)が哲学以前・科学以前の素朴な経験・世界を取り戻すために古代ギリシャ哲学へと向かい、フッサールの現象学的還元すら投げ捨てたのに対し、デリダはフッサールの成果を更に押し進め、記号を必要としない内的独語と純粋概念に示唆を受け、差延(différance)概念を生み出し、別のフッサールの考えと併せて、「われわれが「思考」と呼ぶものは、むしろ一種の「書く行為(écriture)」として捉えられなければならない」(p.105)という主張に至る。そこでわれわれが手にするのは「痕跡」のみである。そして、それは新たな文脈の中に新たな意味を獲得する。すなわち「[事物は]書き直され、そして消される」(p.106)のである。デリダはさらに西洋の哲学的伝統を批判する中で、ニーチェの「全体化する(totalizing)」教義に対しても以下のような批判を行う。
…(1) that nothing ever remains the same as itself, much less returns eternally, (2) that there is no necessity or fate, because all things are essentially and ineradicably “indeterminate” or “undecidable,” (3) and that they are undecidable because we ourselves are not a unit or unity with a “will” that we can impose. (p.105-106)
したがって、あらゆるものが流動的で、留まっているだけでは衰退するほかないゆえに、われわれは常に新たな要素を取り入れることで自らの存在を維持し続けなければならない。このデリダの姿勢が、政治的地平においては「ヨーロッパ人は「他者(the Other)」に対して自らを開かなければならない」(p.106)という立場へと変換されていくのである。

シュトラウスとデリダは共に全体主義に抵抗したが、前者にとって肝要となるのは、レジーム、特にリベラル・デモクラシーの多様性を維持することであった。そして、政治社会は常に独特であり、それゆえにいくぶん閉じている。現代における政治哲学の学徒たちは哲学と政治の間にある根源的対立を認識することで、両者が平和裡に共存しうる環境を維持しなければならない。したがって、知識人に要求されるのは、特に他者の共同体的信念に向けられた安易な批判の自制である。これに対して、デリダは異質なものに対して開かれた形へヨーロッパを再構築する必要性を強調する(「歓待」の精神)。ただし、ヨーロッパは文化的、政治的ヘゲモニーを振り回してはならないが、人権と国際法という政治的普遍主義に対しては責任を負わなければならない。実際、彼は啓蒙主義の目標を追認していることを自ら認めている。しかし、それは初期近代の政治哲学者と同じ方法、同じ根拠によるのではない。先述のように、いかなる人間も一時として同じではありえないがゆえに、法の支配が完全に正義となることはない。ただし、法の一般性とその適用の特殊性のギャップは、常に「脱構築」による批判の機会と根拠を提供してくれる。したがって、知識人や批評家の役割は、閉じられた「全体主義的」システムの出現を防ぐため、あらゆる支配に内在する不正義と不条理を分析し、抉り出すことにある。そして、ヨーロッパが将来、非宗教的、純粋に世俗的な形のデモクラシーを代表し、促進することをデリダは願う。

これらの違いが指摘されたのち、シュトラウスならデリダに対してこのように応答していただろうとして、夫人は以下のように続ける。まず、デリダがあらゆるものを痕跡として還元しており、それによってハイデガーが近代哲学と科学に内在的であると考えた均質化の傾向にデリダは寄与している。また、彼は「反神学的な憤り(anti-theological ire)」を持ちながら、未来における「到来(coming)」といった世俗化されたキリスト教的概念を用いている。そして最大の批判となるのが、デリダが種・類の本質的な区別、すなわちイデア(もしくは、noetic heterogeneity)を否定することで、人間と非人間の本質的区別がなされえないことである。そのため、彼がたとえ「周縁(margins)」や「他者」のために語るとしても、デモクラシーの約束について彼が為した定義はヨーロッパ中心主義の観を免れ得ない。そして、このような認識論的特徴は、彼が主張する人権の基礎すらも突き崩してしまうのである。***

*** これについては、非基礎付け論者からの正当な反論が予期されよう。
posted by ta at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | シュトラウス文献 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月13日

Zuckert, Truth about Leo Strauss(2)

Zuckert, Truth about Leo Strauss(2)

Chapter One: The Return of the Ancients: An Overview of the Straussian Project (pp.26-57)

第1章は、「古代人への回帰」として表現されるシュトラウスの哲学的プロジェクトを概観する。以下に注目すべき点をまとめておこう。
(引用部分について『自然権と歴史』はNRH、『僭主政治について』はOTと略し、ページはどちらも原書のそれである。)

【シュトラウスにおける(古代)哲学の本質】(pp. 36ff.)
まず、シュトラウスがマイモニデスとその師アル=ファーラービーへの回帰において注目したのは、教科書的な、そのアリストテレス解釈ではなく、プラトン解釈であった。すなわち、ファーラービーはプラトンのソクラテスに、アリストテレス的宇宙論や神的啓示にも依拠する必要のない生き方としての哲学本性的に最善であるような人間的生の唯一の形式としての哲学を見出していたのである。しかし、中世哲学への回帰は大変な困難を伴う。その最たるものが、いわゆる「忘れられた著述」の技法、すなわちエソテリシズム(秘教主義)である。そもそも、これらの哲学者が、哲学を預言者の思想の正当化にのみ用いたならば、このような特殊な技法を必要とはしなかったであろう。しかし、それは単に宗教的迫害を逃れるためだけに必要とされたわけでもなかった。一つは、既存の共同体的道徳に対して哲学的探求が本性的に持ちうる破壊的作用への配慮のためであり、もう一つは、潜在的哲学者に対するに教育的効果のためである。この内、前者からは、哲学者が政治的支配を欲し、「高貴な嘘」を用いて世論を操作しようとする哲人王当地は導き出しえないことを指摘しておくことは重要である。少なくとも、シュトラウスによれば、哲学者(愛知者)は最善の生の様式たる哲学的探求を捨て、政治的支配を欲することはないし、その時間的余裕すらなかった。(その意味で、哲学者の集団的利益は、まさしく「放っておかれる」ことである。NHR, p.143)また、(ソクラテス的)哲学は、生き方そのもの、知への探求それ自体であり、そしてまたせいぜいが「根源的かつ包括的な諸問題への自覚」(OT, p.196)でしかありえないゆえに、いかなるドクマティズムとも無縁であった(ソクラテスはただ自らが何も知らないことを知るのみである)。

【哲学者と支配との関係としての哲学的政治】(pp.49ff.)
もうひとつ特記しておくべきは、哲学者の政治的なものへの関わり方である。そもそもソクラテスがそれ以前の哲学者と区別されるのは、人が何よりもまず社会的・政治的存在である、という自己知をもつからであり、この自覚が彼を最初の政治哲学者にする。しかし、彼は既存の社会的・政治的秩序を自らの哲学的探求のための単なる必要条件や手段として捉えているわけではない。むしろ、ソクラテスは非哲学者に配慮し、哲学的活動にとっては最善であるような最大限の自由を許容する民主主義を最善体制とは見なさない。そして、哲学者は、最も哲学の可能性を左右する政治的共同体とその維持に必要な道徳規範を尊重する。だが、先述のように、哲学者は(一から創造することのできる言論上のポリスではなく)既存のポリスにおいては自ら支配を欲することはないし、その義務感を感じることもなければ、ほとんどの市民が彼を歯牙にもかけないために外部から強制されることもない。しかし、支配を欲しないからといって、愛国心から哲学者が公的活動を行うべきではないとする理由もない(現にソクラテスは、市民と積極的に交わり、志願して戦地にも赴いている)。哲学が孕むその破壊的作用から、哲学者は、ポリスとその支配者に働きかけて、自らの大義を擁護しなければならない(哲学的政治)。しかし、哲学的政治と支配への参加の間には「必然的な関係は一切存在しないのである」(OT, p.205)。

【シュトラウスのアリストテレス主義】(pp.54ff.)
ここまでで述べられたのは、われわれが通常使う意味での政治哲学ではない。シュトラウスが主張するのは、政治を基礎付けるための哲学ではなく、哲学を擁護するための政治なのである。では、前者の意味での政治哲学がシュトラウスにはなかったのかといえば、そうではない。まず、シュトラウスは(哲学的政治を離れても)現存のリベラル[立憲的]民主主義を否定することはない。ただし、彼はそれをホッブズやロックなど近代政治思想によってではなく、古典的政治学によって擁護するのである。より正確には、政治学についてのアリストテレス的理解によってである。古典的政治学の美点とは、ホッブズなどとは異なり、自然科学を道徳・政治哲学の基礎付けとして必要としない(理論と実践の分離)ところにある。人間は目的論的に行為する。そして、その自覚は適切な手段の選択にあたって人間を賢明にする。まさしく、この賢慮(prudence)の徳こそがいかなる理論的裏付けを必要としない実践哲学における根本原理なのである。このことは、彼が個々の政治的指導者の役割を重要視したことにも表れている(彼はある書簡でチャーチルの実践知を称揚している)。したがって、彼の(通常の意味での)政治哲学における最大の目的は、この賢慮に基づく政治的実践を、彼の時代において、諸々の誤った理論的基礎付けから擁護することにあった。言うまでもなく、それらは実証主義、歴史主義(実存主義)、相対主義である。シュトラウスにとっては、これらは近代啓蒙[合理]主義の成れの果てに映った。近代合理主義に対する自信は、ニーチェによって無残にも打ち砕かれた。ハイデガーはその危機に応答しようとしたが、結局彼が生み出したものは政治の固有の領域を軽視した存在論的形而上学でしかなかったのである。(したがって、シュトラウスの一連の政治哲学的主張は、主著『自然権と歴史』は言うまでもなく、真っ先に彼らに矛先が向けられていることを忘れてはならない)

これらのザッカート夫妻の説明に対し、以下の二つの点を指摘しておきたい。
第一に、哲学者の実践的役割についてである。哲学者の集団的利益は放っておかれることであり、したがって僭主政治のもとでは、彼らは地下に潜るか、他国へ逃げ出すか、という政治に対して極めて消極的な選択肢をまず尊重する。これを現代の文脈にあてはめて些か極端な話をするならば、哲学者の集団からは革命運動や地下抵抗組織が生まれる可能性はほとんどないということになる。しかし、これは明らかに現代人が好ましいと思うような知識人像ではないであろう。
第二に、上記の点と関係するが、夫妻の解釈に従えば、哲学についてのソクラテス的理解と政治学についてのアリストテレス的理解の結びつきは消去法的なものに過ぎないということになる(ただ、裏を返せば、哲学の政治に対する自制を考慮することで、他の選択肢も在りうるということが言える)。そして、何よりも実践的・倫理的意味を持つべき自然的正が、実際にはなんら正当な役割を果たすことができないということになるのではなかろうか(ただ、そもそもの批判が誰に向けられたものなのかを考慮すれば、かろうじて別の考えようもできるように思えるが…)。
posted by ta at 09:18| Comment(0) | TrackBack(0) | シュトラウス文献 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月09日

Zuckert, Truth about Leo Strauss(1)

Zuckert, Catherine, and Michael Zuckert. Truth about Leo Strauss: Political Philosophy and American Democracy. Chicago: U of Chicago P, 2006.(1)

シュトラウス学派を扱った、同書の第6、7章は以前にまとめた。今回は、序章。

Introduction: Mr. Strauss Goes to Washington? (pp.1-24)

序章は、一般メディアにおけるシュトラウス像の変遷を描く。ザッカート夫妻はシュトラウスの弟子であって、当然シュトラウス擁護の立場に立つので、いわゆるネオコンやブッシュ政権とシュトラウスを結びつける記事に対しては極めて批判的である。夫妻の整理によれば、メディアにおけるシュトラウス像は2つの側面を持つ。一つはウィルソン的な(民主主義的拡大を旨とした)理想主義的側面。もう一つは、打って変わって、マキアヴェッリ的な権謀術策を弄する現実主義的側面である。一見相反するこの2つの特徴が奇妙なことに共存する。ネオコンとの関連で言えば、前者はいわゆるレジーム・チェンジの源泉となり、後者はエリート主義、トラシュマコス的正義観、エソテリシズムと「高貴な嘘」に基づく大衆操作の知的源泉となる。

シオニズムとイスラエルを扱った一部のものを除いて、具体的な政策提言に関わる著作を持たないシュトラウスがいかにして、近年のように現実政治と結びつけられるようになったのか、夫妻はまずその前史とも言える以下の二つの著作に言及する。
* Burnyeat, Miles. “Sphinx without a Secret.” Rev. of Studies in Platonic Political Philosophy, by Leo Strauss. New York Review of Books. 30 May 1985: 30-36.
シュトラウスの思想と現実政治との関係について初めて言及した書評記事
* Wood, Gordon. “Fundamentalists and the Constitution.” Rev. of American Founding: Politics, Statesmanship, and the Constitution, ed. Ralph A. Rossum and Gary L. McDowell, etc. New York Review of Books. 18 Feb. 1988: 33-40.
憲法研究におけるシュトラウスの弟子たちの少なからぬ影響力を指摘。ただ、ウッド自身はそれほどシュトラウスに批判的なわけではない。

これら80年代の記事は一般世論に対する影響力が小さかったが、90年代に入ってにわかに騒がしくなる。
* Staples, Brent. “Undemocratic Vistas: The Sinister Vogue of Leo Strauss.” New York Times. 28 Nov. 1994: A16.(本文リンク)
シュトラウスが当時の現状維持的保守エリートに影響を与える思想家とされ、その中でも政府内外の4人の人物が名指しされる。実際、内3人はシュトラウスとなんらの結びつきはなかったが、最後の一人であるA・ブルームの名前がかろうじて記事の信憑性を担保し、その後に続くシュトラウスへの関心の波を形作った。
* Bernstein, Richard. “Very Unlikely Villain (or Hero).” New York Times. 29 Jan. 1995: E4.(本文リンク)
この第一波はそうそう続かなかったが、それを事実上終結させたのがこのバーンスタインの論説。シュトラウスの思想と非民主主義的なエリート主義との関係を否定した。

そして、2000年に入り、イラク戦争後にシュトラウス・バッシングはピークに達する。氾濫する関連記事の中で、その最初期とものとされるのが以下の2つ。
* Atlas, James. “Leo-Cons; A Classicist’s Legacy: New Empire Builders.” New York Times. 4 May 2003: sec.4, 1.(本文リンク)
* Frachon, Alain, and Daniel Vernet. “Strategist and the Philosopher.” Trans. Mark K. Jensen. Le Monde. 19 Apr. 2003. 9 Jan. 2009 < http://www.informationclearinghouse.info/article2978.htm >. (仏語原文)

しかし、これら著名メディアでの論説に先立って、イラク戦争以前から反シュトラウス(反ネオコン)のプロパガンダを繰り広げたのが、数々の陰謀論で悪名高い、L・ラローシェ(LaRouche)と彼の率いる政治団体である。夫妻は、いわゆるラローシェ主義者(the LaRouchites)に名を連ねる人びとが発表した一連の主張において、先のFrachonとVernetによる論説に対する影響関係を認める。そして、ラローシェがそもそも極端な進歩主義者であるがゆえに、初期の政治的言明では、先述したシュトラウスの反理想主義的なプラトン解釈が痛烈な批判の対象となった。(これらの夫妻の記述は事実として正しいのかもしれないが、イラク戦争後の一連のシュトラウス・バッシングの起源をラローシェとその取り巻きに求めるのは、その陰謀論的な論評のいかがわしさと胡散臭さで、それら記事全体の信憑性を疑わしいものとするには、効果としては抜群だろう)

夫妻の遡及的追及はここでとどまらない。シュトラウスの思想の核心をマキアヴェッリ的現実主義と捉え、ネオコンに影響を与えた(とされる)ウィルソン的理想主義を純粋な公教的教義(つまりは、高貴な嘘)として切り捨てる立場について、一部のラローシェ主義者が明示的に参照している研究者を指摘する。それはもはや言うまでもなく、S・ドゥルリーである。夫妻は、具体的に以下の3つの著作に言及する(彼女にはもう一冊、コジェーヴを主題としてその関連でシュトラウスを論じた著書がある)。
* Drury, Shadia. Political Ideas of Leo Strauss. New York: St. Martin’s, 1988. (Up. ed. New York: Palgrave Macmillan, 2005)
* ---. Leo Strauss and the American Right. New York: St. Martin’s, 1997.
* ---. “Saving America.” 10 Sep. 2003. Evatt Foundation. 9 Jan. 2009. < http://evatt.labor.net.au/publications/papers/112.html >.

それぞれの中身については詳しく言及しないが、夫妻の表現を使えば、ドゥルリーのシュトラウスとはマキアヴェッリ主義者、ニーチェ主義者、無神論者、ニヒリストである。加えて夫妻は、イラク戦争後に執筆された3番目の著作では批判のトーンがより過激に変化していったことも指摘する。
posted by ta at 19:56| Comment(0) | TrackBack(0) | シュトラウス文献 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月07日

『思想』「レオ・シュトラウスの思想」B

* 國分功一郎「自然主義者の運命―シュトラウス,ドゥルーズ」

最後にガツーンと食らわされた感じのシュトラウス批判。ただ、最初の浅野論文と違って、ドゥルーズとの関係を強調することで、最低限必要な敬意を払うことは忘れてはいない。なかなかこの批判に反論することは難しいだろう。直感的にも、素人の常識的判断においても、ドゥルーズの半歩あゆみを進めた説のほうが好ましく思える。シュトラウスの一義的自然解釈(自然の発見の一回性)に見られる哲学者像は、自身が必ずしも意図せずとも(この部分を強調することにどれほどの意義があるかどうかは意見の分かれるところだとしても)、後生にあって濫用されるリスクは認めざるをえない。だが、それでも、まだ言い尽くせていない部分が残っていると思う。そう思いたい。つまり、シュトラウスの描くエロス的哲学者はそれほど強靭で、狡猾な精神をもっていたのだろうか? コンベンショナリズム・歴史主義と哲学の対話(論争)がせいぜい水掛け論に終始するのであるならば、ソクラテスのディアレクティケーは全く無意味な行為であったのか? プラトンやクセノポンのソクラテスは時の権力者に寄り添って「薄弱なる議論を強力な議論となす」人物であっただろうか? また、僭主と哲学者を並べて承認への欲求を主張するコジェーヴに対して、決して交わることのない非エロス的政治とエロス的哲学をシュトラウスは認識したのではなかったか? 彼の中期・後期の政治哲学における哲学者(ソクラテス)像について、もう少し統一的な姿を塑像してみることも有効かもしれない。
posted by ta at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | シュトラウス文献 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月06日

『思想』「レオ・シュトラウスの思想」A

*「ヘルマン・コーエン『理性の宗教』への導入的試論」の翻訳

特に実のある内容も書けないので、どうせ誰も見ないのだから(ばっちし匿名だしw)、卑怯にもこそこそと一部の誤訳と訳の抜け落ちを指摘しておこう。

p.160上段7行目: 「コーエンは理性の宗教について話しながら、哲学とユダヤ教の関係を次のように理解する仕方を排除している」…(誤)「話しながら」→(正)「話すことによって」、(誤)「次のように」→(正)「[前文を受けて]このように」

p.164上段16行目: flagrantlyを「明らかに」では少し日本語として弱いのでは?

p.166下段20行目: 「同書の最後を飾る章で論じられる人間性の徳を同情に置き換えていた」…正しくは「同情を…人間性の徳に置き換えていた」

p.167下段9行目: (誤)「抑圧的」→(正)「後退的・退歩的」…regressiveをrepressiveに読み違え?

p.168上段13行目: 「神との和解のみが人間と人間自身との成就」→「…人間自身との和解の成就」と下手に省略しないほうが…

p.169上段2行目: (誤)「番人」→(正)「万人」…単なるタイポ。でも翻訳だけ読んだ人だと、内容が内容だけに、案外なんのことか混乱するかもw

p.172下段9/10行目: 以下の一段落が脱落
Yet isolation is not the sole purpose of the Law; its main purpose is the idealization or sanctification of the whole of human life through the living correlation with God. In the Chapter on the Law, Cohen engages in a critique of Zionism about which it is not necessary to say anything since it is easily intelligible to every reader. As the reader can hardly fail to notice, in the same context Cohen seems almost to face the possibility actualized not long after his death by national socialism. But his "optimism" was too strong.
以上
posted by ta at 00:57| Comment(0) | TrackBack(0) | シュトラウス文献 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月03日

『思想』「レオ・シュトラウスの思想」(2008年第10号 No.1014)@

*浅野俊哉「〈徳〉をめぐる係争―シュトラウスの政治思想とスピノザ」: うーん、正直参考文献として挙げられているシュトラウスのテキストをとても誠実に、先入見なしに読みこんだとは思えないほどの酷い批判。スピノザを救い出すために、あえてシュトラウスを無理やり貶めるやり方はどうかなと思う。

*三嶋輝夫「レオ・シュトラウスのソクラテス解釈―『ソクラテスの弁明』と『クリトン』を中心に」: p.137で氏は、「この[『プラトン政治哲学研究』からの引用]部分のシュトラウスの論旨自体は必ずしも明晰であるように見えない」とコメントしてるけれども、実際は氏のほうがシュトラウスの論旨を正確に捉えきれていないのでは、という気がする。その引用した部分(この訳も必ずしも正確ではないのだけれど…)の前後では、シュトラウスは国法(法律)自身がその「超人格的地位」(superhuman status)という「仮説」によって、「説得もしくは服従説」がそもそも覆されたことを示そうとしているのに対し、ソクラテスの批判(説得の試み)が「「説得もしくは服従説」のソクラテスに対する有効性に決定的な重みを持つものであ[強調は著者]」(同)ると氏が強調するのは、よく理解できない。

更に、最後の『クリトン』解釈についての問題点の箇所だが、シュトラウスが指し示すソクラテスとクリトンの間の異なるロゴスについて、後者のそれはともかく、前者のそれは果たして氏の指摘する通りなのだろうか? 氏自身で訳されている引用部分にも明確に述べられているように、「ソクラテスを納得させるロゴスは、クリトンを納得させるロゴスではなく、逆も然り」(p.138)なのであって、それを踏まえれば、氏が指摘するように「ソクラテスを納得させるロゴス」が「法律の説得が始まる以前にソクラテスとクリトンの間で再確認された倫理原則」(同)であるはずがない。その後に、引き合いに出されているウェイスの研究については、読んだことがないので何も言えないが、どうも氏の専門性から来る先入見がかえってシュトラウスのテクスト理解をゆがめているような気がする。
posted by ta at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | シュトラウス文献 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月21日

シュトラウス『古典的政治的合理主義の再生』A

L・シュトラウス『古典的政治的合理主義の再生』A

3 ハイデガー実存主義への序説(pp.70-91)

んー、一読して、なーんかわかったようなわからないような。少なくとも、キルケゴール、ニーチェ、フッサール、ハイデガーという現代思想への橋頭堡となる思想家については、やっぱり待ったなしだーという焦りだけは感じた・゚・(つД`)・゚・

とりあえず、順を追って見ていこう。まず、ハイデガーの哲学に対するシュトラウスの立場[pp.70-75]が披露され、そこから具体的な検討に入っていくわけだが、導入として科学(実証主義)における合理的価値判断の否定とその存立の無根拠性が説かれる[p.75-78]。そこから、価値問題を通じて、次第に実存主義へと話題を移していくが、現代において、哲学がますますウェーバー的な「世界観学(Weltanschauungslehre)」に取って代わられつつある中で、「相対的見解が多様であることの根拠を…人間の条件のうちに見いだ」(p.78)そうとする(苦悩ないし不安から来る)不可避的な一歩を踏み出すとき、「既に再び実存主義の戸口に立っている」(同)と言うことができる。この「漠然と感じられてはいても直接経験されることのない根本的不安」(p.75)こそが政治的にかの狂信的運動を生み出した培養基であったわけだが、実存主義は相対主義の真理を認めつつも、それが価値問題の「解決や救済であるどころか、致命的さえあることを自覚して」(p.79)いた。よって、ここから相対主義克服の手立てを通して、本格的なハイデガー的実存主義の検討が開始されるわけである[pp.79-91]。

「…実存主義は、すべての客観的・理性的認識の基礎には深遠が見出されるということの理解とともに始まる。あらゆる真理のあらゆる意味は、結局人間の自由以外にいかなる支えももたないと見られる」(p.79)という解説に始まり、ここから自分を除いた世間一般にはよく知られていると思われる内容がシュトラウスの注釈付きで語られる。例えば、投企(企投?)、被投的投企、世界内存在としての人間などおなじみの概念が続く。文章で纏め上げるのもなかなか一苦労なので、気になった箇所を上げるだけにしておく。

* 「人間は本質的に社会存在である。つまり人間であるということは、他の存在とともに在るということを意味する。確実な仕方で存在するということは、確実な仕方で他者に対して在るということである」(p.80): その拠り所が民族性…?

* 「真実に存在するということは世界内に確固として存在するということである。つまりそれは世界内の事物を単に事実的なものとして受け入れ、自分自身の存在をも単に事実的なものとして受け入れること、…決然と覚悟して危険に身を曝すことなのである」(同): 「確固として」、「決然と覚悟して」…、実存と狂気はまさに紙一重…

* 「結局、我々は単なる事実性と偶然性に直面しているのである。しかし我々は世界における我々自身と事物の原因を問うことはできないのだろうか」(同): 心にずしっと重くのしかかる感覚。ここからハイデガーにとって哲学そのものであるところの「実存(Existenz)」の分析、いわゆる基礎存在論が展開される。

* 「…ある立場の選択は、ただそれ自体も何らかの立場表明であるような理解によってのみ理解される、…言い換えれば、実存哲学は主観的真理についての主観的真理なのである」(p.81)

* 「実存主義に基けば、以前には客観的と呼ばれていたものが実は表面的(蓋然的)であることが明らかになり、以前には主観的と呼ばれたものが実は深遠で最終的であることが明らかとなる」(同): 伝統的な合理主義哲学との決別。

一通りの説明が終わった後、実存分析に関わる深刻な困難について語られる。その一つに、ヘーゲルがカントに対して申し立てた究極的根拠としての神の必要性というジレンマがあるが、シュトラウスはそれをハイデガーのキルケゴール的実存主義に対する関係と重ね合わせる。つまり、キルケゴールにおいては「一個の時間の満了の可能性」が否定され、「実存主義は人間の歴史性の理解なのだ」と主張されながら、己れ自身の歴史性、つまり己れが西洋人という特殊な状況に属していることを省み」られないのである(p.83)。ここから、再びハイデガーから話が逸れて、ヘーゲル-マルクス-ニーチェの歴史哲学[pp.83-85]を概観することになる。

* ヘーゲルにおける「歴史の発見」: 個々人の最も根源的な意味で時代の息子や継子であることへの洞察→「歴史の完了(終焉)」: 西洋の没落から人類の没落へ
* マルクスのヘーゲル批判: 共産主義社会の到来
* ニーチェのマルクス批判: 共産主義的世界社会における「最後の人間」、統一ヨーロッパを支配する新しい貴族、聖書の相続人としての(キリスト教的メシアとしてではない)超人(≠プラトン的哲人王)、「この世界すなわち人間の生きるこの世界の外にあるような世界の根拠に対するあらゆる関心は、人間をこの世界から疎外する」(p.85)

実存主義をヘーゲル的に捉えるのであれば、ハイデガーの実存主義は第一次大戦後の「それ自身およびその未来が不確かとなった自由主義的民主主義」(p.83)の没落、より具体的にはワイマールの崩壊という状況に置かれていたと考えられることになる。しかし、ハイデガーはニーチェ的な希望について、ナチスに失望し、その支持を最終的に撤回した。そして、戦後世界もマルクスが予言したような「完全にテクノロジー化された西洋による全地球に対する勝利」、ハイデガーの言う「世界の夜」、そして、「完全な平均化と画一化でしかない」世界という合理主義・科学主義の悪夢を前にした彼の絶望を深めるだけであったといえよう(p.85)。そこで、最後の6ページ[pp.86-91]では、いかにしてこの悪夢から希望を見出しうるのかが、ハイデガーとともに考察されるのである。

シュトラウスによれば、(これまでの議論にもあったように)テクノロジー(科学)とは合理主義の成果であり、そして後者はギリシャ哲学の成果とされる。それは、ギリシャ哲学が主知主義の立場に立ち、「全体の根基は本質的に和解可能であり人間としての人間の権内にあるということ」(p.86)を前提としているためである。彼はそこで合理主義が見誤った存在理解について東洋的伝統に希望を見出そうとする(具体的には共産主義という名の西洋合理主義に屈従していた中国)。そして、ハイデガーにその契機を見出す試みを行う。まず、東西の出会いは、「両者の最深の根底の出会い」(p.87)でなければならない。そのためには、西洋は聖書的伝統(聖書そのものでなく)によって合理主義を乗り越え、その最深の根底にある、「存在(Being)の特殊な理解、存在の特殊な経験」(p.88)にたどり着く必要がある。そして、そのような存在を、西洋のような存在研究を経ずに、「諸根拠の根拠」として経験してきたのがまさに東洋であり、ここに東西の出会いによる世界宗教の可能性が生まれるとするのである。

存在(Sein)は存在者(das Seinede)と区別される。そして、それはプラトン的イデアのように知覚される対象[個物的]ではない。ハイデガーによれば、「『存在』は『存在者』によっては説明されえない」(p.88)のである。そして、「『存在』はそれぞれの時代にそれぞれの『存在』理解、…また万物の理解を送り与える」(p.89) しかし、そのような「存在」は決して推論の対象となるようなものではない。我々はそれについて「存在」の経験を通して知るのである。そして、その経験はある跳躍を前提としている。それは、人間が「なによりもまず投げ出されていること(被投的企投)、つまり有限的であることの自覚あるいはその受け入れであり、そして手摺りや支えのあるあらゆる思想を放棄すること」(同)である。この「存在」は存在者たる人間(「現存在(Dasein)」)の根拠であるが、既に述べたように、それに対するいかなる知識も不可能である。あるのはより高次の企投決意だからである。これこそが、ギリシャ以来の存在研究が実存の理解に至ることを妨げた要因でもあった。そして、「この諸々の根拠の根拠は人間と同時的であり、それゆえにそれは果てしなく続くものでもなければ永遠でも」(p.90)ない。ゆえに、「存在」は人間の(本質の)根拠であっても、その完全な根拠ではありえないのである。ここに我々は「事実性、還元することのできない事実性に出くわす」(同) そして、同時的であるがゆえに、我々は「人間に先立つ何らかの存在者については…何も言えない」(同)のである。 しかし、シュトラウスは「世界創造以前」、もしくはハイデガー的な「人間の出現以前」を問うことは有意味であり、不可欠すらあると言う。それは、「無からは何も生じない(ex nihilo nihil fit)」(同)からであり、従って「存在」を無から生み出したものについて問いかけを避けられないからである。ハイデガーは「無から存在するかぎりのすべての存在が出来した(Ex nihilo omne ens qua ens)」(同)と説く。しかし、彼自身は創造神のための場所さえも持たなかったのである。

----------
最後の6ページが本当につらかった…。たった20ページの文章をまとめるのに3500字強使ったのに、まだきちんと理解できていない自分がイル・゚・(つД`)・゚・ ただまあ、これはこれで後々の参考に置いておこうと思う。ハイデガーについては『存在と時間』はもちろんのこと、他の入門書、研究書に当たってみないと、このシュトラウスの説明についてどのような評価がなされるべきなのかが全くわからないんで…。
posted by ta at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | シュトラウス文献 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月19日

シュトラウス『古典的政治的合理主義の再生』@

L・シュトラウス(T・L・パングル編序/石崎嘉彦監訳)(1997)『古典的政治的合理主義の再生: レオ・シュトラウス思想入門』ナカニシヤ出版@

編者序説
第一部 近代合理主義の精神的危機
1 社会科学とヒューマニズム
2 「相対主義」
[3 ハイデガー実存主義への序説]

やっとこさ、本丸への足掛けというか、まだ堀を少しばかり埋め終えただけというか、本ブログ初のシュトラウス文献。

まず、編者パングルによる丁寧な序文があって、「1 社会科学とヒューマニズム」から本筋が始まるわけだが、ここでの要点を簡単にまとめておこう。

* 社会科学の3つの要素: 科学、市民の術、ヒューマニズム
* 分析としての「科学」と綜合の基盤としての「市民の術」
* 社会科学の正統な女王としての倫理学的探求⇒ヒューマニズム
* (シュトラウス的)ヒューマニズム: 抽象や構成物から離れて、社会の現実に戻る(人間学的アプローチ)

* 対立概念としての相対主義(的ヒューマニズム) ≠ 古臭い(価値)相対主義
* 行為する人間としては特定の価値に与する(commit)が、社会科学者としては「演技的に(histrionically)」他の諸価値にも与し、普遍的な共感的理解(sympathetic understanding)を目指す ⇔ シュトラウス: 「…私の感受性は私の立場に必然的に制限されている[ために]…普遍的な共感的理解など不可能である」「要するに普遍的理解の長所と実存主義の長所をともに享受することなどできない」(p.52)

* 相対主義の絶対的基礎⇒「地域主義に対する最終的な勝利者であると称しているもの[すなわち、相対主義]が姿を現してくるのは、地域主義の最も驚くべき表明としてなのである」(p.53)・「[相対主義者が心を向ける]素朴な人々は偏狭的で、地域的、そうプラトンと聖書と同じくらい偏狭で地域的なのである」(p.54) ⇔ 「条件つきの相対主義」の模索という社会科学の課題

要は相対主義のパラドクスである。そこで、シュトラウスによるより詳しい相対主義(合理主義・科学主義)批判(2 「相対主義」)を見てみよう。この論文は、まずバーリンの自由概念を論ずるところから始められる。

* 消極的自由(バーリン)[=相対主義的ヒューマニズム]の絶対的基礎という矛盾: 「個人の自由の最小範囲の不可侵性をほんとうに信じようとすればなんらかの…絶対的立場を必要とする」(引用, p.57)⇔「最小限の私的領域に対する絶対的要求を十分に満足させることはできない。…というのも正反対の要求にも同等の権利があるからである。バーリンの理解する自由主義は、絶対的基礎なしには生きてはいけないし、絶対的基礎とともに生きていくこともできないのである」(p.58)
* バーリンの反決定論的立場: 「…バーリンは、…歴史を終わらないあるいは終わり得ないということを当然視しているようである。それゆえバーリンにとって消極的自由の理想は「相対的に妥当」であるにすぎない」(p.59)

以前の堤林論文にもあったように、これはバーリンの自由定義のあいまいさから出てくる問題なのだろう。多少弁明的な言い方をすれば、この矛盾は「…相対主義と絶対主義の間に不可能な中間地点を見つけ出したいという彼の願いに由来している」(p.60)のである。では、そのような中途半端な立場ではなく、無条件の相対主義に立てば、問題は解決するのかといえば、シュトラウスによればそうではない。

* 相対主義の実証主義的解釈[=古臭い相対主義]: 「理性的な行為がもし正しい目的のために正しい手段を選択することにあるのだとすれば、相対主義は実際には理性的な行為など不可能だと教えているのである」(p.61)

ここに至って、シュトラウスが取り上げるのが相対主義のパラドクスに対するマルクス主義の歴史主義的解答である。

* ルカーチ: 「…マルクス主義の真理とは社会と生産の一定の秩序内で真理だということである。そういったものとして、しかもそういったものとしてだけ、それは絶対的妥当性を持つのである」(引用, p.63)

ならば、「…マルクス主義の実質的な真理は追って通知があるまでは真であるということ」になってしまう。それは、まさしく「片側だけの真理、半分の真理であるということを自ら示しているのである」(p.63) しかし、同時に「マルクス主義は自己自身に適用されてはならず、したがって相対化されてはならない」というジレンマを抱えている。だが、その歴史の絶対的瞬間とは周知の如く、「…人間的卓越性の可能性そのものの不名誉な死」(p.64)であると喝破されるのである。

このマルクス主義批判の後、議論はもう一度、現代における科学的な(論理)実証主義に立ち戻る。すなわち、ヒューム的心理学、カント的先験主義を共に拒否した(拒否せざるをえなかった?)それが「人間的有機体」という極めて危うい存立根拠に立っていることが説かれるのである。更には、「実証主義は科学が己に由来するのではない諸条件に依存していること」(p.66)を疑いなく認めていることも指摘される。もっと端的に言えば、科学は「時代精神に依存していると考えなければならない」(同)のであり、その意味では決して自律的でないのである。

そして、このように実証主義が問い損ねまた問うことを拒んだ科学の人間的背景を取り上げたのが、その論敵であった実存主義であり、しかしながらここに至ってシュトラウスの相対主義批判はクライマックスを迎える。主として取り上げられるのが、その源流を担う二ーチェである。ニーチェに対するシュトラウスの批判は、次のように集約される。すなわち、ニーチェによれば歴史上出現した真理とは、その時々における「死せる真理」としての意味合いしかもちえず、背景に普遍的・客観的な支えなどは存在しない。しかし、そのような観点に立脚するときにこそ、そこからは導き出せえないような新しい創造が可能になるというのである。シュトラウスはここから、ニーチェを「典型的な相対主義の哲学者」(p.67)と呼ぶ。そして、この方法によってニーチェは「…相対主義の死せる真理を最も生き生きとした真理へと変えていった」(p.69)と理解するのである。しかし、ニーチェが提示した「…人間の創造性を普遍的な力への意志の一特殊形態とする…解釈」(同)は結局同様の困難に陥ってしまっていることを、そこにあるニーチェのためらいとともに、シュトラウスは指摘する。そして、ハイデガーに至る実存主義の課題を、「ニーチェの形而上学回帰と自然への依拠によってもたらされた諸帰結からいわゆるニーチェの相対主義克服なるものを解放する試み」(同)として捉えるのである。

----------
と、ここまででとりあえず今回は止めておいて、「3 ハイデガー実存主義への序説」は次回。。。とにかく、哲学的素養に乏しいからほんとうに苦しい…。ただ、本書によってシュトラウス哲学の全体像を俯瞰できるので、多少詳しくまとめておくと後々便利になるかもしれない。ああ、でも時間がないよう・゚・(つД`)・゚・
posted by ta at 17:20| Comment(0) | TrackBack(0) | シュトラウス文献 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。