2009年02月05日

『キリスト教の本(上)(下)』

『キリスト教の本(上)(下) Books Esoterica 15, 16』(学習研究社、1996)

1-4c: グノーシス派(至高者との本質的同一の悟り(認識=グノーシス)・霊肉[善悪]二元論・救済的神話観『ナグ・ハマディ文書(1945年にエジプトで発掘)』『トマスによる福音書』)→ナハシュ派・ウァレンティノス派、マニ教(3c、イラン)
⇔イレナエウス(c130-c200)『異端反駁論』、テルトゥリアヌス(c160-c222)『キリストの肉について』「不合理なるがゆえに信ず」
2cM: マルキオン派(グノーシス派→愛の神・キリスト仮現論、ドケティズム)
156/7(172/3)-5/6c: モンタノス派(終末論・神憑り的聖霊)
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BC1cL-1cE: 『七十人訳聖書(ギリシア語訳)』(「律法」+「(旧約)外典」)→これ以外を「(旧約)偽典」
c90: 『聖書(ユダヤ教正典)』(「律法」+「預言者」+「諸書」)
2cL: 『聖書(ギリシア語原典)』(「旧約」+「新約」)
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313: ミラノの勅令【コンスタンティヌス帝】
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325: ニカイア公会議(ニカイア信条・キリスト両性論)
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381: コンスタンティノープル公会議(内在的三位一体論⇔経綸的三位一体論)→アウグスティヌス(354-430)『三位一体論』(精神、認識、愛)
アタナシウス(c296-373)派(キリストと神の同質homoousios)・アレクサンドロス(c250-c328)⇔アリウス(c250-c336)派(類質homoiousios)
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392: ローマ国教化【テオドシウス帝】
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397: カルタゴ公会議(『聖書(ギリシア語原典)+第二正典<旧約外典>』が正式に正典化)→これ以外を「新約外典(アポクリファ)」
405: ヒエロニムス(342-420)によるラテン語訳『ウルガタ』(→1546: トリエント公会議において標準聖書とされる)
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410: ペラギウス(c360-c420)論争(原罪を否定し自由意志、人間の努力の可能性を強調)⇔アウグスティヌス(原罪を前提として自由意志を確認→神の恩寵の絶対的不可欠⇒ルター(1483-1546)による厳格化、ヤンセン(1585-1638)による自由意志の否定→パスカル(1623-1662))
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411: カルタゴ公会議: 秘蹟の効果について(311: フェリクスによるカエキリアヌスの叙階秘蹟)⇒人効論(ドナトゥス[急進]派)vs.事効論(アウグスティヌス→カトリック教会の絶対的立場)
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4/5c: エウテュケス(キリスト単性論)
5cE: ドナティズム紛争(北アフリカの農民や都市下層民による非寛容の精神運動)
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431: エフェソス公会議(聖母マリアの処女懐胎と聖誕説)/キュリロス(?-444)⇔ネストリウス(c382-c451)(聖母マリアを「キリストの母」)
* ネストリウス派: 4cのコンスタンティノープルの総主教ネストリウスを教祖とする。東シリア(アッシリア)教会とも。ネストリウス派系の他に、単性論派系と東方典礼カトリック教会系がある。
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451: カルケドン公会議⇔ネストリウス派(→7c: ペルシアのアラボンによる大秦景教)、コプト派(エジプト、アレクサンドリアの総主教ディオスコロス)・ヤコブ派教会(シリア、エデッサの府主教ヤコブ・バラダイオス)・アルメニア教会(以上、キリストの神性を強調する単性論派)の異端確認
* エチオピア(アビシニア)教会: コプト派系単性論派教会。安息日や割礼などユダヤ教的伝統も残る。
* 東方典礼カトリック教会: マロン派(レバノン、元来は単性論派)、マラバール教会(インド、ネストリウス派の末裔)
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1215: 第4回ラテラノ公会議【教皇インノケンティウス3世】: 「化体説」の公認
ヴァルドー派(教会不服従主義の団体「リヨンの貧者」)・カタリ(アルビ)派(グノーシス的善悪二元論)の異端弾圧⇔アルビジョア十字軍(1181)
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* ハリトリス正教会(ギリシャ正教)=「神聖正統使徒伝承東方教会」
* イスタンブール(エキュメニカル総主教、総代)、アレクサンドリア、ダマスカス(旧アンティオキア)、エルサレム、モスクワ、ソフィア、ベオグラード、ブカレスト、トリビシの各総主教庁+アメリカ正教会、日本ハリトリス正教会などの独立系教会
* 聖職は、主教(総主教、府主教、大主教、主教)、司祭、輔祭。主教は独身の修道士、司祭・輔祭は妻帯者でも可。独身の司祭(修道司祭)は、掌院や典院などとも呼ばれる。
1573: ルター派の使節がコンスタンティノープルの総主教エレミアス2世に接触→正教の一部がカトリック化(ユニア教会)
⇔同総主教キュリロス・ルカリスによる護教のための反カトリック主義(1629年に信仰告白書)
⇔キエフの府主教ピョートル・モギラによるカトリック色の強い『正教信仰告白』(1640)
* エルサレムの総主教ドシオテウス→中間派
* アトス山の修道士ニコデモス・ハギオリトとコリントの府主教マカリオスの共著『フィロカリア』(1782)→信仰復活運動へ
* 静寂主義: グレゴリオス・パラマス(1296-1359)→V・ソロヴィヨフ(1853-1900)、N・ベルジャーエフ(1874-1948)などに影響
* ニーコン(1605-1681): 1652年、モスクワ総主教。教会改革に奮闘。
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1933: マルティン・ニーメラー(1892〜1984)が反ナチズム抵抗運動を組織
1934: カール・バルト(1886-1968)によって起草された「バルメン宣言」によりナチズムを糾弾

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* 「アグラファ(書かれていない)」: イエスの語録。マタイ・ルカ両福音書に流れ込む「Q(quelle)文書」など。

*「使徒教父文書」(正典に準ずる位置付け)
『クレメンスの手紙T』『クレメンスの手紙U』『イグナティオスの7つの手紙』(教会史上、初めて「キリスト教」の言葉を用いた)『バルナバの手紙』『ヘルマスの牧者』『ポリュカルポスの手紙』『ポリュカルポスの殉教』『十二使徒の教訓(ディダケー)』『パピアスの断片』『ディオグネトスへの手紙』

*「新約外典(アポクリファ)」
1. 外典福音書
a. ユダヤ人キリスト教徒の福音書: 『ナザレ人福音書』『ヘブライ人福音書』『エビオン人福音書』
b. グノーシス主義者の福音書: 『トマス福音書』『ピリポ福音書』『真理の福音』(以上、「ナグ・ハマディ文書」)『エジプト人福音書』
c. 正典を拡張した福音書: 『ヤコブ福音書』『ペテロ福音書』『ニコデモ福音書(ピラト行伝)』『トマスによるイエスの幼児物語』『アブガル王の物語』『外典ヨハネ福音書』『ピスティス・ソフィア』
2. 外典行伝: 『ペテロ行伝』『パウロ行伝』(マニ教徒に採用)『ヨハネ行伝』『トマス行伝』(以上の二、グノーシス主義的)『アンデレ行伝』
3. 外典書簡: 『パウロとコリント人との往復書簡』『ラオデキア人への手紙』『セネカとパウロの往復書簡』『偽テトスの手紙』(プリスキリアヌス派の禁欲主義)
4. 外典黙示録: 『パウロ黙示録』『ペテロ黙示録』(ダンテ『神曲』の一部モチーフ)『トマスの黙示録』(マニ教徒もしくはプリスキリアヌス派)『イザヤの殉教と昇天』『シュビラの託宣』『エルケサイの書』
5. その他
a. 詩歌: 『ソロモンの頌歌』『ナハシュ(蛇)派の詩篇』(グノーシス主義の一派)
b. 祈祷: 『使徒パウロの祈り』(グノーシス主義)
c. 教え: 『ペテロの宣教』

* パピルス断片: 「オクシリンコス・パピルス」「エジャトン・パピルス2」「カイロ・パピルス」「フェイユーム・パピルス」

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* 聖ヴァレンティヌス(?-270): ヴァレンタイン・デーのもとになった聖人。癲癇のときの守護者。中世のころより、友人と恋人の守護者。祝日は2月13日ないし14日。
* 聖カタリナ(3c): 車大工・粉屋のほか、大学哲学科の守護聖人とされる。ローマ皇帝の面前で50人の哲学者を論駁し、車裂きの刑に。祝日は11月25日。
* 聖ニコラウス(270-343): 適齢期の処女の守護聖人、航海における救難聖人、子供や学生の守護聖人。サンタクロースのモデル(オランダ語読み、父親が持参金を用意できなかった三人の娘に夜中に窓からこっそりとお金を投げ込んだ逸話から)。祝日は12月6日。
* 聖マキシミリアノ・コルベ(1894-1941): ポーランドの司祭。1930年には東洋宣教のため長崎を訪問。ナチによってアウシュビッツへ収容され、ガヨヴィニチェクというポーランドの軍曹の身代わりとなって、餓死監房へ。同時に入れられた他九名の臨終を見送ったのち、薬物注射にて殺害。教皇ヨハネ・パウロ二世は「愛の殉教者」として称賛。祝日は8月14日。

[マニアックなところでは、家政婦(聖ジダ)やスケーター(聖リドヴィナ)の守護聖人なども。人びとの尊崇の念が真摯なものでも、これだけ多いとやっぱりプロテスタント諸派はもちろんのこと、ユダヤ教やイスラム教に比べても格段にゆるい感じが(教会運営の巧みさか…)。また、古代異教の地母神信仰に一部ルーツを辿ることができる聖母マリア像にも例に洩れずさまざまな守護的役割が当てられている。]

* グノーシス主義を始めとする秘教的なマリア解釈、「聖なる王(男神)」と「聖なる女王(女神)」との「聖婚」、そしてその「子」としてのイエス・キリストというような解釈は、抑圧された女性原理(といっても、ここでも女性・母がうつろいやすい魂と肉の由来であるとして劣位に置かれている)の救済、および双方の原理の満ち足りた再統合がテーマになっている。
* 12世紀の神学者ペトルス・アベラルドゥス(アベラール)によれば、聖歌『Ave Maria(マリアに幸あれ)』のAveはイヴ(Eva)の倒語で、彼女がもたらした原罪をマリアが贖ったとするオカルティックな説を主張した。
* 東方正教会ではマリアはその意志と信仰のわざでイエスを受肉したとされるために、彼女を「人類全体の代表」「真理の体現者」「生命の源」と見なす。カトリックに比べて、古代地母神信仰により近い。プロテスタン諸派はマリア信仰を拒否。
* 1854年、時の教皇ピウス9世により、民間信仰を追認する「聖母無原罪のお宿り」の大勅書が出される。これによって、マリアはキリスト教の女神の資格を「公的に」得たことになる。19、20世紀、各地で「聖母出現」の奇跡が起こる(1830年のパリの見習い修道女カトリーヌ・ラブレーによる「奇跡のメダル」、1858年のベルナデット・スビルーによる「ルルドの泉」、など)。

I・ベッグ(林睦子訳)(1994)『黒い聖母崇拝の博物誌(1985)』三交社
上山安敏(1998)『魔女とキリスト教: ヨーロッパ学再考』講談社学術文庫
関一敏(1993)『聖母の出現: 近代フォーク・カトリシズム考』日本エディタースクール出版部
竹下節子(1994)『パリのマリア: ヨーロッパは奇跡を愛する』筑摩書房
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2009年01月12日

北森『聖書の読み方』

北森嘉蔵(1971)『聖書の読み方』講談社現代新書

著者は、聖書を読む際のさまざまな「コツ」を提示する。例えば、旧約と新約の関係は、お札の印刷模様とすかし模様の関係であることや、牧師や神学者による「ときあかし」を必要とする箇所があれば、そのような「ときあかし」抜きに聖書「そのもの」を読むだけがよい箇所もあること、などである。著者の神学のテーマは「神の苦難の愛」、「神の痛みの神学」である。それは、例えば、最後の晩餐の際にユダの裏切りを予告するキリストの言葉に表われている。キリストはユダを「わざわい」と断じる。「わざわい」とは「許されがたい存在であり、神の意志の外に脱落した存在であることを意味する」(p.144)。従って、キリストの十字架死は、神がそれらの外にいる存在をその愛の内に引き込もうとする時に必然的に伴う痛みの、歴史的具現化であるとされるのだ。キリスト教神学には疎いので、このいわゆる北森神学が、オーソドックスなものと比べて正確にどのような位置に立つものなのかはわからないが、神を一層人格に近づけ、神の全能性にも触れてしまいかねない「神の痛み」の概念は、ある程度ラディカルなものと捉えられるのかもしれない。
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2009年01月11日

大江『性的人間』

大江健三郎(1968)『性的人間』新潮文庫

性関係の著作を続けたので、次にたまたま家にあった大江の著作を読んでみた。いわゆる実存主義を思想的背景に持った作品である。サルトルの名が出てくるのは、最後の『共同生活』だけだが、最も露骨に実存主義的表現が散見されるのは『セヴンティーン』だと思う。「自意識」としての対自存在・実存。その自意識が撒き散らす「無」。猫に表象される即自存在。見られる者と見る者の間で錯綜する「まなざし」。ただ、サルトルは共産主義者であったが、主人公の少年は《右》少年である。彼は劣等感に苛まされて他者のまなざしにおびえる実存を、神秘的とも言える体験を通してニセモノの即自存在、他者にまなざしを向ける存在へと転換させた。実存はいかなる政治的・道徳的価値判断、すなわち本質に先行するが、それは裏を返せば、左右のそのいずれの政治的ラディカリズム(もしくは極端論主義)にも転びうる決意性や神秘性といったような危うさを持つということなのだろう。すなわち、大江の政治的人間と性的人間の対極性の図式においては、『セヴンティーン』での《右》少年と『性的人間』での痴漢少年はコインの両面なのである。ならば、巻末で解説者が述べるように、「『セヴンティーン』の片端な航行とは対照的に、[『性的人間』]がなんの支障もなく世に出て…いわばうまく受入れられてしまった」(p.233)という状況の奇妙さにも合点がいく。1960年前後の日本社会が性的人間の時代であり、政治的人間の頽廃が疑問なしに受入れられている、という大江の時代認識は、右だけではなく、左に対する痛烈な批判の表明でもある。左右の極端論主義は、人間が対自存在としての実存的あり方から逃れられない限り、どこまで行ってもニセモノの政治性しか生み出さず、自己満足の領域を出ることはない。そこから逃れる唯一の手段は、まさに『性的人間』の痴漢少年が辿ったような(自演自作の)英雄的死、すなわち自己破滅的行為でしかないのである。少年は、自らの痴漢体験(彼が《厳粛な綱渡り》と呼ぶ)を詩にすること当初計画していたが、それでは結果的に満足を得ることはできなかったであろう。彼がJと老人に出会って、痴漢クラブの救助専門の係りとして時間を共にしたことは、そのことを確信するのに決定的な意味を持ったはずである。しかし、彼は二度目の大冒険の決行直前にJと老人に、必要がなかったにもかかわらず、会いにきた。彼は会いに来ざるをえなかった。そこに、やはり無に怯える人間の実存の弱さを垣間見るのではなかろうか。
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2009年01月10日

デュシェ『オナニズムの歴史』/立花『アメリカ性革命報告』

D・J・デュシェ(金塚貞文訳)(1996)『オナニズムの歴史(1994)』文庫クセジュ
立花隆(1984)『アメリカ性革命報告(1979)』文春文庫

デュシェは、開巻劈頭、「われわれは、[性]行為の仕方から感じ方まで、生理=心理=社会学的環境によって条件付けられているのだ」(p.5)とポストモダン的(歴史主義的)言明を行う。しかし、訳者もあとがきで述べているように、この言明に自ら一貫して従っているとは言いがたい。訳者は、本書の近代における「性の解放・オナニズムの解放」が科学主義的視点(精神分析学や解剖学などの学問的発展)から描かれていることを指摘する。そこには、「オナニズムに対する見方・感じ方の歴史が、オナニズムそのものの歴史であるという自覚が」(p.147)今ひとつ足りないのである。だが、それは筆者が、性根の部分では啓蒙主義者であるからであろう。ゆえに、彼が「真理はすべからく、理性の光によってのみ理解されうるものでなければならない」(p.40)という言葉を発するとき、それは近代の百科全書派に向けられると共に、自らにも向けられているものと考えるべきである。ただ、考えてみれば、訳者が支持する歴史観も、剥いても剥いても一向に食べられそうにない玉葱のようなもので、その社会学的条件付けの解明が十分になされたという判断はいずれにせよ、これまた歴史的に制約されざるをえない常識に頼るほかないのではないだろうか。話は変わるが、「覗き趣味」についての描写(p.48ff.)は、以前の『魔女狩り』の話に通じていて興味深かった。ここでいう「覗き趣味」はいわゆる性癖としての覗きではなく、一種の集団恐慌に由来する。社会的にタブー視された行為(ここではマスターベーション)が「彼らを慄かせ、自分自身で恐がるために、見たと信じることを微に入り細に入り描写」(p.47)させる。挙句の果てにはいんちき病理学によって治療の名のもとに更なる覗きが繰り返される。彼らは恐れるからこそ多弁になる。その描写はもはや病的である。それが、いわゆる魔女狩りにおける魔女とされた女性と悪魔とのありもしない猥雑な行為の極めて細微な描写と二重写しになるのである。もちろん、純粋に性的な関心もあったのだろうけれど。立花の『アメリカ性革命報告』は逆にそちらの意味での覗き趣味といえるだろう。30年前の著作だと言うのに、フィスト(スカル)・ファッキング(特にゲイ同士の)や、社会的・政治的エリートと呼ばれる人々の異様な性描写には顔をしかめずにはいられなかった。当時の読者なら、解説者のようにきっと度肝を抜かれたに違いない。ちなみに、筆者はラディカル・フェミニズムとも言える、ウーマン・リブ運動には極めて手厳しい。「要するに、ウーマン・リブの根底にあるのは、女でありたくないという一語なの」(p.184)だそうだ。

(09.1.29追補)
『アメリカ性革命報告』の最後は、進行する性革命に対する以下のような警告で締めくくられる。本書の出版から30年を経て、果たして性やセックスに起因するような社会的な大変動は発生しただろうか。日本においては、逆に(流通に関して)法的規制やメディア側の自粛が強化されてきたように見えるが、それは健全なバランス感覚の表れと言っていいのだろうか? ちなみに以下の引用は、Marshall, Donald S, and Robert C. Suggus. eds. Human Sexual Behavior: Variations in the Ethnographic Spectrum. New York: Basic, 1971.から編者によるエピローグの要約である。
…法制度、あるいは社会道徳という形で成立している性の偽善性は、それなりの社会的経済的諸力がその背後にあってそれを成立せしめているのだから、その現実を無視して、性に対する社会的統制の枠を取り払ってしまうことは、社会の基礎的構造を不用意に変更することになりかねない…
性革命の表面的現象だけを見ていると、何やら性的好奇心をかきたてられるだけだが、それを社会全体のパースペクティブのなかで、かつ歴史の流れの中でとらえてみたときに、その結果として何が招来されるか、実は誰にもまだよくわかっていない社会・文化的大変動が現に進行しつつあるのだという大変な問題に気がつくのである。(p.268)
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2008年11月22日

佐々木『プラトンの呪縛』

佐々木毅(2000)『プラトンの呪縛 二十世紀の哲学と政治』講談社学術文庫

プラトン解釈の現代史をヴィヴィッドに描いてきた本書にとしては、最後の「警告者」プラトンの描写はどうも尻すぼみの感が拭えない(このことを感じてかどうかは知らないが、学術文庫版のあとがきにかえられた「プラトンと現代」においては、より突っ込んだ主張がなされている)。しかし、このことは、かえって、われわれのリベラル・デモクラシーに対する安逸な態度を暴露している、とも言えよう。それほど、「警告者」というイメージが、「おっせかいやきの隣人」程度に、現代人にとっては五月蝿く映る。そもそも「警告者」の任は、プラトン、ひいては徳論を中心に打ち立てられた古代の倫理学にのみ与えられた「特権」ではない。それは実に様々な姿を取りうる。素朴な自然人から、古代ギリシャ・ローマの自由市民(共和主義者)、質素・勤勉を体現したピューリタニズム、日本で言えば、丸山の描く気概に満ち溢れた武士的・貴族主義的エートスもそうである。しかし、プラトンがこれらの他の「警告者」から一線を画すとすれば、それはなによりも偉大なる師ソクラテスから受け継いだ、安逸な伝統墨守を打破するアイロニカルな懐疑的態度、エロスに導かれた愛智(求知)の実践、そしてその方法としてのディアレクティケーであろう。プラトンのソクラテス(ソクラテスのプラトン)は、それこそ本書で描かれていたように既に見極めた真理、もしくは「〜すべし」を単純に押し付けて終わる思想家では決してなかった。無論、『国家』や『政治家』といった対話篇が独善的なドグマの押し付けと捉えられうる危うさを持たない、というのは嘘である。しかし、他方で『エウテュプロン』や『テアイテトス』のように、「〜とは何か」という本質的な問いかけに対する窮極的な答えを提示することをせず、対話そのものにとしては未完成に終わっているものがあることにも注意する必要がある。このことは何を示すのであろうか。プラトンが独善的なドグマの押し付けを旨とする思想家であるならば、このような対話編を書くことこそ時間の無駄であり、更に言えば、古典文学の傑作とも言われる『饗宴』や、『ソクラテスの弁明』と『クリトン』において師の揺るぎない信念に基づいた生をそれこそ描く必要もなかったであろう。ここから、まずわれわれが学ばねばならぬことは、ディアレクティケーが常に成功裡に終わり、真理に至るわけではない、ということである。われわれが森羅万象あらゆる事象を知ることができないのはもちろんのこと、最も基本的な事柄(さしずめ、われわれ自身)についても実は何も知らないのだということを、まず自覚せねばならない。そのために、また、だからこそ、われわれは謙虚でなければならない。自らが決して知り得ない、触れ得ないものがあることを認め、敬虔でなければならないのである。プラトンの対話編は真理やドグマの書ではない。それは、人間的生についての指針である。そして、それが教える生きかたは紋切り型の「〜すべし」ではなく、豊かな可能性が潜む、まさにリベラル・デモクラシーがその根拠として必要とすべき生きかたであるとも言えよう。

余談だが、「プラトンと現代」において氏が、現代の政党に対して、その政治家(リーダーシップ)養成能力の衰えを指摘するとき、氏のある種の政治的野心を垣間見るのは穿った見方であろうかw
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2008年11月18日

プラトン『テアイテトス』

プラトン(田中美知太郎訳)(1966)『テアイテトス』岩波文庫

一読して、サッと全体の構成が掴み取りにくかったので、訳者解説を参考に以下に大まかな流れをまとめておく。

[本編対話への導入]
142A-143C: エウクレイデスとテルプシオンによる対話
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[本編]
143D-148D: テオドロスによるテアイテトスの紹介(144D); 「知識とは何か」の問題提起(145E); テアイテトスの無理数論(147D)
148E-151D: ソクラテスの産婆術
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[第一部]
151E: 「感覚説」の提起; 「…何かを知識している人というものは、知識しているそのものを感覚(感受)しているものなのです。すなわち…知識は感覚にほかなりません」(テアイテトス)
 脱線@: プロタゴラス・ヘラクレイトス説(152A-183C)
184B-186E: 「感覚説」の反駁
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[第二部]
187B-C: 「真なる思いなし説」の提起; 「思いなしには二つの品種があって、一つは真なるもののそれであり、他は虚偽なるもののそれであるから、その真なる思いなしのほうを知識だと定めるわけだね」(ソクラテス)
 脱線A: 虚偽可能の問題(187C-200D)
200E-201C: 「真なる思いなし説」の反駁
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[第三部]
201C: 「真なる思いなしに言論を加えたもの説」の提起; 「…真実の思いなしだけでは、言論が加わっていなければ、知識の範囲には属さない…」(テアイテトス)
 脱線B: 単純要素とその束との可知不可知の区別の議論(201E-206B)
206C-210A: 「真なる思いなしに言論を加えたもの説」の反駁
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[終極]
210A-D: ソクラテスによる産婆術再論; テオドロスとの再会の約束(『ソピステス』へ)

どうも個々の細かい議論に関して理解に苦しむ点がちらほら残るのだけれども、またすこし時間を置いてから読み返すことにする。
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以下は第二部の「虚偽可能の問題」内で語られる、思考が感覚との間に起こす思いなしの真偽表(192A-194B)。1-14が虚偽の思いなしが不可能な場合で、15-17がそれが可能な場合。例えば、本文中にソクラテス自身による例示はないが、テアイテトスがこれに沿う形で問題提起を行っている(191A)16の場合だと、遠くの見知らぬ人を見て(感覚)、それがはっきりとは認識できないがために、見知っている(もしくは記憶にある―思考)テオドロスと勘違いする(虚偽の思いなし)、といった風になる。

思考が感覚との間に起こす思いなしの真偽表

余談だが、194Cに「ケアル」(胸)というギリシャ語が出てくる。訳注によれば、ホメロスにおいては、むしろ「ケール」という言葉が使われたそうだが、その語が示すところは、心臓のように体の部分を指し、もろもろの精神能力の座だそうだ。某ゲームはギリシャ語からこの語を引っ張ってきたのだろうか?
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2008年08月25日

Arendt, Human Condition@

Arendt, Hannah. Human Condition. 2nd ed. Chicago: U of Chicago P, 1998.@

第2版って、なんてことはない、カノヴァンの序文が付いただけ。まー無理せず訳書を読めばいいのに。。。と思いつつ、案の定、なんらかの形でまとめておかないと正確な論理の展開が頭に残らない…。全45節、各々数行で、その筋道だけ確認しておこう。

I. The Human Condition ----------

1. Vita Activa and the Human Condition
アーレントのvita activa(生活行為)とは、人間に与えられた3つの基本的な状況(conditions)に対応する基礎的行為の総称である。それぞれ、人間身体の生物学的過程に対応するのが「労働(labor)」、人間存在の非自然性に対応するのが「仕事(work)」、人間の複数性に対応するのが「活動(action)」、となる。注意しておくべきは、アーレントが状況と行為のそれぞれに本質主義(形相)的な意味合いをもたせていないことである(現象学的な身体観がここにある)。したがって、日本語の表現において、これら状況や行為が人間の本質・条件(不可分の構成要素)である、と言ってしまうことは多少の語弊を免れ得ない。

2. The Term Vita Activa
vita activaの伝統的位置付けについて。vita activavita contemplativa(観照的生)に対して伝統的に、従属的地位に置かれてきたが、その階層秩序の下では、翻って前者の内的秩序が曖昧にされてしまう。アーレントの狙いは本書で改めてvita activaを主題化・分節化することである。

3. Eternity versus Immortality
前節より引き続いて、vita activa(bios politikos)とvita contemplativaについての区別が論じられ、それぞれを支える原理であった、不死性(オリュンポスの神々)と永遠性(プラトン的イデア、キリスト教的唯一神)、および複数性と単数性の対比が強調される。早くも、アーレントの後者に対する姿勢は批判的な色合いを帯びてくる。

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とりあえず、今回はこんだけーw 最近、『アウグスティヌスの愛の概念』も読み始めた。なかなか歯ごたえあり。もちろん訳書。
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谷『これが現象学だ』/松浪『実存主義』

あーーーー、もう8月も終わる…。この期に及んで、こんなん読んで、なるほどなるほど頷いててどないすんねん、と叫びたいが、もうどうにもならない感が…。

谷徹(2002)『これが現象学だ』講談社現代新書

評判どおりの読みやすさと、判りやすさ。自然的態度から判断中止(エポケー)によってマッハ的光景(と本書で語られるもの)へと超越論的還元を為す、とりあえずこの根本的なプロセスさえ感得できていれば、ノエマやノエシスといったような一見難しそうな概念も無理なく入ってくるだろうし、さらに突っ込んでフッサールをやる場合にもブレなくて済みそう。

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松浪信三郎(1962)『実存主義』岩波新書

古い本だが、実存主義の概観を得るためには良い。ぶっちゃけ、サルトルの「対自」「即自」概念について何かしらのものを読んだのはこれが初めてで…、少しならずかなり惹きつけられてしまった。まあ、著者もあとがきで書くように、「(実存の思想が)未来へ向かう人間の自由な企てによって、たえずあらたにつくりなおされていく必然性をもっている」からなんだろうけど、それは悪く言えば、そもそもが漠然としすぎているということか。サルトルに話を戻せば、神の不在によって神のまなざしの下での不安の恐れのない即自存在となれずとも、はたまた人は神になれぬがゆえに「即自‐対自」という形での完全性に決して至りつけぬとも、他人のまなざしの中で不完全でありながらも、それを隠蔽することができるほどに一種の気やすさが得られるのであれば、それはとても羨ましい…。そうそう『存在と無』(人文書院、ちくま学芸文庫)の訳者はこの松浪氏。
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2008年08月05日

カント『道徳形而上学原論』

カント(篠田英雄訳)(1960)『道徳形而上学原論(1785)』岩波文庫

本書でカントは、「道徳の最高原理の探求と確立」(p.20)を目指して、分析的方法により、道徳形而上学の考察とその基礎付けを行う。「道徳についての一般的(世間的?)理解」から始まり、「?@通俗的な道徳哲学(善意志、義務)→?A道徳形而上学(3つの基本的命題)→?B純粋実践理性批判(最高原理としての意志の自律とその原因たる自由)」という、(ぶっちゃけ上昇というよりも…)表層から最深部へと至るプロセスを経る。

第二章では、有名どころである3つの基本的命題が登場する。
a.「君は、[君が行為に際して従うべき]君の格律(→主観がそれに従って行為するところの原則)が普遍的的法則となることを、当の格律によって[その格律と]同時に欲しえるような格律に従ってのみ行為せよ」(p.85)
b.「君自身の人格ならびに他のすべての人の人格に例外なく存するところの人間性を、いつでもまたいかなる場合にも同時に目的として使用し決して単なる手段として使用してはならない」(p.103)
c.「普遍的に律法する意志としての意志としての、それぞれ理性的存在者の意志という理念」(p.108)

第三章の基礎付けに関わる議論はなんとなく理解できたという程度だが、とりあえず感性界と可想界(もしくは悟性界、いわゆる「物自体」の世界)の区別があって、意志の自律の根拠となる自由(そのもの)とは、まさに後者の世界に存する「理念」になる。従って、(純粋実践)理性の対象となりうるのは、この意味での傾向(性)や衝動などの不可物が剥ぎ取られた自由である、と…。

訳者の篠田英雄は、岩波では三批判書すべての訳に携わっているので、よく知られた名前だけれども、どうも経歴その他の詳しいことはネットだけでは分からないみたい…。
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2008年08月03日

佐々木『近代政治思想の誕生』

佐々木毅(1981)『近代政治思想の誕生―16世紀における「政治」』岩波新書

2006年に復刊したもの。マキアヴェッリに端を発する、近代政治学への大転換期を個別の思想家を取り上げて描く。以下、まとめ。

T. クロード・ド・セセル(c1450-1520): 「ヨーロッパ政治思想の一つの範型。政治社会を一定の秩序やルールを共有する人間集団=政治共同体と考え、権力や支配をその枠内での一契機として捉える態度」(p.28); 所与の神的・自然法的・理性的全体(秩序)、つまりはフランス王国、という大きな枠組みがそもそもあって、王権いえどもその枠を侵し、僭主的に振舞うことは許されないが(王権に対する三つの拘束)、同時にそれは牢固な身分制的秩序をも含み、諸身分間でのプラトン的調和を達成することが求められる。ただし、伝統的な自然法秩序、それそのものの実効性に対しては懐疑の目を向け、近代政治思想の萌芽とも捉えられる、手段における経験主義、現実主義の立場(技術的改良)をとる。また、軍制に関して、傭兵制を批判し、貴族と平民からなる共和主義的(金ではなく、忠誠に基づく)軍隊を提案した(マキアヴェッリの軍制改革と比較せよ)。マキアヴェッリ以降の記述は、このセセルの思想を基準として展開されていく。

U. ニッコロ・マキアヴェッリ(1469-1527): セセルにおいては絶対的であった神的全体(治者と被治者の共同参加による秩序)は否定され、マキアヴェッリの神は運命と並んで、偶然的ファクター以外の何物でもなくなる。その上で、性悪説(野心と貪欲)に立ち、力(つまりは、被治者の側での恐怖)と法による秩序形成、人間の組織化を訴えた。更に、stato, principe, dominioという言葉に端的に表われるような「新たな政治学」、つまりは近代政治学の祖という位置付けがマキアヴェッリにおいてなされるが、これはセセルのpolitico, civileで表わされる伝統的(倫理学的)政治学との鮮やかな対照をなす。この対比は伝統的政治学が内政中心のアプローチ(秩序内部における諸身分の調和)をとっていたのに対して、マキアヴェッリが軍事・外交中心のアプローチに傾斜することにも現れている。これは、セセルのフランス王国がそれ自体で一つの共同体的秩序もしくは正義をなしていたのに対し、マキアヴェッリのフレンツェ共和国は、支配者たるフレンツェ市民と被支配者たる周辺領域(コンタード)民からなっていたために、statoはまさに、前者の後者に対する物理的支配(軍事・外交)の問題として考えなければならなかったからだ(1494年から続いたピサの反乱を考えてみよ)。しかし、その意味では、この周辺領域の農民(=臣民)から構成される共和国軍の提案は極めて奇妙なものに映らざるを得ないだろう。ただ、マキアヴェッリはこの矛盾について正面から答えることはしていない。

セセルとの根本的な政治的思考様式の相違をとり上げて、著者はマキアヴェッリのそれが、「(セセルが前提としたような神的)共同体という外枠を全く欠いた…支配服従関係の世界」(p.50)と評する。しかし、自然法のような善悪の基準としてのキリスト教的秩序観が彼に存在しなかったのは当然だが、古典的な共和国理念まで人文主義者マキアヴェッリにおいては失われていたのだろうか? この疑問は、言い方を変えれば、マキアヴェッリにおける、statoとrepublicaの関係の問題に帰着する。以下に著者による理解をまとめておこう。一言でいえば、マキアヴェッリが行ったのは、stato優位の下でのrepublicaの手段としての改鋳である。まず、彼は人間の改造・教育、良きエートスの実現という伝統的共和国に課せられた使命を忘れない。しかし、それは市民の対外的平和や経済的余裕に発する「安逸」によるのではなく、窮迫と対外的危機によって市民が「必要に迫られる」形になって初めて実現・維持しうると考えた。そして、そのような形でのエートスの実現に適した共和国の類型を、ローマ共和政に求めている。彼は、自足的で「維持型」のスパルタ-ヴェネチア型貴族政と、非自足的で「拡大型」のローマ型民衆政を対比し、前者よりも内政上の弱点を抱える後者の類型を支持した。この判断が意味するところは2つある。この共和国が非自足的である以上、「不断に…外に向かって闘い、拡大す」(p.70)る他ない。これが、先ほどの議論にあったような良きエートスの実現・維持に貢献する。もうひとつのより重要な点が、アリストテレス主義との決別である。非自足的な共和国は、両者の対照的な人間観に加えて、ポリスにおける倫理的、知的卓越性の実現という目的にそもそもそぐわない。マキアヴェッリの共和国に必要とされるのは、「「善良さ[お人よしさ?]」と実践的有能さ(ヴィルトゥ)」(同項)であり、それらが支える共和国の「偉大さ」である。そして、人びとに対しては徳の実現よりも野心や貪欲さの矯正が重要となる。

しかし、この共和国の偉大さがマキアヴェッリが最終的に目標とするところではない。言い方を変えれば、彼にとって君主政であるか共和政であるかは副次的な、手段的な問題であるのだ。彼が「新しい政治学」、すなわちarte dello statoを主張したのは、なによりもstatoそれ自体の拡大によって政治的不安定の最中にあったイタリアを統一し、「平和と安全」(p.74)を回復するがためであった(その意味で、著者はマキアヴェッリをイタリア人文主義者の鬼子と呼ぶ。その他の見方にとしては『君主論』と『ディスコルシ』を参照)。ここに、statoとrepublicaの間の優劣が決定的に現れる。人びとが「安逸」の中に堕することを嫌った彼が、「平和と安全」を究極の目標とするのはなぜだろうか。非自足的で無限の拡大を続ける共和国の姿と統一イタリアという完結した像はある意味悖理ではないのか。これらの疑問はこのような位置関係を弁えれば一気に氷解する。さらに、セセルの王国においてはすべての身分が共同体の運営に際してそれ相応の役割を担ったのとは異なり、マキアヴェッリのstatoでは、その責務は支配者のみが負うものであって、被治者には私的、経済的活動の自由が許容される。その秩序は外面的・物理的なものにとどまり、人びとの内面に立ち入るような、宗教的・倫理的教化は必要とされないからである。これは、別の角度から見れば、マキアヴェッリの政治思想におけるリベラリズムの契機に他ならない(バーリンも、筋道は異なるものの、同じ結論に至っている。「マキアヴェッリの独創性」参照)。

前半だけで長くなりすぎたので、残りの部分については、転換の大まかな道筋を追うだけにしておく。

V. トマス・モア(1477-1535): モアについては、主著『ユートピア』のさまざまな解釈にも示されるとおり、人文主義者としての姿や、現実政治に向かう改革者としての姿など、その思想については大きなブレがある。ただ、後期にあって、ルター派や国内での宗教改革との対決は彼をセセルと同じく(神的秩序の実効性への懐疑という点でも)、伝統秩序擁護とその枠内での改革の立場へと走らせた。しかし、彼の断頭台での死が如実に語るように、セセルの時代では自明とされた、「一つの信仰、一つの法、一つの王」という確固たる枠組みは既にその基礎を失っていたのである。そして、それを更に徹底させたのが宗教改革に端を発する宗派間闘争であった。

W. カルヴァン(1509-1564)とその弟子たち: まず、カルヴァンにおいては、「真の宗教」の名の下に、世俗権力の(可視的)教会への従属・奉仕が論じられるが、それとは矛盾する霊的統治と肉的統治の区別の観点から、臣民には王権への絶対的服従が説かれ、神に反する命令を理由とする抵抗権は認められない。これに対して、その弟子である、ジョン・ノックスはこの服従論から決別する。彼の抵抗義務論は、世俗権力やあらゆる人的制度にたいして「真の宗教」を優越させ、カルヴァンでは認められなかった「下からの」ジューネーヴ・モデル実現を迫った。

「真の宗教」の絶対的優越は、セセルが前提とした王を頂点とした秩序体制を有名無実のものとし、宗派の分裂は「宗教の統一を前提にして正義を尊重するという政治の見方」(p.148)を成り立たせなくしてしまう。このことは、別の言い方をすれば、政治の固有の領域が失われてしまったことを意味する。以下に続く二人の思想家の試みは、まさにそういった政治の復権を目指したものであった。

X. ミシェル・ド・モンテーニュ(1533-1592): モンテーニュにとっては、対立する諸宗派は情勢が変化するたびにお互いに「その政治理論を交換し、極めて機会主義的に行動した」にすぎず、「全ての象徴が欲望と野心との仮面で」(p.164)あった。そして、王侯を取り巻く宮廷人らはその奉じる教義のためではなく、まさに彼ら自身の見かけの栄誉のために戦乱を助長している、と痛烈に批判する。そこで、彼は、その著『エセー』において栄誉や名声といった妄想ではなく、健康、清明、平安といった「実質的で、本質的な幸福」(p.168)を追求することの重要性を説く(マキアヴェッリと比較せよ)。ここから、アナーキーを齎す可能性のある改革、革新の試みに対して、習慣の重要性を説く、保守主義の精神が出てくるのである。モンテーニュは、カトリック教会を擁護したが、それはなんら神学的根拠に基づくものではなく、その外面的な機能に着目したものであった。また同時に、王権への服従を強調し、国民にとって最も優れた政体とは「国家を維持してきた政体」(p.173)であると主張した。ここで留意すべきは、モンテーニュの政体論には、セセルにあったような社会秩序の神聖性が全く消え去ってしまっていることである。その意味では、極めてマキアヴェッリに近いといえよう。更に、「正しいこと」と「有益なこと」の厳然な区別は、「モンテーニュのマキアヴェリズム」(p.176)と呼ばれ、マキアヴェッリがそうしたように、ここに付きまとう倫理的・道徳的リスクを、彼の言うところの「逞しい人」に負わせるのである。あと、付け加えておくべきは、彼が寛容政策を支持したことであり、その意図をなによりも残虐さの軽減においていたことは、現代における非基礎付け主義的倫理観に通じるところがあるだろう。

Y. ジャン・ボダン(1529/30-1596): 彼の主著『国家論』における2本の柱が、主権論と「正しい統治」である。彼は前者において、マキアヴェッリのstatoの概念に近い(逆に、セセルからは遠ざかる)、端的な支配服従関係を説き、その統治の善悪をカッコに入れた。そのため、アリストテレス的な複数の権力の抑制均衡の上に成立する混合政体を否定する。しかし、彼は「正しい統治」において、王権が自然法を軽視する暴君的形態に陥らないよう、主権の制限を同時に説くのである(親アリストテレス、反マキアヴェリズム)。ここに、一見すると矛盾する立場が現れる。この矛盾を解く鍵は、ボダンが「アナーキィはいかなる暴政よりも悪い」(p.201)とする態度である。彼はなによりも、平和と安全を保障する強力な主権の樹立を目指した。そして、そのことは臣民の抵抗権をも否定することにつながる。あと、特徴的であるのは宗教に対する視点であり、彼は「真の宗教」を神学的にではなく、政治的・社会的(若者に対する教会の教育的機能など)に捉え、極めて機能的・実際的な政策提言を行っている(モンテーニュとの近似、ただし、彼には国家をも包括した宇宙論的神学観があることも指摘される)。

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結局、恐ろしく長くなった。。。orz
posted by ta at 09:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 文献レヴュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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