2009年04月10日

ファリアス『ハイデガーとナチズム』/ラクー‐ラバルト『政治という虚構』

V・ファリアス(山本尤訳)(1990)『ハイデガーとナチズム(1987)』名古屋大学出版会

二十数年前に、世界中で(少なくとも部分的には)物議をかもした著作。ファリアスはハイデガー晩年の教え子の一人。
ハイデガーのその後の発展は、ナチズムの世界観の一般的要素との近親性を視野に入れないかぎり、正確に理解することはできない…。これは、ハイデガーがナチズムの世界観に独特の形式と彼の文体を刻み込んでいるからでもある。…ナチズムに対するハイデガーの関係のもつ意味を些細なものとして軽視しようとする多くの試みとは反対に、…この関係の中で、この関係によって、彼自身の過去および一つの時代全体と一致して表現されており、この思想のその後の発展は本質的な点においてこの関係の中にはっきりと認められる。(p.37)
正直、通読する必要性にも疑問を感じていたが、読んでみると、いかにハイデガーがその思想の根底でナチ以上に国家社会主義的であろうとしたのか、しかも終生一貫してそうであったのかがよく見て取れる。(後述するラクー−ラバルトの立場からしてみれば、まんまと術中に嵌ってしまっているとも言えないことはないが) ただ、十二年かけて可能な限り資料を掘り起こした著者の根気には頭が下がる。(結局、当時は研究者に閉ざされていた資料も明らかにされているのだろうか?) 日本でもつい最近、この論争についての著作が出版されているのを発見した。というか、想像以上に今日まで論争が重ねられてきていたことを今更ながらに知って恥じ入るばかり…。上下併せて、1100頁という超浩瀚な研究書。

中田光雄(2002)『政治と哲学: 「ハイデガーとナチズム」論争史の一決算(上)(下)』岩波書店

F・ラクー‐ラバルト(浅利誠/大谷尚文訳)(1992)『政治という虚構―ハイデガー、芸術そして政治(1988)』藤原書房

フランスでのハイデガー擁護者の一人(と反対者の側からは見なされる)。本書には上記著作についての補遺が収録されている。ハーバーマスがそのドイツ語版に付けた序文にも言及されていた。彼曰く、「フランスのハイデガー弁護者たちは、ナチズム選択を、『存在と時間』の思索がなお「形而上学的思考」の中に深く根付いていており、ニヒリズムの運命になお深く捕らわれていたことから説明しようとして、事柄を逆立ちさせている。」(p.29) ただ、単純な事実としてのナチへの荷担・人的関係をもってハイデガーを非難するのも、もっともらしい印象を生み出すばかりで、限界があろう。34年以降の流れについては特にそうである。その点、ラクー−ラバルトはハイデガーのテクストを内在的に吟味することによって問題の所在をいくらか厳密に見据えられているように思える。
私はハイデガーを糾弾しようとは思わない。いかなる権利で、そのようなことができるというのか。私は一つの問いだけに、しかも思惟のための問いだけにとどめたい。もろもろの事実を蒸し返すことが無益だと思われるのは、この理由からである。十分な資料がないために、数多くのまちがい、あらぬ噂、あからさまな中傷をまき散らす危険があるのにくわえて、事実の収集がこの問いにたいして何をなしうるのか私には分からない―ただし、ナチであることは犯罪であった、と文句なしに認められていると考えるのであれば話は別であるけれども。(p.61)
問題なのは、戦後、公的にも、〈第三帝国〉の崩壊によってこの〈第三帝国〉が何を啓示したか―それは事実上、黙示録的なものであった―が明らかになったさいの彼らの固有の責任、つまり思惟の責任においても、当の知識人たちが、いずれにせよハイデガーが、この問題に立ちむかい、それを引きうけることが、じつは思惟の義務であることを拒絶したということなのである。(p.66)
神はアウシュヴィッツで死んだ。もちろんハイデガーはこのようなことは一度も言っていない。しかし、彼が言おうと欲したならば、言いかえれば、何らかの歩みを―おそらく勇気ある一歩を―進めることに同意していれば、そう言っていただろうと、どうしても考えざるをえない。(勝利者の「勝利」に力をえて説明を要求し、弁明されることを要求したものたちにたいして、彼が一切発言を拒んだことはなんとか理解するとしても、生存者のなかで、たとえばツェランのように、彼が見解を表明することを期待していたものたちに何も言わなかったことは、私にはどうしても納得できない。)(強調は原文どおり)(p.75)
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2009年04月02日

カミュ=サルトル『革命か反抗か』/サルトル『実存主義とは何か』『ユダヤ人』他

A・カミュ/J-P・サルトル(佐藤朔訳)(1969)『革命か反抗か―カミュ=サルトル論争(1952)』新潮文庫
J-P・サルトル(伊吹武彦/石崎晴己訳)(1955, 96)『実存主義とは何か(1946, 70)』人文書院


50年代初めに『現代』誌上で交わされた有名なサルトル=カミュ論争の邦訳。正直、読みにくかった箇所がちらほら。当時は論争上手なサルトルに軍配が上げられたそうだが、冷戦後に生きるわれわれにとっては、暴力を拒否し、生命に重きを置くカミュのほうに共感しやすいであろう。しかし、重要であるのは、彼らが向き合った哲学と実践にまつわるそもそものジレンマである。カミュは『反抗的人間』において、反抗者とは「単に主人に抗する奴隷であるばかりでなく、主人と奴隷との世界に抗する人間でもある」と論じたが、サルトルが正しく指摘するように、両者(奴隷と人間)の間にはやはり逃れがいたい矛盾が存在する。

個別具体の「状況」の中にあって、同時に自由人たれ、と説くサルトルの形而上学的立場は、既存の価値や決定論的思考を口実とする個人の欺瞞的態度を糾弾し、その行為に厳格な責任を課す(「個人の行為は全人類をアンガジェする」p.76)。他方、そのような自由を妨げる「状況」に対しては、政治的変革を求め労働者を社会主義革命へと駆り立てるのである。サルトルにとっては戦後のユダヤ人問題も、同様の観点から論じることが可能なテーマであった。

J-P・サルトル(安堂信也訳)(1956)『ユダヤ人(1954)』岩波新書

反ユダヤ主義に対する解決策が社会主義革命とは、今では話のオチにすらならないだろうが、「状況」に基づくユダヤ人の協同意識、正統でない(非本来的な)ユダヤ人の反ユダヤ主義というジレンマ、戦後自由主義体制下での同化主義の欺瞞性(ユダヤ人性の抹殺)、解決策であるはずのシオニズムがもたらしてしまう混乱と分裂、等々についてサルトルの考察はやはり鋭い。以下では、この問題についてもう少しばかり。

田所光男(1999)「フィンキェルクロート『想像のユダヤ人』における「見出された差異」―ジェノサイト後のフランスでのユダヤ人性の追及とサルトル」『言語文化論集』21(1): 111-125.

フィンキェルクロートという名前は初めて聞いた。なかなかの論争家らしい。近年では批判されることが多いそうだ。彼はその著『想像のユダヤ人』(Le Juif imaginaire, 1980)で、戦後生まれのユダヤ人が取りえた選択肢として以下の三つが存在したと語る。同化ユダヤ人たる「イスラエリット」(Israélite)、ユダヤ人性という差異を尊重する「ジュイフ」(Juif)、イスラエル国民たる「イスラエリヤン」(Israélien)である。彼はサルトルの影響を受けつつ、イスラエリットを拒否し、ジュイフすなわち「真正のユダヤ人」として生きることを選択する。しかし、戦後世代にあってはサルトルが描いたような二極化された構図は次第に後景へと退き、「『自分の感情を自分だけに向け、何よりも自分を好む』という自己主義が前面を覆って」、「無数の差別意識が社会空間に行き渡る」「自分は―社会」(la société du quont-á-soi)が非ユダヤ化を否応なく押し進めていた。その中で、ユダヤ人的差異はどのようにして見出されるのであろうか? フィンキェルクロートによれば、それは「アウシュヴィッツの子」という先の世代の悲劇によって生じた威信に求められる。田所は、このような非本質的な定義の仕方をサルトルのそれに重ね、両者の影響関係を指摘する。しかし、サルトルが『ユダヤ人』の終盤で描いた「具体的な自由主義」は諸々のユダヤ的本質を私的空間に押し止め、二次的なものとし、「人間の自由な[公的]参加によって共同性を実現することであり、そこではやはり一種の[普遍主義的・共和主義的]「同化」が目指されている。」(p.119) もし、フィンキェルクロートが「見出された差異」を求め徹底した差異主義に立つのであれば、このようなサルトルの姿勢といずれは齟齬をきたすことになろう。事実、田所が示すように、『想像のユダヤ人』における彼の狙いは、差異主義の擁護と展開ではなく、その超克にあった。無論、そうであるからといって、前世代の非本来的な同化主義に回帰する道はありえない。いずれにせよ、サルトルとの齟齬も彼にとっては織りこみ済みだったというわけだ。その詳細な議論については、本論の主題を越えるために、田所は次稿に預けている。ただ、フィンキェルクロートは後の著作『愛の智慧』(La sagesse de l’amour, 1984)で、レファレンスをサルトルからレヴィナスへと移して、以下のように述べる。
「自己であること、自己を見出すこと、外来の諸悪から自己を純化すること、このような願い以上に、おそらくもっと深くもっと決定的なものがある。それは、自分の自己から離脱する夢、自己自身への還帰という運命から逃れる夢である。」(p.122)
いわば主客の不断の逆転であり、そこから彼の自他関係理解もおのずと見えてこよう。

堀田新五郎(2003)「J. P.サルトルの他者論―『ユダヤ人問題についての考察』から」『奈良県立大学研究季報』14(2, 3): 119-128.

堀田の狙いは、しばしば価値相対主義(「まなざしの相克」)として批判されるサルトルの倫理観についてその普遍的基礎を探ることである。もちろん、状況の中で自由人たる人間は既存の価値に従うのではなく、不断の企投によって価値を創出する。ならば、その価値は具体的な善としては定義し得ないものであろう。ここから、必然的にわれわれはメタ倫理の模索へと導かれていく。そこで鍵となるのは、〈他者〉に潜む二つの契機である。
[注・『モラル・ノート』からの引用]「〈他者〉には、二つの意味がある。第一に、構成的な原初的〈他性〉としての〈他者〉。これは私に対して優先権を持つ。第二、〈他者〉によって私のうちに構成された他性としての他なるもの。これは他なるものとしての私以外ではない。あるいは、疎外されたものとしての同一者〈le même〉である。」ここで語られた第一の〈他者〉とは、各人を規定する大文字のまなざしを持つ構成的権力であり、第二の〈他者〉とは、私のうちに内面化された他性、すなわち石化された自己同一性としての地位・役割であろう。(p.123)
言うまでもなく『ユダヤ人』においては、この両者は反ユダヤ主義者と非本来的なユダヤ人として論じられた。サルトルによれば、被抑圧者が同時に抑圧者となる「他性の循環」がここから導出されるという。
抑圧社会における真の支配者が〈他者〉であるかぎり、抑圧者とは常に抑圧の移譲であり、各人は抑圧を伝え合わなければならない。これがサルトルの言う「他性の循環」である。したがって抑圧からの解放とは、抑圧者と被抑圧者の双方を、〈他者〉の秩序から解き放つこととなる。一人の奴隷が存在するかぎり、我々も一人として自由とはいえないからである。(p.124)
『ユダヤ人』最終章での「ユダヤ人問題とはわれわれの問題である」という主張は、このような〈他者〉認識があってこそ根拠を持ちうる。同時に、この「他性の循環」は『モラル・ノート』に記された悪の概念をも説明してくれる。「悪:主観的な客観性、あるいは、主観性の客観化」(p.120)、すなわち、「自由な対自の物化・即自化」である。では、このメタレベルで析出された悪に対して、われわれはどのように対峙しうるのであろうか。
悪がこのように、いわば超越論的位相において捉えられるならば、それに対する集団的抵抗、すなわち連帯(solidalité)という倫理的契機もまた現実化しうるのではなかろうか。というのも、ここで提示された悪への抵抗は、…主体の自由を自覚する浄化的反省(réflexion purifiante)そのものであり、自由と不可分だからである。(同)
ここには、既に主客の概念すら存在せず、唯一自由人のみが存在する。しかも、サルトルが要求するものは、極めて厳格である。すべての人に対して支えなき自由から目を逸らし、安易な逃げを打つことを許さない。それは、彼が言うようにまさしく「自由への強制」である。(そして、自由からの行為は「全人類をアンガジェする」) サルトルは、このメタ倫理的命法に則って、社会において最も抑圧されている人びとの具体的反抗に連帯せよ、とわれわれに呼びかけるのである。

[このサルトルによる実存主義的倫理は、社会大でおおむね固定化された差別(人種・民族・宗教・階級)よりも、現代社会においては、相互のまなざしが不断に転換するような、小規模で非固定的な差別(例えば、いじめ)に、その領分を見出すことができるのかもしれない。(先の論文でも指摘されたように、彼の「具体的な自由主義」が共和主義的な体制の焼き直しであるならば尚更のこと) ただ、その場合には、「自由への強制」だけで「アンガジェ」を呼びかけるのは困難であり、やはりなんらかの価値の擬制が必要となってくるだろうが。]
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2009年04月01日

カミュ『異邦人』他

A・カミュ(窪田啓作訳)(1954)『異邦人(1942)』新潮文庫

言わずと知れたアルベール・カミュの古典的名作だが、訳者解説以外に何か得られるものはないかと思い、とりあえずCiNiiを漁ってみた。

村岡正明(1980)「カミュとニーチェ―『異邦人』と〈神の死〉」『城西人文研究』7: 171-186.

『異邦人』で比較的困難を覚えるのは、ムルソーが御用司祭を難詰し、母親と自らの死について内省する最終場面(窪田訳では125から127頁)ではなかろうか。村岡は『異邦人』の中のニーチェ的モメントを重視し、それを透かし絵として用いることでこの場面の内在的理解を促す。例えば、母親と自らの死についての内省において、“revivre”を窪田訳のように単に「生きかえる」ではなく、「くりかえし生きる」と「永遠回帰」のニュアンスを汲みいれて訳せば、ムルソーの生に対する愛惜(運命愛)を読み取ることができる。一応、その箇所の村岡訳を示しておこう。
「死を間近にしたママは、そこで自分が解放されるのを感じ、すべてをくりかえし生きる準備ができたのを感じたのにちがいなかった。そして、私もまたすべてをくりかえし生きる準備ができたのを感じた」(p.176)
次に、ムルソーの反キリスト教的姿勢がニーチェ的な〈神の死〉と関わりを持っていることは容易に見出せるとして、そのことが彼を「世界の優しい無関心」へと開かせるのはどういうわけだろうか。村岡は、この「無関心」(indifférence)をその語源である「差異がないこと」、「無差異」にまで立ち戻って解釈し、ニーチェのツァラトゥストラが味わう《倦怠》をこの部分に投射する。そのため、ムルソーの無関心とその底に横たわる等価値・無価値・無差異、つまりニヒリスティックな認識は、ニーチェと同じく新たな地平形成の前提(「能動的ニヒリズム」)として同一線上に位置付けられる。ただ、カミュには、ニーチェに見られた「みずから手を下して滅ぼす」という徹底的な積極性が存在しない。そもそも、「無差異」へと心を開くことは、能動的な決断が一切失われたモノの世界、「永遠に差異のない世界」を受入れることを意味する。それはヒトにとっては「死の世界」である。この一見矛盾する死生観(運命愛と死の共存、〈神の死〉の受動性を引き摺った能動性)に村岡はニーチェと異なったカミュ独特の思想を読み取る(〈蒼ざめたニーチェ〉としてのカミュ)。言い換えれば、カミュないし「ムルソーの外的偶然は、内的必然への変質を遂げ」(p.185)るのである。サルトル的アンガージュマンに対してカミュが消極的姿勢(形而上学的反抗)に終始し、安易な実存主義的決断を忌避したのも、背景にこのような死生観があったからこそと言えよう。

加藤宏幸・千葉裕平(1995)「アルベール・カミュの『異邦人』論―不条理な感情の生成過程および自然との関係」『Artes Liberales』57: 83-94.

学生(千葉)の卒論に指導教官(加藤)が手を加えて提出されたもの。加藤・千葉は最初に、カミュにおける不条理の定義をその広狭によって区別する。本論が依拠するのは、「世界の中で、人間が自分の存在に感じる違和感・断絶感=世界と人間のあいだの断絶・ずれ」という広義の不条理である。加藤・千葉に従えば、ムルソーが世界の断絶を意識し始めるのは、裁判において、事件の合理的な説明を求めようとする判事や検事らの世界(便宜的に「常識の世界」と呼ぼう)が、彼の中に違和感を生じせしめるときである。そして同時に、彼は世界の非合理性(こちらは「事実性の世界」とでも呼べるだろうか)に意識的に向き合うことを余儀なくされる。しかし、向き合うムルソー本人は一体何者であろうか?彼は判事らのように世界の合理的解釈を求めなかった。その意味で、「事実性の世界」に幾分近しき存在である。ゆえにムルソーは「常識の世界」では異邦人たらざるをえなかった。しかし、彼は依然として人間である。たとえ世界の合理性に無関心であっても、彼は判事や検事らと本質的に変わるところがない対自存在なのである。そうである以上、いくら近しき存在といえども、ムルソーも人間として「事実性の世界」と根源的に対立する。彼はまた根源的に異邦人なのである。カミュの言う「不条理への反抗」が、「不条理を見つめ、かつそれに同意しないこと」(p.84)にあるのだとすれば、問題はむしろ、この「事実性の世界」の忘却・隠蔽にある。この観点からすれば、加藤・千葉の言う不条理以前のムルソーであっても、その難から逃れられていないのではなかろうか? ただ、彼の場合はその自然主義的態度がそうさせているのであるが。たとえば、結論部でわれわれは以下の論述を目にする。
人が明晰さを求めようとすれば、ついには世界の非合理性を前に、人間と世界の断絶、つまり不条理に直面しなければならない。しかしムルソーのように、世界の非合理性を無意識に認識し、明晰さを求めようとしなければ不条理に直面することはない。ムルソーは不条理に目覚めにくい人間であると言える。(p.93)
しかし、『異邦人』においてはムルソーこそが世界の非合理性に目覚めた唯一の登場人物であったはずだ。その他の人間は、彼らなりの世界の明晰性についてつゆほども疑いを抱かなかったと言えるだろう。マリーであっても、レイモンであっても、判事であっても、司祭であっても、然りである。ただ、ムルソーについて違っていたのは、太陽(自然)がときに自らに牙をむく、その経験にあったといえるだろう。それを、無意識的認識と呼んでいいものかどうかは正直わからない。カミュの言う明晰さへの欲求は実際には人びとが心の中に生み出した擬制である。本論では自然との調和と表現されるムルソーの自然主義も結局はそのようなものの一種ではなかったか。

既に述べたように、ムルソーに付きまとっていたのは二重の「異邦性」であった。ひとつは裁判の過程で認識する「常識の世界」に対する異邦性。もうひとつは太陽の疎遠さがもたらす「事実性の世界」に対する異邦性である。前者から導き出されるのは、あくまでも人間の不自然性の認識である。自然主義的態度を身に付けたムルソーにとっては裁判上の出来事は、まさに別世界のことのように感じられた。ただ、本論ではこの両方の異邦性を明瞭に区別しないがゆえに、多少混乱が生じているように思える。
ムルソーは世界の非合理性を感じる。検事らが事件を無理矢理体系づけようとするので、彼は非合理性をより強く感じる。非合理な世界をだれも体系づけることはできない。彼は非合理な世界の中で人間が明晰を求めようとするのは愚かであることを知り、同時に自分という人間存在の不自然さを認識する。彼は世界から遠く離れてしまう。世界と自分の断絶から、不条理な感情が芽生える。(p.89)
この論述を以下の結論部のものと比べてみると良い。
ムルソーはこの裁判で、明晰を求めようとする人間の行為の愚かしさを知り、また事実とあまりにも掛け離れている検事の解釈に、裁判が自分の裁判であるとは思えず、世界と自分との断絶を意識する。つまり不条理な感情の出現である。(p.93)
前者では、明らかに「人間存在の不自然さ」から「事実性の世界」に対する不条理な感情を導出しているが、後者では「常識の世界」との断絶が、直ちにもうひとつの世界との断絶であるかのような言い回しになってしまっている。もちろん、後者は前者を受けてのまとめなのであるが、ただ、その後に、「しかしこれは、ムルソーにとっては本質的な不条理ではない。本質的な不条理は、むしろ裁判の後にムルソーが直面する、死についての不条理である」(同)と続くのを見ると、明らかに、裁判において生じた不条理の感情と死刑を臨んで抱かれた不条理の感情との間に質的差異が認められる。しかし、カミュにとって世界の非合理性・偶然性の形式はただ一つである。そのため、「偶然の積み重ねからなる世界と、必然的な死という運命を背負わされた人間、この両者の間の断絶にムルソーは本質的な不条理を感じる」(同)という言明は誤解を与えかねない。人為的にもたらされた確定的な死、すなわち死刑は、加藤・千葉が確認するように「事実性の世界」においては偶然の積み重ねによって生じた出来事である。したがってここでは、その確定的で逃れがたい死がムルソーを必然的な死という究極の事実性についての省察へと促した、とまず考えるべきであろう。なぜなら、断絶はこの世界における偶然性と必然性の間にあるのでは決してなく、それは、一方で偶然性の中に合理性を見出そうとし、他方で必然的な死について内省を強いられる人間が「事実性の世界」と対峙して、はじめて意識の前面に現れるものだからである。つまり、人間の必然的な死は、人間それ自体ではなく世界にこそ属している。広狭問わずカミュの不条理の定義と、「不条理への反抗」の意義は、まさにこの断絶の位置を正確に捉えてこそ、理解することができると言えよう。

古野千恵(2005)「『異邦人』における「太陽」」『Stella』24: 139-146.

先の論文ではちょうど「太陽」と「不条理」が主題とされたので、それぞれが単一の主題として扱われた論文も見ておこう。

本論のねらいは「身体的苦痛がムルソーをどのように精神的に追いつめるのか、そして彼はなぜ太陽を殺人の動機とするのかという問題をとりあげ、あわせて逮捕後のムルソーに認められる変化について」考察することである。ただ、短い論文であり、内容的には加藤・千葉論文における描写の域をさほど出ていないので、目新しい議論は特に見当たらなかった。簡潔にまとめるだけにしておこう。

*初期作品における「太陽」の両義性=「ゆたかに降りそそぐ光はあらゆる怨恨を奪いさり、キリスト教的な〈歴史〉がすべてではないことを…教えてくれる」(p.139-140)⇔「あらゆる存在を衰弱させ焼尽する凶暴かつ過酷なイメージ」(p.140)
*『異邦人』における「太陽」=愛へ誘う陽光と死の宿命を告げる陽光として形象化/母親の埋葬時[溶解や粘性という否定的イメージ]⇒マリーとの海水浴[爽快感]⇒マソンの別荘での冒頭[爽快感]⇒殺人前後[混乱と破壊をムルソーひとりに齎す身体的・精神的苦痛―母親の埋葬時と同じ―第1稿には殺人直前の苦痛の描写は存在せず]⇒裁判拘留中[間接的な脅威―判事ら法廷内のひとびとと共有された暑さ]⇒死刑判決後[太陽(昼)から夕暮れや夜へ―心の平静の取り戻し]

古野は最後に、カミュにとって「少年時に生きる意味を教えてくれた輝かしい〈太陽〉」は数々の戦争の悲惨(ナチズム、アルジェリア戦争、ソ連の強制収容所)を経て、「永遠に奪われてしまった」(p.145)と推論している。

松本陽正(2007)「アルベール・カミュにおける不条理について―『異邦人』を中心にして」『広島大学フランス文学研究』26: 30-44.

今度はカミュの「不条理(absurde)」について。その定義については、加藤・千葉論文で示されたとおり、「世界と人間との対峙(confrontation)から生じるもの」として位置付けられ(狭義の不条理)、「さらに一般的には、二つのものの比較・対立から生じるとし、『比較の両項間のずれが増大すればするほど、それだけ不条理性は大きくなる』」(p.33) (広義の不条理) とされる。

『異邦人』での具体的な「不条理」のイメージ化については、松本は殺人、裁判、そして最終章という各々の場面を取り上げて考察してゆく。内容的には、加藤・千葉論文で描かれた以上のものではないが、たとえば、小説がムルソーの1人称の視点で描かれていて、読者は巧妙にも不当な裁判に対する怒りを共有するように導かれていくこと(p.37)、『手帖』によればカミュにとって『異邦人』と『神話』は肯定へと向かうゼロ地点(出発点)であったこと(p.38)などは新たに得られる部分といえようか。

最後に、松本は「不条理の系列」に属するカミュの作品群の共通項をまとめている。一つは、究極の不条理としての死との対峙。二つめは、犯罪者、加害者に設定された主人公。三つめは、自己の生の肯定。そして、最後に神(々)への反抗である。

東浦弘樹(1997)「ムルソーとレエモン―カミュの『異邦人』をめぐって」『商學論究』44(4): 127-143.

東浦は、精神分析的見地から、ムルソーがレエモンへと同一化していく心的過程を考察し、アラブ人殺害へと至る道筋を説明する。ムルソーとは端的に言って無関心と愛想・親切の人である。東浦はこれを「他者との軋轢を避けるための無意識的な防衛手段」(p.129)と捉える。ならば、どうしてそのような彼がレエモンに過剰な親しみを示し、アラブ人殺害をいわば代行することになってしまうのか。

本論では二つの先行研究が紹介され、それらを受ける形で議論が展開される。ひとつは、ピション=リヴィエールとバランジェの「喪の禁圧および妄想型分裂病的メカニズムと不安の増大」[Pichon Riviére, Arminda A. de & W. Baranger (1959), 《Répression du deuil et intensifications des mécanismes et des angoisses schizo-paranoïdes, Notes sure L’Etranger de Camus》, Revue française de Psychanalyse, n.3, pp.409-420.]であり、もうひとつは、アラン・コストの「ムルソーのふたつの殺人」[Costes, Alain (1982), 《Le Double Meurtre de Mursault》, Cahiers Albert Camus 5, Albert Camus: æuvre fermée, æuvre ouverte?, Gallimard, pp.55-76.]である。

ピション=リヴィエールとバランジェの論文では、ムルソーの母親に対するサディズムと、両親の性行為という「原風景」的価から、「レエモンの計画に加担し、モール人女を母親にみたてることによって象徴的復讐を遂げようとしている」(p.133)と説かれる。しかし、東浦はこの説に対して疑問を付す。
…カミュの作品に親しみ、そこにみられる母親と息子の「奇妙な」関係を知る者には、ムルソーが母親を罵ったり暴力をふるったりしたということは、にわかに信じがたいことである。(p.132)
そして、「両親の性行為を目撃した子どもは攻撃者たる父親に憎悪を向けるのが通例であ」って、「かりに母親を憎むとしても、…二次的に憎むに過ぎない。」(p.133) 東浦は、ムルソーにとっての「原風景」的価値はむしろ養老院での母親の擬似的「婚約」によって呼び戻されたのではないかと考え、カミュ自身の少年期における体験に着目する。彼の母親は、彼が16歳の時に妻子ある男と恋愛関係を持ち、それに反対した母親の弟(つまりはカミュの叔父)がその愛人と殴り合うという事件をカミュは目の当たりにする。東浦は、この事件がカミュに与えた衝撃の甚大さを考慮し、初期作品に見られるような主人公の無関心さは、ムルソーと同じく事件を否認しようとする無意識的な防衛ではなかったかと論じる。

ここまでで、モール人女を母親と見立て象徴的復讐を遂げようとするムルソーの動機がとりあえずは説明される。では、物語の根幹にあるアラブ人の殺害はどうか。そこで参考にされるのが、もう一つの先行研究であるコストの論文である。彼は、「ムルソーの殺人を『二重の殺人』と定義し、アラブ人はまず姉の恋愛を妨害する弟として射殺され、つぎにカミュの母親を暴行した犯人として射殺されたと述べる。」(p.139) 東浦は第一の殺人に着目するわけだが、そこにはムルソーにとっての「レエモン/モール人女/殺害されたアラブ人」という関係に、カミュ自身の「母親の愛人/母親/母親の恋愛に干渉する叔父」という関係が投射されている。そのため、叔父に擬されたアラブ人を殺害する行為は、コストによれば「退行したエディプス的行為」ということになる。しかし、本来ならば、母親の愛人に擬されたレエモンこそがムルソー(カミュ)のライヴァルでなければならないのではないのか、という疑問は残る。なぜ、アラブ人が殺されねばならなかったのか。東浦はその理由として、母親を虐待した叔父へのカミュの間接的復讐をあげる。カミュの母親は彼を裏切った存在でありつつも、叔父の虐待の犠牲者であり、他方で叔父はカミュ自身の気持ちの代弁者である。母親と叔父、その矛盾する感情が初期作品では防衛的無関心として表れたが、『異邦人』に至ってはモール人女(=母親)とその兄弟(=叔父)両方に対する露骨な攻撃性へと転化する。そうだとすれば、『異邦人』におけるムルソーのレエモンとの同一化は結局、自分が母親(=モール人女)の正当な「愛人」であり、母親の愛を独占する権利があることを主張する役割を担ったのではないか、そう東浦は分析する。そこから、先に見たムルソー(=レエモン)の母親(=モール人女)に対する象徴的復讐もまた、母親を取り戻すための一種の懲罰であった、という推論が成り立つ。
ムルソー=息子がアラブ人=叔父に「エディプス的ライヴァル」をみとめ抹殺するというアラン・コストの説は、愛人をつくった母親を息子が罰し、許し、取り戻すという心的過程があってはじめて成立する。「叔父殺し」は母親への復讐と一対になっているのである。(p.141)
まとめれば、ムルソー(カミュ)をめぐっては二重の三角関係が成立することになる。

『異邦人』における二重の三角関係

カミュは最初の関係を、母親に対して象徴的復讐を果たすことにより解消し、次に、叔父に見立てたアラブ人を殺害することで、第二の関係を解消したのである。『異邦人』のラストシーンに見られるあの幸福感、「不条理への反抗」に見られるあの死についての達観は、まさに母親に対するこれらのわだかまりを解き放った末に得られたものであった。
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2009年03月23日

イェーリング『権利のための闘争』

R・v・イェーリング(村上淳一訳)(1982)『権利のための闘争(1894)』岩波文庫
「権利=法」(レヒト)の目標は平和であり、そのための手段は闘争である。権利=法が不法による侵害を予想してこれに対抗しなければならないかぎり―世界が滅びるまでその必要はなくならないのだが―権利=法にとって闘争が不要になることはない。権利=法の生命は闘争である。諸国民の闘争、国家権力の闘争、諸身分の闘争、諸個人の闘争。(p.29)
領土をめぐる国際紛争の話(p.46-48)などは、どこかの論説主幹に聞かせてやりたいw

「権利のための闘争」が無条件的に「法のための闘争」となりうるのかどうか、少し疑問に感じていたが、カント的な人格の尊厳を軸とすれば整合的に理解しうる。ただ、訳者解説にもあるように、イェーリングの主張は不合理な特権を攻撃する「法のための闘争」よりも、「国家共同体に対する義務」としての「権利=法のための闘争」に比重がおかれたようだ。
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2009年03月20日

シュミット『政治的なものの概念』『パルチザンの理論』

C・シュミット(田中浩/原田武雄訳)(1970)『政治的なものの概念(第二版、1932)』未来社
同(新田邦夫訳)(1995)『パルチザンの理論―政治的なものの概念についての中間所見(1963)』ちくま学芸文庫


いろいろ批判も多い友敵関係であるが、シュミットが政治的なものの概念を実存レベルから抉り出す視点にはやはり洞察の鋭さが窺われる(ホッブズ解釈の賜物ではあるのだが)。なかでも、「敵とは、他者・異質者にほかならず、その本質は、とくに強い意味で、存在的に、他者・異質者であるということだけで足りる」(p.16)というのはその端的な表現であろう。シュミットに倣って正邪の観念をひとまず脇におけば、人間の複数性を実存レベルで規定するのは心身両面にわたる異質性・他者性である。無論、ヒトとしての類似性を指摘することもできるだろうが、それもこのモノとしての異質性という前提がなければそもそも生まれてこない。そしてまた、「敵という概念が意味をもち続けるかぎりは、戦争が現実的可能性として存在し続けなければならない」(p.26)とするのもここから導き出される論理的帰結である。なぜなら、他者性・異質性を根源的に解消するには、対立する他者の抹殺でしかないからだ。もちろん、ここでは「公敵であって、ひろい意味における私仇ではない」(p.19)という限定付きではあるが。しかし、問題となるのは、シュミットが「具体的・存在論的な意味において解釈すべき」(p.17)と説くことからも明らかなように、その存在論的規定から具体的な事態をも説明しようとすることであろう。ある対立的状況が友・敵の結束を生じせしめたからといって、その他すべての価値的・道徳的要素が後景に退くわけではない。シュトラウスによる批判の要諦もここに存する。ただ、シュミットの側でもその自由主義批判は価値判断から自由ではありえない。既に明らかにされているように、彼の思想の背景にはカトリック的価値観が貫かれている。『政治的なものの概念』における絶対的な国家主権の回復という試みもそれを前提としてはじめて整合的に理解しうるのであり、『パルチザンの理論』におけるラウム理論や「ヨーロッパ公法」の主張も同様である。ちなみに、『パルチザンの理論』においては、毛沢東の戦略思想について論じられるくだりが印象に残った。
毛の根底に存する発想法は、明白であり強力である。戦争はその意味を敵対関係の中にもつ。戦争は政治の継続であるからして、政治もまた少なくとも可能性によればつねに敵対関係の要素を含んでいる。そして、平和が戦争の可能性をそれ自身の中に含んでいるとすれば―まったく残念ながらこのことは、経験に照らしてみて事実であるが―平和もまた潜在的な敵対関係の契機を含んでいる。…パルチザンから思惟を始める毛にとって、今日の平和は現実の敵対関係の現象形態にすぎない。(p.127-128)
政治的なものの存在論的規定からすれば、用いられるべきメルクマールは戦争か平和かではなく、やはり異質性と対立である。ならば、われわれが平和と呼ぶ現象も、根本的な対立の解消ではなく(それは形而上学の次元でのみ可能である)、あくまで妥協の末の棲み分けや忘却、一方的な強制によって生み出された付随物に過ぎない、ということになろう。
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2009年03月06日

アリストテレス『ニコマコス倫理学(上)』

アリストテレス(高田三郎訳)『ニコマコス倫理学(上)』岩波文庫

やはり、きちんと読んでおかないと、混合政体とともに倫理的アレテー(卓越性・徳)について勝手な思い込みに惑わされてしまう可能性が…。その上でもう一度来し方を振り返るべきだろう。もちろんギリシア語原文ではないけれど…。

第一巻第六・七章⇒観想的な「善のイデア」について、やはり実践的な最高善と区別するところを見ると、中世普遍論争の源流が見え隠れする。例えば、初期スコラ哲学の普遍論争においては、形相と質料の関係から三つの立場を分別することができた。一方の極が、質料(個物)に先立つ形相(本質)としてのプラトン的実念論。この場合、イデアは神のもとに完全に実在化されている。もう一方の極が、普遍は実在する個物に人間が宛がった一般的記号・名前であるとする唯名論。これを極端に適用すれば、(客観的)個物の実在性まで否定するヒューム的懐疑論となり、一定の認識論的アプリオリを認めれば、カント的範疇論となり、認識の根拠を生活世界まで還元すれば、フッサール現象学となり、存在論的・倫理的に語れば、本質に先立つ存在としてのニーチェ・サルトル的な実存主義となる。そして、初期普遍論争の最後の立場が、両者の文字通りの折衷と言える、アベラルドゥス(アベラール)のアリストテレス的実念論である。普遍は概念として個物に先立って神の内あり、それぞれの個物(質料)の内に共通の本質的規定(形相)として存し、人はその後に形相を思惟において概念として認識する。これは、実在的全体を前提としつつもその知解可能性を否定し、形相を質料に内在させる、シュトラウスの現象学的イデア論、にも繋がる発想であろう。なんだかよくわからんようになってきたが、純粋形相の実在性を認める立場と質料そのものの存在をも否定し一切を主観に還元する独我論的立場を両極とすれば、直線上に並べられるのだろうか? ただ、最高善が究極的・自体的目的としても認識論的にしか捉えることができないのに対して、「善のイデア」は(分有・典型いずれにせよ)実在論的(倫理的)にも、認識論的(あらゆる個物はなんらかのものに向けられた善さを持つ)にも捉えうる。アリストテレスのここでの批判はこの両義性に向けられているのであって、シュトラウスの立場はこのアリストテレス的な批判を経て、さらには現象学的に還元された後、イデアによって分節化が為された全体に由来すると言える。ならば、シュトラウスにおいて古典的政治哲学の共通理解がアリストテレス的に語られるのも当然であって、プラトンのより優れた政治的著作が『法律』とされるのも、イデアを認識論的残滓としつつも、実践的(政治的)生をプラトン的に語り得ないからであろう。したがって、シュトラウスの立場を新アリストテレス主義と呼ぶのは一応正しいが、それがこのようなプラトン批判と現象学的立場を看過するものであるならば、皮相な解釈にとどまるということになる。

現象学的イデア論

第九章⇒政治の目的が市民たちを学習(教育)によって卓越性を備えたヘクシス(状態・性状)にすることであるならば、それは人びとがもつ目的の複数性(heterogeneous ends)と齟齬をきたすものではない。最高善が個人の究極的な目的たる幸福(エウダイモニア)に一致するのであるならば尚更である。ただ、その幸福が卓越性から生じるものであるがゆえに、政治が個々人の目的の選別に多大な影響をあたえることも確かであろう。その意味で、政治を包括的、政治学を棟梁的な学と呼ぶことができるだろうし、シュトラウスが言うようにレジームが政治哲学の主導的なテーマであることにも納得がゆく。目的の複数性の問いは、アリストテレスのいわゆる「不動の動者」という形而上学的発想が、どこまで実践的生とリンクしているのか、という問いの裏返しの表現といえよう。少なくとも、われわれはアリストテレスの倫理学が善の究極的な根拠をつまびらかにするものではないことを知っている。ならば、最高善が語の本来の意味で個人にとっての究極的な善になりうるのか、疑問が湧いてくる。彼は単にプラグマティックに振舞っただけなのだろうか? それともできるはずがないと確信していたのだろうか?

最高善・徳・幸福

第十三章⇒先に「政治哲学とは何か?」において、政治家と政治学者による政治的知識の探求が、哲学的探求に比べれば、その首尾一貫性と熱心さにおいて限定的である、と論じられる箇所があった(WIPP, p.15)。これはアリストテレスが「政治家・政治学徒も魂(プシュケー)に関して研究するところがなくてはならないが、かかる研究も、…求められるところにとって充分である程度においてなされるのでなくてはならぬ」(p.51)と言っているのに符合する。よくよく考えれば、当然のことであって、政治心理学が心理学よりも精緻な考究を行っているとは誰しも思わない。しかし、逆にいえば、理論化・抽象化が極度に進行した近代以降において、政治哲学が政治的生との直接的関係を失っていったというシュトラウスの批判もここから理解できるのである。

魂の厳密でない描写。

プシュケー(その1)

第二巻第二章⇒「事実、個別に関する取扱いがいかなるふうであるべきかは、学術(テクネー)からも、またいかなる一般論的な勧告からも期待できないのであり、その局にあたって行為するところのひとびとが、常にみずから、その機宜に適したところを考えることを要する。」(p.59): 先に言及した政治的知識の属性から導き出される実践的生の当然の原則と言える。しかし、だからといって、なんら指針が与えられないというわけではない。それは「ただしきことわり」(オルトス・ロゴス)として与えられる。いうまでもなく、「中」(メソン)・「中庸」(メソテース)である。ここからさらに次のことが言えるかもしれない。アリストテレスは実践的生に関わって「ことわり」としてのロゴス、人間の道徳的能力としてのピュシス、そして最高善およびヘクシスとしてのノモスの三者を導入した。この場合、ロゴスとピュシスが形相と質料の関係に符合し、ピュシスとノモスが可能態(形相が内在する質料)と現実態(形相が顕現した質料)の関係に符合する。また、前二者が不変的であるのに対し、後者は可変的である。ならば、ヘクシスの顕現する仕方が時代と場所によって異なるという解釈も全く不可能であるとはいえないであろう。われわれが徳と言うとき、なにも古代ギリシア人と全く同じように「勇敢」や「節制」(これは現代でも不可欠だと思われるが)を強調する必要はない。第一義的に重要なのはロゴスたる「中庸」であるのだから。

第四章⇒「しかし、実際はかかる行為をなさないで言論に逃避し、そして、自分は哲学(フィロソフェイン)しているのであり、それによってよきひととなるであろうと考えているひとびとが多いのであって…」(p.66): 自然哲学者やソフィストを指しているのかもしれない。その意味では、純粋な観想だけでは不十分であるとも読み取れる。もしくは、真の愛智者は徳をも性状として持つ人びとであるとも解釈できる。

第三巻第四・五章⇒願望が目的にかかわり、徳はその目的へのてだてにかかわるとアリストテレスは言う。各人が願うものは何らかの善きものである。ただ、願うものが必ずしも真に善きものであるわけではないし、各々にとって善いと思われるものが必ずしも願わしきものでもない。それゆえ、「すぐれた人間とは、おもうに、各方面のことがらにおいて真を観取することに最も卓越的であるごときひとだ」(p.99-100)と言うことができる。ただ、ここでは真の善が具体的にどのようなものであるのか明確にされておらず、「各方面のことがら」というからには、少なくとも真の善は唯一の善ではないのであろう。したがって、可能な解釈は、徳を備えた人間は任意の目的に対してロゴスに適ったてだてを選択しうるがゆえに、彼にとって善いと思われるものが真の善と一致する、というものである。簡単に言ってしまえば、各人にとって目的は諸々あるが、徳を備えていれば最も望ましい仕方で達成しうる、ということになろうか。

第四巻第五章⇒「それゆえ、いかなる程度にいかなる仕方で逸れた場合に非難されるべきであるかということは理説によって示すことは容易ではない。ことがらは個別的なるものに存していて、その判断は知覚に依存するのだからである。」(p.157): この「理説」の原語はロゴスだが、明らかに一律普遍の基準という意味で用いられていることは間違いないだろう。ならば、ここから哲学者であっても政治的生において裁定者となるべき際には、理説ではなく個別の状況に応じた実践知に依拠しなければならない、とは言えまいか。すなわち、哲学者は智の所有者としての資格ではなく、「中庸」に則した諸々の卓越性(ニーチェやアレントが唱えるような美的卓越性ではない)を備えた市民としての資格において裁定を行うのである。

第七章⇒アリストテレスが「エイローネイア」、訳語で「卑下」を語るときには、ソクラテスのそれに肯定的な評価がなされているとはとても思えない。これは意図的なものであろうか、それとも「無知の知」という教育的実践に気付いてはいないだけであろうか。

第五巻第一・二章⇒訳者は1129b以降数行にある「無条件的にいえば常に善きもの」と「無条件的な意味におけるもろもろの善」を、それぞれ自体的善(各人に対しては善にも悪にもなりうる)と「相対的ならぬ善」(それ自体で絶対的善)というニュアンスで捉えているが、後者を前者と同じように解してもとくに不都合はないように思える。(こればかりは自らで原文にあたれるようにしないといけないわけだが) また、これ以降、対他的徳としての(広義の)正義と徳の一部としての(狭義の)正義の区別がなされるが、前者については、「他人への関連において見られるかぎりそれは正義であるし、こうした関連を離れて純粋にかかる「状態」としてみられるかぎり徳なのである」(p.174)と説明される。そして、狭義の正義と広義のそれとの関係については、「狭義の不正義は名誉とか財貨とか身の安泰とか…にかかわり、利得に基づく快楽をその目的とするものなるに対して、広義の不正義はおよそよきひとのかかわるごときあらゆることがらにかかわっているのである」(p.176)というかたちで表現される。端的に言えば、広義の不正義は「違法的(パラノモン)」なそれ、狭義の不正義は「不均等的(アニソン)」な(過多をむさぼる)それということである。狭義の不正義は配分的(ディアネメーティコン)正義と矯正的(ディオルトーティコン)正義に分類されて、後者はさらに与えられた損害が、随意的なもの(販売、購買など双方的な交渉)か不随意的なもの(窃盗、姦淫など一方的な交渉)かで二分される。

正義について

第二章で注目したいのは、端的な意味における立派な人間をつくるための教育(パイデイア)とそれへの関心から立法する国政(ポリティケー)の関係であろう。「よき人間であるということと、或る任意のポリスのよき市民(ポリテース)であるということとは、必ずしも同じではないだろうからである。」(p.177, cf. WIPP, p.35)

第三章⇒配分的正義において基準となる価値(アクシア)がどのように定められるかは気になるところであろう。
…そのいうところの価値なるものは万人において同じではなく、民主制論者にあっては自由人のたることを、寡頭制論者にあっては富を、ないしはその一部のひとびとにあっては生まれのよさということを、貴族制論者にあっては卓越性を意味するという相違がある。(p.179)
第五章⇒幾何学的比例のバリエーションとして逆比例にもとづく交易的(応報的)正義が論じられ、原初的な貨幣論が展開される(価値尺度、価値貯蔵手段)。

第六章⇒主従関係と父子関係について言及されている。
主人とか父親の場合における「正」はこうした場合のそれとは同一でなく、類似的なものしかない。なぜかというに、無条件的な意味における「自己のもの」に対しては不正義なるものは存在しない。しかるに蓄奴とか、一定の年齢に達して独立するまでのわが子はちょうど自己の一部分のごときものであり、何びとも自分自身を害うことを選択しはしないのである。(p.193)
現代人の観点から見れば、主人と父親によるそれぞれ奴隷と子どもの「所有」という点で問題視されるだろうが、市民社会的「正」(ポリティコン・ディカイオン)が適用されないからといって、好き勝手に害を加えうるというわけでもないのだろう。「自己の一部分のごときもの」という表現は見方を変えれば厳しい規範となりうる。ちなみに、夫婦(男女)関係については別途、家政的「正」(オイコノミコン・ディカイオン)が適用される。

第七章⇒以前引用した「自然本性的な正」についての訳者の注での見解(p.280-281)は、近代自然権思想との意味関連(その実際については一定の断絶は免れえない)を強調することによって、古典的正の概念を擁護する姿勢に見えなくもない。ただ、神ならぬ人間の法においては、いかにしても自然的な正と人為的な正は共存せざるをえず、またその双方が共に可変的であるとアリストテレスが言うのには留意すべきである。ここに、トマス的な自然法概念との決定的な違いを見ることも可能であろう。

第十一章⇒末尾でプラトンの『国家』篇批判とも受け取れるような論述をしている。主従的、家政的関係になぞらえて、魂の諸部分の間における「正」を強調する箇所であるが、ロゴスの絶対的優位を説く『国家』篇においてはまず考えられないことであろう。

第六巻第一・二章⇒理論と実践の関係を考えるうえで重要な巻。魂の有ロゴス的な部分がさらに二つの部分に分けられ、ひとつは「そのアルケーがそれ以外の仕方においてあることのできないごときものごと」について考察する「認識的な部分」(エピステーモニコン)であり、もうひとつが「それ以外の仕方においてあることのできるものごと」にかかわる「勘考的な部分」(ロギステイコン)である。それぞれの部分はことわりにおいて理論と実践をつかさどり、ことなった知性的な卓越性を備えうる。また、あらゆる実践のアルケーは「選択(プロアイレシス)」であり(ただ、「選択」は手段にのみかかわる)、そして「選択」のアルケーは「欲求」(オレクシス)ならびに「目的的なことわり」(ロゴス・ホ・ヘネカ・ティノス)にある。その意味で、「選択」は「欲求的な知性認識」(オレクテイコス・ヌース)ないしは「知性的な欲求」(オレクシス・ディアノエティケー)と呼ばれる。ただ、この「目的的なことわり」が示されるのが知慮によってなのか、倫理的徳によってなのかは、この箇所からは明らかではないが、後に後者によってであることが述べられる(第六巻第十二章、p.243)。とにかく、「勘考的な部分」における知性的な徳の目指すところは「立派にやれるということ」(エウプラシア)でなければならない。無論、そのためには実践にかかわる知性的な卓越性(知慮)と倫理的性状(勘考・節制など)が不可欠になるわけだが。

第三〜七章⇒魂が「真を認識」(アレーテウエイン)する際に用いるものとして、学(エピステーメー)・技術(テクネー)・知慮(プロネーシス) ・直知(ヌース)・智慧(ソフィア)が取り上げられる。平たく言えば、学・直知・智慧が必然的な事柄としての理論知や観照的生にかかわり、自然学者や哲学者(智者)がその領分とするところであるのに対し、技術・知慮は偶有的な事柄としての実践知や実践的生にかかわり、それぞれ職人と政治家がその領分とするところである。言うまでもなく、これらはアリストテレスの学的区分、理論(テオリア)・実践(プラクシス)・制作(ポイエーシス)に対応している。

智慧が学・直知とどのように異なるかは以下のように考えればよい。すなわち、エピステーメーは帰納(エパゴーゲー)もしくは推論(シュロギスモス、いわゆる推論的三段論法)による論証を経た学的認識であり、ヌースはその土台となる基本命題の認識である。したがって、ソフィアはこれらを共に併せ持った神的な知、全体に関する知である。むろん、人たる哲学者がソフィアを所有できるとは考えないほうがよいであろう。もしそれが可能であるならば、アリストテレスはわざわざプロネーシスを論じる必要がなかったからだ。つまり、知的認識を単一のものとして一つの自我に回収するデカルト的発想とは根本的に異なるのである。
知慮は、…「人間的なもろもろのことがら」、そして「それに関して思量することの可能なことがら」にかかわっている。/また、知慮は単に一般的なことがらにかかわるにとどまらない。それは個別的なことがらをも知らなくてはならないのである。けだし、知慮は実践的であり、実践は、だが、個別的なことがらにかかわるのだからである。或るひとびとが知識を有せずしてしかも知識を有するひとびとよりも実践に役立つことがあるのもそのゆえである。(p.230)
最後の一文は誰しもが納得することであろう。頭でっかちの学者や哲学者が同時に優れた政治家(教育者を加えてもよい)になるとは限らないということである。

第八章⇒棟梁的な学としての政治学について論じられる。しばしば古代哲学は知行合一という語をもって認識即徳という批判がなされるが(プラトンの描くソクラテスは確かにそのきらいがある)、アリストテレスはこれに対して経験の重要性を強調する。
年少で幾何学者や数学者となり、そういった方面の智者となる者はある。しかし年少で「知慮あるひと」となる者はないように思われる。このことの因はというに、知慮はやはり個別(タ・カタ・ヘカスタ)にもかかわるが、個別が知られるのは経験に基づく。年少者は、だが、経験に富んでいない。久しい歳月が経験をつくりだすのだからである。(p.233)
現代に生きるわれわれにとっても十分思い当たるところであろう。アリストテレスはさらに哲学と自然学を経験が必要とされる分野として付け加えている。

第九章⇒「思量の巧者」(エウブーリア)について。
…「知慮がある」といわれるひとびとには、「よく思量した」ということが属するならば、「思量の巧者」とは、その真なる把握が「知慮」であるごとき、そうした目的(テロス)に対する有用なてだてを見出すについての「ただしさ」でなくてはならない。(p.235)
実践的生については、この「知慮」と諸々の倫理的な卓越性(節制・勇敢など)とが決定的な役割を果たすが、彼の思想全体を視野に入れたとき、それらが「欲求」される目的にかかわっているのか、それとも手段の「選択」(第三巻第二章、p.92)にかかわっているのか、どうも若干のブレが認められる。ただ、目的と手段、いずれの「ただしさ」が語られるにせよ、それが目的の複数性と背馳しないことは言うまでもないだろう。難しく考える必要はない。例えば、「人の命を理由なく奪うこと」は目的として「ただしい」ことであろうか?残念ながら、われわれはこのような問いについても理由付けを要求される時代に生きている。無論、それが悪いことだとは言わないが。

第十二・十三章⇒最初に知慮と徳の関係について。先にも見た知行合一にまつわる批判に対し、「われわれはそれ[知慮の対象となる正しきことがら]を知識していることによって何らそれを行うちからを加えるわけではない。アレテーとは状態(ヘクシス)なのだからである」(p.242)とアリストテレスは論じる。このことは、後で再びあからさまなソクラテス批判として述べられている。
一部のひとびとが「すべて徳とは知慮である」と主張するのも、まさしくこうしたところに基づくものなのであって、ソクラテスも、或る面ではその探求はただしく、また或る面では誤りをおかしている。すなわち、「すべての徳とは知慮である」と考えるのは誤りであったし、それが「知慮なしには存在しない」といっているのは至言である。(p.246-247)
ただし、「知慮なしには存在しない」と言う場合には以下の点に気をつけなければならない。すなわち、知慮は各人が必ずしも備えなければならないわけではなく、他者からの助言でも事足りるということである。そうして、アリストテレスは知慮よりも徳を備えることを第一義とするのである。これは、彼が「アレテー」という一語によって知性的なそれよりも倫理的なそれを意味することにも深く関係していよう。彼はまた「怜悧」と「知慮」、「生来的な徳」と「勝義の徳」との対比を説いているが、ここにも「可能態」と「現実態」という彼特有の思考的枠組みが働いている。ただ、先にも触れた目的と手段に対する知慮と徳の役割については、以下のようにまとめられている。
…人間の人間的なはたらきの実現は、知慮(プロネーシス)と、そして倫理的徳(エーティケー・アレテー)に俟たなくてはならぬ。徳は標的をしてただしきものたらしめるし、知慮はこの標的へのもろもろのてだてをしてただしきものたらしめる役割をはたすのである。(p.243)
…「選択」ということは、知慮なくしても、徳なくしても、ただしい選択たりえないものなることが明らかである。後者は目的をただしく措定せしめ、前者は目的へのただしきもろもろのてだてに到達せしめるのだからである。(p.248)
ブレが認められるのは倫理的徳の役割である。先にはそれは目的そのものではなく手段(てだて)にかかわると明言されていた(第三巻第五章、p.100)。このようなあいまいさを含めて行為の目的と手段については以下のように描くことができよう。

知慮と徳

さらに、このふたつの章は智慧と知慮の位置関係(哲学と政治の関係と言ってもよい)について触れられた箇所でもある。
知慮は智慧よりも劣ったものでありながら、それが智慧よりも有力な位置を占めるとすれば、これは不条理なことだと考えられよう。(p.242)
…知慮が智慧に対して支配的な力を有しているなどというわけではなく、また、それが魂のより上位的な部分を支配しているなどというわけでもない。それはちょうど、「医学」の「健康」に対するごとくなのであって、すなわち、それを使役するのではなく、かえって、それの生ずるように気をつけるのである。だからして命令もそれのためにするのであって、それに対してするのではない。(p.248)
あとのほうの引用では、知慮が「医学」に智慧が「健康」に例えられていると解釈できる。あくまでも魂において上位に存するのは智慧であるが、(倫理的な卓越性である)知慮は(知性的な卓越性である)智慧が生ずるよう配慮するのである。したがって、両者の関係は一方的な支配関係によって論じ尽くせるものではない。最後に、以上の議論から魂のより詳しい見取り図が得られる。

プシュケー(その2)
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木田『反哲学史』/野田『デカルト』/モロー『スピノザ入門』

木田元(2000)『反哲学史』講談社学術文庫

「反哲学史」を描くためには、古典的合理主義から近代の形而上学までの直線的な哲学史観を構築しなければならない。その意味では、ソクラテスが破壊し、プラトンが打ち建てた、という構図はすっきりしていてわかりやすいが、冒頭の「無限否定」の考えは、キルケゴールやドイツ・ロマン主義者の発想に引っ張られ過ぎている感がする。もちろん、アイロニストが真の知を備えている必要はないだろうし、対話篇を読む限りソクラテスが一度も明確な結論に達し得なかったのも明らかである。しかし、ほんとうにソクラテスはあらゆる伝統を疑い尽くすことで無に帰さしめようとしたのであろうか? 少なくとも、われわれは彼がソフィストを自家撞着へと追い込む際に用いた市井の言葉を知っている。しかし、無限否定はこの自らが語る言葉の根拠すらも否定するものではないのか? ならば、プラトンが残した対話篇(少なくとも初期のそれ)そのものも全くの茶番劇であったとしか言いようがなくなるであろう。行き着く先が見えないからといって、人は現に歩いている地面までをも見失うわけではない。また、「[後年のイデア論批判が]彼(=プラトン)のこの教説(=イデア論)を実践的関心から切り離して純粋な理論体系として扱おうとする弟子たちへの警告だったのではないでしょうか」(p.98)という通俗的理解も、よくよく考えれば奇妙な擁護の仕方である。そもそも理論と実践を究極の形まで融合した『国家』篇において、前者の暴走を止める内在的根拠など見出されるはずもない。つまり、プラトンの実践的動機の忘却は、理論の側において後世の哲学者たちの誘惑に対する決定的な制止要因にはなりえないということだ。さらに、「シュラクサイもいわば哲学者の実験材料にされて大混乱をきたすことになってしまいました」(p.99)というのも、『第七書簡』がプラトンの全く身勝手な自己弁明であり、信用に値するものではないと解釈されない限りは出てこない言明であろう。

鍵は、やはりアリストテレスの倫理学・政治学にあるように思える。第一哲学の不動の動者はどういうわけか、人の実践的生について究極的な答えを与えてくれない。もしそうならば、われわれは完璧な因果連環に沿って生きていくだけで良いし、そもそも人間に随意性を認める倫理学の試みは徒労に終わろう。しかし、なぜ彼は、カントのように、実践的生の究極的根拠をつまびらかにしようとしなかったのであろうか。残念ながら、『反哲学史』はこの問いに答えてはくれない。理性をデカルト的自我に回収することで生まれた主客の循環論法、「私は自分が明確に確認できるものだけを存在者と認める、したがって、存在するかぎりのすべてのものは、私の明確な認識の対象になりうる、私は存在するもののすべて、つまり世界を隈なく明確に認識しうる」(p.150)、はカントにおいて一旦反省の契機を得たものの、ヘーゲルは歴史にこの矛盾を解決する光を見出し、それによって世界の観念論的一元化を実現した。問題は、その後の反哲学の系譜が現在に至るまでわれわれに何を齎したかである。少なくとも、(ソクラテス以前の哲学ではない)古典的政治哲学への回帰が真摯な選択肢となりえなかったことは疑い得ない。

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野田又夫(1966)『デカルト』岩波新書

* 「『完全な認識』によって支えられた道徳を強調するデカルトは明らかに、古代の道徳論者が徳をほめながら徳の認識を教えなかったという…不満を念頭にもっている。古代の道徳論は砂上楼閣であるに対して、デカルトの求める道徳は、形而上学と自然学とに支えられた道徳なのであります。」(p.58): この認識は、アリストテレスとデカルトの哲学的体系の差異を示唆するものであろう。両者は道徳を最上位に据えたが、前者が上から下への規定性を有していたのに対して、後者は下から上へのそれを有していた。それゆえ、「意志するはたらき」(volitio)を「理解する(知る)はたらき」(intellectio)に従属させた上で、デカルト的自我はそれらを一元的に回収しえたのである。しかし、これだけでは人類の至りつく先は自由ではなく自然の必然性がもたらす隷従となってしまう。彼はこのようなストア的発想に対し、「人間の技術による自然支配を人間の自由の大切な側面として大きく認める」(p.84)。ならば、この自由については根拠をどこに求めればよいのか? 残念ながら自我自身に求めることはできない。意志が理性に従属しないのならば、そもそも感覚的欲望に引き摺られた蒙昧主義を否定しえないからである。アリストテレスが理論と実践をひとつの原理へと回収せず、尚且つ両者の関係をあいまいにしたことは、このジレンマを避けるためのやむを得ない処置だったようにも見える。そうでなければ、彼の徳論が砂上楼閣として批判されることもなかったであろう。

* 「デカルトは、他人のならうべき模範を示しているのではない、とくりかえし言っている。これは、宗教はもちろん道徳について、また社会制度について、他人に説教する意図は毛頭ない、という意味であります。自分は、社会制度を改革するとか、新たな道徳を人に説くとかする、革新家でも開祖でもないという。…もちろん社会は不完全である。…けれども各社会の不完全性は慣習によって和らげられており、それをこわしてたて直すよりも辛抱するほうがましである。公の制度をいったんこわすと立て直すことは困難であってひどい結果を生む。」(p.79): 彼がその哲学的体系と方法論によって後世に残した影響からすれば、これほど説得力のない言い分はないであろう。

興味深いのは、本書で描かれたデカルト像がシュトラウスの自然主義者に酷似することであろうか。
* 「かれは速断と偏見とを自己から除くため、一室で集中的に考えるよりはむしろ旅をして実際的な経験を重ねるという道をとっています。…そういう旅によってすでに早く(学校を出た直後に)デカルトの気付いていたことは、人間が確かな認識によって生きているよりはむしろ習慣によって生きているということであ[った]。」(p.74)
* 「伝統が自身を与えるという場合は、その伝統の中に、自分がどう考えても、自分の経験と反省とをつくしても、真としか思われないような、普遍的な原理が見出された、という場合でなければなりません。」(p.76)
* 「…真理を探求するという仕事がこの世のいろいろな職業の中で最もよい、…自分のやろうとする知恵の研究ほど、純粋な満足をえられる仕事はほかにない…。」(p.82)

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P=F・モロー(松田克進・樋口善郎訳)(2008)『スピノザ入門(2003, 07)』文庫クセジュ

古典哲学に対する若干の偏見が見られないこともないが、広く基本的な事項をカバーしているので便利。一番大きな収穫は、理論と実践の関係が結局は決定論と自由意志の問題に帰着するということだろうか。そういえば、以前からこのテーマを論じてきた政治思想史家の半澤孝麿氏が、最近出版された論集においてもカントにおける自由意志の問題を取り上げていた。
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2009年02月18日

田中『ソクラテス』/中野『ソクラテス』/保坂『ソクラテスはなぜ裁かれたか』

田中美知太郎(1957)『ソクラテス』岩波新書
中野幸次(1967)『ソクラテス (Century Books 人と思想 3)』清水書院
保坂幸博(1993)『ソクラテスはなぜ裁かれたか』講談社現代新書


ソクラテスの生と死に関わるものについて簡単なものを三冊。まず、田中のスタンダードな入門書から。常識的な解釈と思えるが、やはりプラトン的イデアのイメージが強いためであろうか、本書で論じられているような、愛智もしくは探求としての哲学、人々のドクサに対するいわば創造的破壊といったソクラテスの営みは現代ではほとんど看過されているように思える。

* ソクラテスは、一面において、エウリピデスと同じような、一個の読書家であって、更にまた気に入った言葉があれば、それを抜書きするようなことまでしていたわけなのであるが、他面においては、読書というものを、言わば教室の演習の如く、教育的にも利用していたということになる。/ソクラテスは単なる実践家ではない。アリストパネスが、かれを「プロンチステーリオン」(思索所)の主人に選ぶことができたのも、かれにこのような読書家の一面があったからであろう。(p.65)

* …自分が何かをくわしく論述する場合には、誰でも承認できる事実を通して、論旨を進めていくのが常であった。それはこれが議論として、最も危険のない着実な方法であると信じていたからである。それだからこそ、…かれの議論が、誰のよりも、聴き手の賛同を博したのである。(クセノポンの言、p.71)

* ギリシア人が神々やダイモンと共に住んでいたのは、われわれがわれわれの言行や意識を、コンプレックスやリビドで説明したり、あるいは社会の構造や階級対立の関係によって、決定されると考えたりするのと、あまり違ってはいなかったのである。そしてわれわれの方が、どれだけ賢明であるかということも、すくなからず疑問であるように思える。われわれの存在は、われわれが意識し、言行に現わしているものよりも、もっと深いところから成立している。だから、われわれの意識的生活は、いつも思いがけぬ仕方で中断され、その統一性を失う危険にさらされている。われわれはこの不安を、意識的生活の立場で解決するために、神話的な説明を工夫し、これを今は科学的な感じの言葉に言い直したりしているが、われわれの存在は、それらの説明よりも、もっと深いものではないかと思う。われわれがソクラテスのダイモンにおいて、ふと感ずるのも、何か存在のそういう深さであり、そういうところからの呼びかけのようなものなのではないだろうか。(p.106)

* ソクラテスの生活は、恐るべき束縛と制限の下にあったと言わねばならない。しかしそれらの束縛は、かれ自身の必然に属し、それらの束縛が、かれ自身だったのである。そしてそのことによって、かれはまた真の自由をもっていたとも言われるであろう。…われわれは…これ[必然の拘束]を、…絶対的な他者に帰し、これを他者にゆだねるところに、われわれ自身の安心を見出すことができるかも知れない。(p.118)

* 「金銭をどれほどつんでも、そこからすぐれた精神が生まれて来るわけではなく、金銭その他のものが、人間のために善いものとなるのは、精神のすぐれていることによる」という言葉は、「金銭から徳が生ずるのではなくて、徳から金銭その他の善きものが生ずる」という風に誤訳されることがあるが、これこそ低俗の精神主義というものであろう。…かれの言おうとしていたことは、金銭や名誉は、必ずしも人を幸福にするものではない。それらが人間の幸福に役立ちうるためには、何かすぐれた精神を必要とするだけのことなのである。(p.159)

* …ソクラテスのいう無智は、何も知らない、全くの無の知というようなものではなくて、かえって何でもないものを、何かであると思い、大切なことを、何でもないと考える、一種の思い違いであり、間違った信念の如きものであると言うことができるであろう。/従ってまた、智を愛し求めるということも、漫然たる知識欲のことではなくて、自他における、このような無智との戦いであり、その間から、正しい評価を回復しようとする努力であると言わねばならない。/…智を神にのみ認めたかれは、人間には、ただ愛智のみを許した。…愛智としての哲学は、ソクラテスに課せられた神聖な義務であると共に、そこにひらかれた途は、人間一般にとっての、最高のよろこびを与えるものなのであった。哲学とは、徳その他について談論によって、たえず自他を吟味することに外ならなかった。(p.170-171)

* いわゆる理論などというものは、ソクラテスのいう最も大切なものを忘れているのに、あらゆることを解決し得るかのように自負している点で、無智の最大なるものと呼ばれるであろう。最良の理論は、われわれの無智についての、自覚と反省から生まれて来るものでなければならない。神のみが智なのであって、人間に許されているのは、むしろ愛智なのである。われわれは自他の言行を吟味しながら、何かそれらを根本において支配しているものが、いつわりの善を信ずる恐るべき無智ではないかと、絶えず目をさましていなければならない。ソクラテスの問答は、このような目的のためになされるのであって、単なる概念定義のためになされているのではない。(p.179)

* …ソクラテスの経験では、最小限度の政治的接触においても正義をつらぬくということは、つねに生命の危険を覚悟しなければならないことなのであった。…正義を守り、あるいは正義のために戦うのには、少しでも生き永らえて戦うためには、できるだけ政治を回避しなければならぬというのが、のこされた唯一の可能性である。/しかしながら、ソクラテスの哲学は、人々への呼びかけであり、本来において政治的であったものが、ダイモンの禁止によって、哲学へ屈折させられたようなものなのであるから、政治を回避するということは、やはり矛盾であった。(p.208-209)

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次も入門書であるが、全編にわたって筆者の「死命の思想」というテーマが貫かれているので、純粋な入門書ともいえない。(まあ、純粋な入門書なるものがこの世にあればの話だが…)

* [『クリトン』での国法との対話を引いて、]これがソクラテスのアテナイを去らない一つの理由であった。その意味でかれは、魂の不滅という、ペリクレスとは違った視角をもっていたにせよ、アテナイの民主政治を、まっこうから否定するものではない。むしろ祖国を愛し、その愛がたんなる感情的なものではなく、アテナイの誇る自由と平等への理念の愛着をふくんでいたといえよう。(p.50): 一般に流布しているような「悪法も法なり」ということではないのだろう。また、祖国を愛するといってもその姿勢は決して妄信的なそれではない。だからと言って、アテナイの自由と平等への愛着も過度に強調することもできない。もちろん、他者の内面をゆさぶる究極のイロニーをその死に求めることもできるだろう。けれども、やはり、祖国によって産み落とされ、七〇の高齢になるまで養い育てられた人間の「責任」の二文字をソクラテスの最期に見てみたい。

* ほんとうに生命を軽いと思える人間は、幸せの望みをたたれ苦悩のなかにあえぐもののなかにはいない。運命の逆転の恐れるもの、逆転によってこの世の幸せが大きくゆらぐ恐れをもつ場合にのみ、人は生命の危険を忘れることができる。人の世の幸せとは、死すべきときには、死にふさわしい至高のいわれをもつことである。そうして、悲しむべきときには、なによりも貴いなげきをもつことである。(p.54-55): 京大の某教授が狂喜しそうな死生観である。ただ、ポリス的エートスとしてはいいだろうか、ソクラテスにまでこれをあてはめるのはいかがなものか。

* ギリシア人がソクラテスをことさらに奇異に思うのは自然であった。ソクラテスの顔は美男子でないにもかかわらず、かれの魂は美しかったからである。ギリシア人にとって、美しい魂は美しい肉体につつまれていなければならなかった。ニーチェによれば、ソクラテスは「醜かった最初のヘラス人」であった。かれの考えによれば、「醜さはそれ自身」ひとつの「反抗」である。それはギリシア人の間にあってはむしろ「否定」である。その意味でソクラテスは、最初の現代人、すなわちデカダンであったといえよう。/ニーチェの解釈は鋭い。顔の評価から現代をのぞかせる。反抗はみずからの意思によって顔を醜くし、たんなる調和の美を否定しようとする。(p.81): ソクラテスのイロニーというのも、注意して用いなければ、なかなか危うい概念である。ソクラテスのような節制を弁えた人だからこそ、というべきなのだろう。ただ、「天性の醜さが魂の醜さを作るものではない」というのは現代ではもはや通用しないのかもしれない。

* プラトン哲学の生命は、「書かれない哲学」としての詩と、断定しない探求の可能性をいつも残している点で、まさに「哲学の未来像」を先取りしていた。/だからこそ、プラトニズムとなって、イデアリスムス(理想主義)の典型を、われわれはいまだに啓示できるのである。(p.155): 「書かれない哲学」とイデアリスムスの典型は、果たして両立するものなのだろうか? なんとなく著者が折衷的に解釈しているように思えてしかたない。

* …ソクラテスが思想をもつことは、…死の運命にあえて突入することであろう。/したがって、この意味では、だれでも思想をもてるわけではない。しかしそれは死の危険にさらされるからだとすれば、その危険にさらすものとはなにであり、だれであるかは問題である。それとも、思想とは、その時代の特定の人にしかわからず、したがって敵を作り、究極的には歴史の眼にしか判断を下せないものであろうか。もしそうなら、思想家はいつの時代でも、悲劇的生涯をたどる、といわなければならない。それはおかしなことである。人類はそれほど無知ではあるまい。しかし、ソクラテスの思想が、二千数百年をへた今日でも、われわれの胸中をえぐり精神をゆすぶるのは、その証拠ともいえよう。(p.165-166): なかなか難しい問題である。「民主主義の擁護者は、民主主義の太鼓持ちであってはならない」が、それが思想家の単なる独りよがりであるかどうかも、厳しく見極めなければならない。

* ソクラテスの一回的運命の自覚は、かれの生涯にしかれた直線のレールのようなものであった。カントが地上の道徳律と天空の星を美しいと直観したときのように、あるいはデカルトがコギトの理論「われ思う、ゆえにわれあり」を発見したときのように、「なんじ自身を知れ」はソクラテスの全身をつらぬいたであろう。それからのソクラテスの道は死のゴールへと一直線に走るようである。(p.169)

* ソクラテスは思いつきで、あきらめをもって、情感に流されながら、死を抱擁したのではない。全生涯を賭して、生を死の準備としながら、全行動とすべての言葉を、選出しつつあったのである。死は身近にあり、いかなる人生も死の幕に閉ざされるからといっても、生を死に転換させること以上の決意はない。ソクラテスの哲学と人生は、「死の先取型の規範」であった。それはけっして自殺ではなかったのである。(p.188-189): これが著者の言う「死命の思想」であるが、ソクラテスの思想をこのように実存主義的に捉えてしまうと、誤解を招く恐れがある。死の先取りはなにも偉大な哲学者のみに許されているものではない。しかし、だからといって、それを自覚する全員がソクラテスのような「無知の知」という究極的な自己知を持ち、敬虔によって支えられ、他者に対する使命感に満ちた生を送るわけではないだろう。死の先取りは、ソクラテスの思想にとって必ずしも本質的な部分を形成するわけではないのである。

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果たして、古代ギリシアにおける哲学は宗教との本質的断絶によって生まれてきたものなのであろうか? 最後の本は、ソクラテス裁判を通じて、哲学・ロゴスに支配された古代ギリシア観を宗教的・人類学的視点から捉えなおす試みである。一昔前に流行ったような記憶があるが、先の二冊にもあったように、哲学者ソクラテスに宗教的・神秘主義的本質を認めるのはもはや常識の範疇である。むしろ、このことは哲学がそれ自体で根拠を発見することの難しさをおのずから語るのかもしれない。そしてまた、古代・中世キリスト教が、新プラトン主義、アリストテレス主義を宗教的に脱色せねばならなかった理由もここにあるだろう。われわれが現代において見る古代哲学者の姿はいくぶん歪曲された形でしかないのである。

* …人類が歴史上のある時点で約束事を取り交わしたといっても、そのような取り交わしの集会が、いつどこで行われたかを、だれ一人証言するものはない。つまりそれはなるほど宗教的仮説を追い払うことには成功したかもしれない。が、新たに、別の架空の話を、しかも宗教的なものと比べてはるかに幼稚な仮説を法律の起源としてもちだすという、きわめて皮肉な結果に終わったのであった。/この事情は社会契約説以外のどんな節にも共通しているように思われる。合理主義はいかなる説明を持ち出しても、法律的権威の最終的な根拠を提供することができていない。それどころか、多くの場合、合理主義は、悪くすると、単なる言葉のすり替えであり、同義反復的な言葉の遊戯をして、人間が自己満足をしているのだと、揶揄されかねない状況である。(p.72)

* テミスという言葉はあいかわらずあった。しかし、その言葉の、紀元前五世紀における用例を見ると、テミスという言葉の…意味は、ただ単に「…するのが慣習である」という意味であった。テミスは「慣習」、「慣例」の意味の普通名詞に用いられているのである。/先史時代に規範の意味を示した「掟」や「しきたり」の宗教的性格が失われて至極平板な意味合いで、社会に通例の「慣行」、「慣習」の意味に変わったのである。/「掟の神」テミスは消えてしまったのである。(p.113-114): ここに先のハイニマンの著作にあったような、ピュシスとノモスの価値転倒を見ることも可能だろう。

* ソクラテスをそれ以前の哲学から切り離して、ソクラテスから新たな人間的な段階が始まったとする解釈の中には、おそらく、キリスト教的なヒューマニズムが介入しているのではないだろうか。…事実、プラトンやソクラテスを、古代ギリシアのいっそう古い時代の宗教状況と結びつけるのは、キリスト教にとって、きわめて危険な試みである。(p.167): 依然傾聴に値する指摘である。

F・M・コーンフォード(廣川洋一訳)(1966, 87)『宗教から哲学へ: ヨーロッパ的思惟の起源の研究(1912)』東海大学出版会
Harrison, Jane E. Prolegomena to the Study of Greek Religion. 3rd ed. Cambridge: Cambridge UP, 1922.

* …西洋の哲学史がこのように重要視してきたプラトンのイデア説は、決してプラトン自身にとって思想の中心課題であったと見ることができない。それは、どちらかといえばプラトンの思想が生み出した副産物とよぶのがふさわしいものである。…その証拠として、プラトンの著作の中に「イデア論」を中心テーマとして据えた著作は一つもないということを挙げておこう。(p.178): この著者の見解は、言うまでもなく、後生の人間がプラトンをあまりにも形而上学的に捉えたことに対する警句である。ニーチェやハイデガーはむしろプラトンの亡霊を批判していたといえるのかもしれない。

* …プラトンが描いているソクラテスの合理性は、背後に非合理的なものや非論理的なものを重ねもっている。ソクラテスは議論に結論を求めたことがなかった。ソクラテスが追求したものは、決して、論理的整合性でなかったのである。/プラトンが描いた対話篇の中でソクラテスは「自分はいわゆる人間理性によって発言しているのではない。むしろ、なにか神霊のような、自分ではないある高い存在が、自分をつき動かしているのだ」という趣旨のことを再三語っている。(p.199): われわれは哲学者ソクラテス像を見過ぎてしまっている。その意味では、近代合理主義はわれわれの視野を広げるものではなく、かえって狭めてしまっているのである。
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ハイニマン『ノモスとピュシス』

F・ハイニマン(廣川洋一ほか訳)(1983)『ノモスとピュシス: ギリシア思想におけるその起源と意味(1945)』みすず書房

本書の目的は、ノモスとピュシス(以下、N-P)のアンティテーゼ(以下、AT)の起源を解明する手がかりをヒッポクラテスの『空気、水、場所』(複数の手が加えられている)に求め、前五世紀末以来このATが広く用いられるようになった背景を探ることである。そのため、以下のような手順を踏む。@ノモス−ピュシスの概念結合が生じた精神的ならびに時間的範囲の確定(第一章)、A仮象と真理(カール・ラインハルトによるパルメニデス解釈からN-Pの起源とされたもの)のATとN-PのATが、いかにして思惑と真理のATに使われるようになったかの説明(第二章)、BそのATをソフィストがいかにして、倫理学と政治学、言語哲学と認識批判の領域へと転換していったかの説明とその他誤用の弁別(第三章・第四章)、である。以下に、目次を示しておく。

第一章 民俗学におけるノモス−ピュシス (p.7-40)
第二章 ソフィストのN-PのATの前史 (p.41-129)
  第一節 初期ギリシア思想における仮象と真理 (p.42-64)
   a) 言葉と行為
   b) 名前と現実
   c) 仮象と存在
   d) 結論
  第二節 ノモス (p.64-104)
   a) 初期思想におけるノモス
   b) ノミゼイン
   c) 前五世紀啓蒙主義の言語におけるノモス
   d) 「真理」の対概念としてのノモス
  第三節 ピュシス (p.105-129)
   a) ソクラテス以前
   b) 自然科学的・ソフィスト的ピュシス概念
   c) 「仮象」の対概念としてのピュシス
第三章 ソフィストにおけるN-PのAT (p.130-189)
  第一節 プロタゴラスと哲学的ノモス概念 (p.130-147)
  第二節 自然法則とノモス (p.148-171)
  第三節 N-PのATの適用 (p.171-189)
   a) 文化発生論
   b) 認識論
   c) 言語哲学
第四章 ソフィストのATを克服する端緒 (p.190-198)

第一章で吟味される、ヒポクラテス派の『空気、水、場所』(c430, 以下、論考) 第二部では、民族学的見地から諸々の民族の身体的(人為的な奇形も)・精神的(心理的)特徴を比較し、その違いの原因を気候と地勢(ピュシス、とそれに影響を受けた生活習慣)もしくは共同体的秩序(ノモス)に求める原因論的探求がなされる。「生得の素質(ピュシス)もしくは習慣(ノモス)によって大きな相違点がある種族について、その実態を述べよう。」(p.9) したがって、後代に見られるような、N-Pそれ自体に内在する価値評価は未だなく、両者は相補的関係にある。しかし同時に、本来的な素質(ピュシス、ここでは貧困や自由)以上に、ノモスによって「獲得された勇気の徳(アレテー・エパクトス)」(p.32)、ギリシアのポリスにおける教育とその精神的態度を称賛する政治的意図も含まれていて、ここから、N-Pの最初の定式化が、ペルシア戦争勝利への反応として、「前五世紀中葉頃」(p.37)に現れたと推定されるのである。よって、N-Pの概念は本来ギリシア人の民族感情から生じてきたものであった。

第二章は、前ソフィスト的ATの解説で始まる。まず、言葉(ロゴス)と行為(エルゴン)の結合が挙げられる。本来、倫理的に中立であったが、そこから後者が「現実的なもの」として高く評価し、前者を低く見る態度が生じてきた。次は、名前(オノマ)と事態・実際(エルゴン)のATである。この冒頭で述べられる叙事詩での二重の名前の問題については、どうも文章のつながりが読み取りにくく、理解するのに苦労した。要は、叙事詩においてはある現象を指して、神と人間それぞれに通用する名前があったが、後者のほうが言語探求を行うことが困難であったがために、詩人たちは前者のほうを「より正しい」名前として認めた、ということである。これに対して、後生の哲学者らによって合理的な言語考察が行われたが、ハイニマンが最初に挙げるのは以下の三つの断片である。

* クセノパネス「そしてイリス(虹の女神)と彼らが呼ぶもの、これも本来は雲である、紫に、虹に、黄緑に見えるところの。」
* アナクサゴラス「雲において太陽の光を反射するものをわれわれはイリスと呼ぶ。」
* エンペドクレス「彼らの呼び方は正しい掟の許すものではないが、しかし慣例(ノモス)にしたがって私自身もそう言う。」

これら三つの断片はいずれも、言葉と観念(概念・表象・見解)の一致が前提とされている。つまり、言葉は物そのものを直接指し示すのではなく、観念の表現(「呼ぶ[カレイン]」)ということである。例えば、クセノパネスの断片では、「現象α」←「観念としてのイリス」←「表現としてのイリス」という構図の中で、前二者の意味連環を否定し、「現象α」←「観念としての雲」という正しい(とクセノパネスが考える)連環にとって代えようとする意味が込められている。したがって、「表現としてのイリス」から人びとの思惟に「観念としての雲」ではなく「観念としてのイリス」が存在することが当然視されているわけである。「初期時代の思惟にとっては、観念は表面に現れるところでのみ、すなわち、まさに言語において把握されるがゆえに、名称と概念が同一なものであるからである。」(p.50) 残りの両断片の場合も、言葉と観念の一致の前提という点では同じだが、クセノパネスの批判とは多少色合いが異なる。アナクサゴラスは、「現象α」←「観念としてのイリス」←「表現としてのイリス」の前二者の意味連環を否定するが、さらに「表現としてのイリス」を別の「そのもの」に接続し、「現象β」←「正しい観念としての雲において太陽の光を反射するもの(エンペドクレス)」≒「誤った観念としてのイリス(ギリシア人)」←「表現としてのイリス」という新たな意味連環を構築している。逆にいえば、観念と表現の間に分離の可能性を認めていることになろう。もちろん、それは観念と言葉との正しい一致を前提としての可能性ではあるが。同様に、エンペドクレスは言葉とその背景にある観念の正しさ(「正しい掟」とエンペドクレスが考えるもの)を問わずに、便宜上ギリシア人のノモスに応じた表現(「呼び方」)を用いようとしている。

これらに対して、「呼ぶ(カレイン)」と「定めた(カテテント)」を区別したのがパルメニデスであった。つまり、現象についての誤った思考[正確に言えば、現象から観念に至るまでの心的な分節化の誤り、と言えよう]から観念を誤って命名してしまう一回限りの行為として「定める」を用いているのである。それが、ノモスとして広汎に用いられることになれば、「呼ばれる」ということになる。したがって、パルメニデスは「人類の堕落は言葉とともにはじまる」(p.52)といって、言語全体を誤った思惑の結果であるとした。したがって、彼を領袖とするエレア学派では、名前(オノマ)の背景にある思惑(ドクサ)を対立項とした真理(アレーテイア)、正しい認識のみがつねに問題であって、言語が彼らの関心事となるのは、それが思惑の唯一の表現である限りにおいてであった。

このパルメニデスの悲観的な仮象的非現実説に対して、クセノパネスは、その「呼ばれる(カレイスタイ)」と「本来…そうなっている(ペピユーケナイ)」という際立ったATにも表わされているように、まだ啓蒙的であった。彼はその意味で、ホメロスらの神々の名前に由来する伝統的言語観をも批判し、個々の表現について規約的名前と現象の真の本質との矛盾を対置させた。この認識は、のちにソフィストによって、名称−事態(オノマ−エルゴン、ないしオノマ−プラーグマ)として、ATに組み込まれることになる。(純粋に修辞的な用法としては、エウリピデスやトキュディデスによっても使用されている。例えば、「名よりも実」など。) ちなみにこれとは逆に、ヘラクレイトスの弟子たち(プラトン『クラテュロス』)は、名称を「自然に(ピュセイ)」生じたものと考え、ゆえに事態を十分に示しており、一般の意見を信じるべきとする言語観(模倣説)を形作った。ただ、ヘラクレイトス自身は、周知の通り、対立するものの統一を論じたのであり、それゆえ、「だから、弓にはビオス(生)という名前(オノマ)があるが、その仕事(エルゴン)は死なのだ」などと語る場合、それはATの表現ではなく、全体についての異なる二つの、それ自体では不完全な相にすぎないという意味でしかない。また、「言葉と行為」、「名前と現実」の他、三つ目の組み合わせとして、ソフィスト以前にアイスキュロスやシモニデスに見られるような、「仮象と存在」の対立でいずれかを倫理的優位に置くような姿勢(例えば、シモニデスの「思われることは真理にも打ち勝つ」)も、ソフィスト的啓蒙主義へと流れ込んでいる。

この後、第二節で「ノモス」の、第三節で「ピュシス」のそれぞれの発展史が概説される。「ノモス(νόμος, pl. νόμοι)」については、最初に動詞「ネメイン」との関係が語られ、その概念的な展開史が本節末尾で簡潔にまとめられている。
ノモスは、高貴な「一般に行われ普遍的拘束力をもつ秩序」という本来の概念から、前五世紀中葉以来ますますさかんになった理性主義思想の影響をうけて、ついに「一般に広まっているが、しかしたいていは誤った、大衆の考え」となった。(p.104)
最古の例はヘシオドス(c700)まで遡る。彼のノモスは「ある生物集団に割り当てられその生物において妥当する秩序」(p.69)と捉えられたが、そこには未だ善悪の含みはなかった。この傾向はアルクマン(7cの詩人)にも共通している。しかし、ヘラクレイトス(c540-c480)はこの秩序としての意味合いをさらに強め、「一なる神的ノモス」とそこから結果する「人間的ノモイ」を語ることで、ここからポリスの制度や習俗、さらには一般に認められている思惟基準へと敷衍した。このようなノモスの擬人的神格化には、オルフィズム(オルフィック教)の影響が指摘されている(例えば、ピンダロス、5c前のオルフィズムに近い神秘主義者)。他方で、ノモスは、アルカイオス(c600に活躍した詩人)にもその萌芽がみられるように、規範的意味を持たないたんなる「慣習」の意味でも用いられていた。また、アルカイオスの断片には、「ノモスである(ノモス・エステイ)」の動詞表現である「ノミゼタイ」が初めて登場しており、それがクセノパネス(6c前-5c前)にあっては、あらゆる「認められている(ノミゼタイ)」ものとしての大衆の見解、またそれに対する軽蔑の念を生み出していく。この慣習としてのノモスは、ヘロドトス(c485-c420)に最も明瞭に見られたが、注意すべきは、それが多様性を持つものの、完全に相対化されるわけではなく、各々の民族に対しては拘束力を有するとされたことである。ただ、ヘロドトスには、イオニア的ヒストリエー(研究・探求)の伝統に基づいた、「正しい言葉」、「真理」を「ギリシア人において行われている誤った考え」(「ノミゼイン」)に対置する態度も認められる。このようなノモスの価値転倒と術語的使用の際立った例のひとつが、先にも引用した、エンペドクレス(c490-c430)の断片である。また、デモクリトス(c460-370)の原子論についても、「ノモスによって」−「真実には(エテュー)」という対置が見られるが、これはエレア派的・認識論的にではなく、自然学的に理解されるべきものであった。しかし、先の哲学的価値転倒からソフィスト的な真実と対置された、ノモスの用法が生み出されてくるまでそう遠くはない。

「ピュシス(φύσις)」という名詞は「生じる」、「成長する」というその本来の動詞的な意味をつねに保持してきた。そのため、「生起」、「生成」としてのピュシスを(誤った)思惑として否定するパルメニデスとエレア派の系譜(エンペドクレスも含む)からは、そもそもN-PのATが出現する余地はなかった。これに対して、「生成」を肯定するのがヘラクレイトスである。「ピュシスにもとづいて(κατά φύσιν)」(p.109)という言葉に表れているように、彼はピュシスを生成した「事物の真の本質」と考えた。実際、このようなピュシス概念は、イオニアの自然科学的思想に由来する。そこには三つの方向性があった。第一に、「ピュシス」はある事物の、副次的な例外に対する「正常な状態」を意味した。第二に、そのような規範的要素が強調される中で、おのずと「ピュシス」は模範・基準として認められるようになった。例えば、ピンダロスは、「ピュア−」という言葉によって、家柄や貴族の血の称賛を意味するとともに、生まれつきの才能と目標が神によって種々様々に与えられているという認識にもとづく生得的能力の発揮の勧めをも意味していた。ここからソフィスト的な「教育はピュシスと訓練を必要とする」というプロタゴラスの言葉も出てくる。その意味では、ソフィストは卓越性を教え、教わることが可能であるとしつつも、「ピュシス」の意義を否定しなかったのである。ただ、「前五世紀の最後の四半世紀以前にはどの伝承をみてもピュシスは、人間と事物の外にありそれらを越えている擬人化された力としては現れていない」(p.124)ことは付け加えておくべきだろう。第三に、ソフィスト的ATに直接繋がるのは、「ピュシスを事物の真の本質、真の状態と解するピュシス概念の側面である。このようなイオニア起源の概念が、先に論じた「名前と現実」、「仮象と存在」という古いATと混じりあい、次第に語幹φυ-を用いた表現に変わっていく。

第三章は、いよいよのソフィストのN-PのATが扱われるが、ペリパトス派以来のいわゆる学説誌的伝統からはアルケラオス(5c)がその創始者とされる。しかし、ハイニマンはこれを否定し(相対的ノモスの主張、倫理的ピュシスの欠如)、アンティポン(c480-c411)こそが初めて対句的にN-Pを用いたソフィストであると主張する。その理解は、著者も言うように「そう容易ではないけれども」(p.162)、以下のようにまとめることができよう。

アンティポンのAT

ノモスに対するピュシスの勝利は、アンティポンにおいて「ピュシスの必然」が信仰され、「益なるもの」が最高の尺度として認識されたときに、決定的となった。アンティポンと同様の主張をなしたとされるのがエリスのヒッピアス(5c後)である。彼は、真の哲学的関心を持たない博学者ではあったが、この両者のATには同根性が存在していた。
ノモス−ピュシスのアンティテーゼの両分肢は元来は、後に(トキュディデス、プラトン、イソクラテス以後)よく用いられ次代にはきまって用いられるようになったたんなる関係の与格で表わされておらず、思考において生きた役割を果たしており文法上も文のある必然的な部分を占めていた。…というのは、「ノモスによって」−「ピュシスによって」が与格形で表れる箇所ではじめて、この定式が、…エレア派の認識の表現となりうるからである。(p.166-167)
ここから、ソフィスト的ATが先に、イオニア自然学者によって齎され、あくまでも二次的に、エレア派の認識論の影響を受けたということが理解できる。さらに、ほぼ同時代人であったデモクリトスは、動物の繁殖についての論考で、ATの二項的発想に対して、一方的にノモスを誤りとして退けるのではなく、真の必然と見かけの必然を峻別し、アンティポンよりも高次な段階を示した。

このATが具体的にはどのように適用されたのか、そのことが第三節で論じられる。ひとつは、「文化発生論」である。例えば、オルフィズムに着想を得た無名氏の『ノモイについて』は「ピュシスはしばしば悪を欲し、ノモイは正しく善く益になるものを欲する。あらゆるノモスは神々の発明物であり、贈り物である」(p.174)と論じている。これは、アンティポンのATのようなソフィスト的倫理に対する反動として法秩序の擁護者たちによって主張されたものであった。もうひとつは、「認識論」である。前4世紀以降のATでは、アンティポンにも二次的にしか見られなかった、エレア派の影響が如実に現れた。例えば、ヒッポクラテス派の『養生法』では、ヘラクレイトス的に(「対立物の同一性」)改変された、認識論的なATが登場する。「万物のピュシスは神々が秩序立てたものである。だから一方は人間が設定したもので、決して同一の状態になく、正しくも正しくなくもない。それに対しておよそ神々が設定したものは、正しいも正しくないものもつねに正しい状態にある」(p.180) 最後は、「言語哲学」への展開である。これは、著者の表現を借りれば「[エレア派の認識論的]言語哲学と[イオニア的]医学の結合」(p.184)の結果である。すなわち、「前者でまずノモスが因襲的なものであり、絶対的な妥当性をもつものではないことが確認され、後者ではピュシスがあらゆる行為と存在の尺度であると解釈された。」(同) そのため、言語についてのN-PのATがヒッポクラテス派の著作(『技術』、『人間本性論』)で顕著に現れたのは偶然ではない。ただし、ソフィスト、特にプロタゴラス(とアルケラオス)における言語観は、認識論の影響というよりも、独自の文化発生論・社会契約論に関係して、約束(シュンテーケー)と同意(ホモロギアー)の産物として説明されうる。

ハイニマンは第四章で、イオニア的自然科学から始まり、エレア的認識論に乗っ取られたソフィスト的ATが自明の術語となった前四世紀以降の用法についてほとんど余談として述べている。トキュディデスやエウリピデス(『バッコスの信女』、『イオン』)の作品を例にあげ、その中に、最終的にはストア派よって、ノモスが一なる神的ピュシスへと統合される仕方とは別に、ソフィスト的ATを克服しようとする、前ソフィスト的な『空気、水、場所』のATに通じる、試みを見出すのである。

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巻末解説で訳者も述べている通り、本書ではその後のソクラテス・プラトン・アリストテレスによってソフィスト的ATがいかに取り扱われたのかは対象外となっている。ただ、その詳細さ、緻密さから、年代的にはかなり古いものの、N-P問題に関する最もスタンダードな研究といえるのだろう。
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2009年02月13日

リラ『シュラクサイの誘惑』

M・リラ(佐藤貴史ほか訳)(2005)『シュラクサイの誘惑: 現代思想にみる無謀な精神(2001)』日本経済評論社

読んだ直後に感じたのは、日本で今後しばらくは、シュトラウスの思想が真摯な見直しの対象となることはないだろう、ということだ。それよりも、リラが「シュトラウス主義者」というレッテルを自ら否定したことで、せいぜいが弟子たちの間の内紛といった下世話な関心を誘うだけかもしれない。ましてや、そのような関心すら抱くことのない日本人は、本書を保守主義者のくだらない小言程度に思えて、斜に構えるだけであろう。読んでみればわかることだが、シュトラウスの著作は素朴で飾り気のない、注釈書となれば退屈なものばかりである。それがいったいどうして「悪の教師」などと祭り上げられてしまうのだろうか。素面で物事を考えることができる人ならば必ず疑問とするところであろう。ひとつは、やはり依然として現代が近代的思惟のぬかるみに足をとられているからかもしれない。政治哲学をシュトラウスに倣って考えられるようには、われわれはそもそも教育されてはいない。彼は言葉の真の意味でのポストモダン思想家であった。彼は近代的思惟の足元に深く張り巡らされた根をごっそり抉り出すことで、政治と哲学の関係についての真摯な再考を促した稀有な思想家だったのである。そして、彼の思想はそのような再考を試みようとするあらゆる人びとに開かれている。

内容のポイントについては訳者解説で中金氏が十二分に明らかにしてくれているので、特に付け加えたいと思うことはない。ただ、あえて言えば、本書に挙げられた思想家たちがいかに神学的、神秘主義的動機を背景として持っていたか、もしくはその思想に神秘的な響きを帯びていたか、ということだろう(リラによれば、それはデリダとて例外ではない)。けれども、よくよく考えればそれほど驚くべきことでもないのかもしれない。超越を「物自体」に認めようが、「存在」に認めようが、そこに神秘的な要素が入り込むのを阻止するすべは無い。実際、同時代人ではシュトラウスこそが哲学と啓示の本質的緊張関係を看取し、その阻止するすべを心得ていたのである。戦後になっても哲学と政治の関係という問題に向き合うことができなかったハイデガーから「かろうじてただ神のようなものだけがわれわれを救うことができる」(p.37)などという言葉を聞いたとすれば、シュトラウスはその無責任さにただただ辟易するのみであろう。章末尾で引用されたヤスパースの言葉は悲痛そのものだ。
「わたしたちのあいだでかつて哲学的衝動とでも呼びうる何かが共有されていたという前提のうえに立って、お願いします。あなたの無類の才能にたいして責任をとってください!あなたの才能を魔術に奉仕させるかわりに、どうか理性に、つまり人間の品位ともろもろの可能生の現実に奉仕させてください!」(p.55)
シュミットとシュトラウスには「政治的なもの」の包括性について合意があった。ただ、シュミットが隠れた神学的動機から「政治を実際に動かす真の力」(p.75)を人間の敵意と実存的決断に求めたのに対して、シュトラウスが見据えたのは人間本性にある素朴な善悪の判断であり、その背後にあるnoetic heterogeneityであった。そのような二人が『政治的なものの概念』をめぐって邂逅し、結果的にシュトラウスの命を救うことになったのは奇妙な運命としか言いようがない。

近代における、「ひとつの十字架から降りてきたばかりで、すぐにでも別の十字架にのぼろうとしている人間」の病理については、ゲルショム・ショーレムがベンヤミンに向けて発した次の警句に如実に表わされている。
「きみのほんとうの思考法ときみが自分の思考法だと言い張るもののあいだには、ひとを唖然とさせるほどの疎遠さ、無縁さがある。すなわち、きみは自分の洞察を唯物論的方法の厳密な適用によって獲得しているのではなく、それとはまったく無関係に、(あるいは)この方法の両義的なところや混信現象をもてあそぶことで獲得しているのだ。…仲間の弁証法家たちによって化けの皮をはがされ、きみが典型的な反革命家でありブルジョアであることが露見したその瞬間、唯物論者の方法に近づこうとしているきみの弁証法が当の唯物論者の弁証法でないことは、一点の曇りなく爆発的な勢いであからさまになってしまうことだろう。…ぼくが恐れているのは、この過ちが高くつく代償がきみの肩にかかってくることだ。…もちろんきみは、宗教と政治の混同の最後の犠牲者ではないにしろ、おそらくはそのもっとも不可解な犠牲者ではあるのだから。」(p.113-114)
コジェーヴについても、同じような病理を見出すことはそう難しくはないだろう。
「中国の革命は」、とコジェーヴはあるインタヴュアーにドライな調子で語っている、「ナポレオン法典の中国への導入よりほかのなにものでもないのです」。(p.140)
多くの有能なフランスの知性が彼のヘーゲル講義に集い、魅了されていった。レーモン・アロン、エリック・ヴェイユ、モーリス・メルロ=ポンティ、アンドレ・ブルトン、ジョルジュ・バタイユ、レーモン・クノー、ジャック・ラカン…。そして、ロジェ・カイヨワは彼を「一世代全体の心をつかんだ絶対的に非凡な知性」(p.140-141)とまで呼んでいる。

フーコーに至っては、その生涯を概観するとき、果たして彼が(ポスト)構造主義者なのか、実存主義者なのかまでわからなくなってしまう。しかし、人が倫理と政治を語るときに、それを審美的に、実存的に、つまりニーチェのように語ることで、いかに魔性の魅力に惹き込まれてしまうかは、ほんとうに計り知れない。
かれの生とかれの著作がこのうえもなく明瞭に示しているのは、ただひとつのことなのだ。すなわちそれは、おのれの内なるデーモンと格闘しつつ、ニーチェのひそみに酔い痴れる本質的に私的なひとりの思想家が、自分ではいかなる現実的関心を寄せず、それゆえいかなる現実的責任もとらない政治敵領域にこのデーモンを投影するとき、何が起こるかということである。(p.180)
ただ、リラがフーコーの初期作品の印象として、「道徳的主体それ自体が存在しない、われわれが自分の主体的自由と考えているものは言語と権力の効果にほかならない」(p.177)という構造主義に特徴的なテーゼを指摘するとき、これがシュトラウスの語るレジームを裏返しに暗示してしまっているのはなんとも皮肉である。

最後はデリダだが…、それこそリラにぼろかす叩かれているので、公平さと慎重を期すためにとりあえずは判断を延期しておこう。ただ、目を惹いたのは以下の箇所である。
かれら[=フランス知識人]が構造主義と脱構築を放棄したのは、哲学的な動機づけがあってのことではなかった。少なくともはじめはそうであった。つまりそれは道徳的な反発真に鼓舞されたことなのである。だがこの反発心には、かたや純粋哲学および政治哲学と、かたやコミットしたアンガージュマンとの区別を再確立するという健全至極な効果があった。今日のフランスでは、厳密な道徳哲学、認識論、心の哲学、さらに認知科学にさえ新鮮な関心がある。政治哲学の伝統も、古代であれ近代であれ、実に久方ぶりで熱心に研究されており、独創的な理論的仕事もいくつかあるが、それらは政治家や国家をもはや軽視しない若手のフランス人政治思想家たちの手になるものである。これらが明日には一変する、ということももちろんありうる。だがフランス人が構造主義の川を二度わたるところを想像することだけは難しい。(p.212-213)
現代思想の教科書もいくつか読んだが、正直これは初耳だった。また、次の段落で、「アメリカ人がデリダと脱構築に一貫して魅了されつづけてきたことは、フランス哲学に占める彼の地位とはなんの関係もない。それはよくて周辺的なものだからである」とリラは言っている。だとすれば、いまだ彼の新訳が当たり前のように出版されるわが国の状況は一体どう説明されるのだろうか?こればかりはさっぱり見当がつかない。
アメリカのどの書店でもポストモダニズム部門をひとめぐりしてみると心が千々乱れる経験をするのは不思議ではない。非リベラルで反啓蒙的な考えの最たるものを手に押し込まれ、笑みをたえてこう確言される。これはその考え方をとことん論理的に追求した結論ですから、かならずや民主的な約束の地へと連れていってくれるでしょう、そこでは神の子どもたちがみんなで手をつなぎ国歌を歌うのです、と。…それをかくも多くのアメリカ人がジャック・デリダの暗澹として近寄りがたい作品中に見出したとみえるなら、アメリカ人の自己満足の強さと、誰のどのような思想でもよく考えることができるアメリカ人の恐るべき能力の証拠となる。フランス人がわれわれアメリカ人をいまだに「大きな子供(レ・グラン・ザンファン)」と呼ぶのもゆえなしとはしない。(p.215-216)
かなり自嘲的だが、日本ではまだ冷静に受け止められているということだろうか?ただ、本書で紹介された六人の中でも、デリダがもっとも僭主政治から縁遠い知識人であることも確かである。いやかえってそれゆえに、彼の政治思想の内奥に潜むハイデガー的矛盾に対して、リラの批判は一層手厳しくなるのかもしれない。

終章で、リラはおおむね師のプラトン解釈に従っている。例えば哲人王にまつわる議論などはその最たるものである。
『国家』でソクラテスが哲人王なる途方もない思想を導入するのは、知識人と僭主の関係を考え悦にいる対話者たちを震撼させ、自己満足から覚醒させるためである。…哲人王とは一種の「理想」である。つまり、近代的な意味でいう思考の正当なる対象にして実現を期すべきしろものではなく、ソクラテスのいう「夢」、哲学的生活と政治の要求との一致など夢にもありえないことを思い起こさせるのに役立つもののことである。(p.240)
シュラクサイの誘惑は思考するひとの性別を問わず強いが、…人間の心のなかで、真理へのあこがれと「都市と家の正しい秩序づけ」に一役買いたいという欲望のあいだには、なんらかの関連があるということである。だがこの衝動がまさしく一個の衝動―無謀な情熱ともなりうる本能―であることがわかっていたプラトンは、その潜在的な破壊力に用心を怠ることなく、健全な知性と政治の生活のためにそれを統御するべくこころがけた。プラトン的な意味での哲学者を多くの近代知識人たちから根本的に区別するものは、心が観念をあつかうやり方にかんするこの至高の自覚である、といいたくもなる。そして二〇世紀の親僭主政治について考え、そこから何かを学ぶさいにも、同じ自覚を身につけておくのが賢明というものだろう。(p.243)
本書は、巷に溢れかえる思想書にうっとりするまえにぜひとも熟読して欲しい一冊である。
posted by ta at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 文献レヴュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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